S2 第2章 ―向かう力 ハルト―
白い光。
ゆっくりと目を開いた。
青々とした草の匂い。
真っ直ぐに鼻を突き抜けた。
「……戻ってきた」
高い空。
どこまでも広がる草原。
頬を撫でる透明な風。
最初、この世界へ落ちてきた時と同じ景色。
でも――違う。
あの時みたいな恐怖。
放り込まれた絶望。
逃げ出したい衝動。
ゆっくり立ち上がる。
その時、初めて気づいた。
両手が二本の枝を握っていた。
傷だらけの枝。
何度も折れかけた枝。
何度も握り直してきた枝。
「……行こう」
小さく呟く。
迷いはなかった。
ちゃんと“向かう先”がある。
【 To help Aria. 】
アリアを助ける。
その言葉は、もう消えない。
ノートの隅に書いた時とは違う。
身体の奥で静かに脈打っていた。
一歩踏み出す。
追い風が、背中を押した。
◇
どれくらい歩いただろう。
地平線の向こうに街が見えてきた。
白い布。
無数のくすんだ布が、風に舞う。
空の先を指すみたいに揺れている。
「あれ……?」
目を細める。
鐘の音。
立ち上る煙。
そして――。
草原の一本道の先。
巨大な背中が立っていた。
「――ミッチ!」
声が草原へ響く。
大きな背中が止まる。
ゆっくりと振り返った。
「……遅かったな」
相変わらずの返事。
自然と口元が緩んだ。
「なんなんですか、その普通の反応」
「何がだ」
「いや、もっとこう……」
「“本当に戻ってきたのか”とか」
ミッチは鼻で笑った。
「来ると思ってた」
それだけだった。
その一言、胸の奥に残る。
信じて、待ってくれていた。
それだけで、十分だった。
「……アリアは?」
白い布の揺れる街。
ミッチは視線を向けた。
「いない」
空へ舞う風が吹く。
白い布が大きく揺れた。
「一人で旅に出た」
「どこへ?」
「知らん」
「知らんって……!」
思わず声が大きくなる。
でも、ミッチは静かだった。
「ただ」
「“目的を探す”とは言っていた」
目的。
教室の黒板が脳裏に浮かぶ。
【 to 】
向かう先。
未来。
「……目的」
小さく呟いた。
漆黒の目がじっとこちらを見る。
「お前、少し変わったな」
「え?」
「前より、言葉が前へ出ている」
視線を逸らさない。
逃げなかった。
「僕は……」
胸の奥から、自然に言葉が出る。
「アリアを助けたいんです」
風が止まり、静まる。
「今度は、逃げるためじゃなくて」
枝を握る。
「自分の意志で、隣に立ちたい」
ミッチは、少しだけ目を細めた。
以前なら、きっと笑われていた。
でも今は違う。
「そうか」
短い言葉。
確かな重みがあった。
「来い」
「え?」
「占い師の街へ行く」
「占い師?」
「占い師がいる街だ」
「説明ざっくりすぎません?」
「会えば分かる」
またそれだ。
思わず苦笑する。
大きな背中。
先へ歩き始めていた。
「待ってくださいよ!」
慌てて、その後を追う。
歩きながら、ふと気づく。
身体が軽い。
以前より、ずっと前へ進みやすい。
言葉の意味を知ったからか。
それとも――。この足が。
逃げるための足じゃないからか。
◇
夕暮れ。
白い布が風に揺れる街へ辿り着く。
人は多い。
奇妙なほど静かだった。
誰もが空を見ている。
誰もが手を見ている。
何かを探しているみたいに。
「……変な街ですね」
「目的を失った奴らが流れ着く街だ」
ミッチが低く言った。
「目的……」
呟いた、その時だった。
「お前には、あるのか?」
ミッチとは違う声。
反射的に振り向く。
路地裏。
長い白髪。
ボロボロのローブ。
枯れ木みたいに細い身体。
でも――。
目だけが異様に鋭かった。
「……誰ですか」
「ザ・ハク」
即答だった。
その視線が、こちらに向かっている。
輪郭をなぞるみたいに。
そして、腰の枝へ落ちた。
「なるほど」
「……?」
「空っぽではないな」
ザ・ハクの口元が、わずかに動く。
「お前には、“向かう先”がある」
枝を握る手に力が入る。
【 To help Aria. 】
その言葉が脈打っていた。
ザ・ハクは背を向けた。
「来い」
「……またそのパターン?」
後ろで、ミッチが吹き出した。
「……どうやら気が合いそうだな」
「嫌な予感しかしないんですけど」
ザ・ハクは振り返らない。
「嫌なら帰れ」
「いや、行きます!」
即答だった。
ミッチが豪快に笑った。
久しぶりに聞く笑い声。
それにつられ、少し肩の力が抜ける。
アリアは、ここにはいない。
不思議と、繋がっている気はした。
別々の場所。
向かう先。
風が強くなった。
街中の白い布が、一斉になびいた。
夕暮れの空。
その先へ向かって。




