第10章 ―強くなれない―
「もっと、強くなりたい」
昨夜の悔しさ。
胸の奥で熱を持っていた。
ミッチは、黙って僕を見る。
重い沈黙。
「……わかった。明日、出発する」
「え?」
「寝ろ。体力を残しておけ」
それだけ言うと、ミッチは腕を枕にして目を閉じた。
◇
穏やかな海。
波のない海。
凪。
船が港にたどり着く。
そこの匂いが違った。
土でも、草でもない。
煤。油。熱。人。
鼻の奥。
全部が一気に流れ込んでくる。
目を開く。
灰色の石畳。
高い石造りの建物。
煙。
叫び声。
荷車。
「……動いてる」
隣で、アリアが呆然と呟いた。
商人が怒鳴る。
子どもが駆け抜ける。
泥水が跳ねる。
鳥が飛ぶ。
誰も、立ち止まっていない。
街そのものが、走っていた。
「プログレシアの街だ」
ミッチが歩き出す。
「置いていくぞ」
慌てて追いかける。
路地へ入った瞬間だった。
影が揺れる。
小さい。
速い。
壁の隙間。
無数の目。
「来る――!」
「I am strong!」
枝を構える。
光が走る。
当たらない。
魔物が壁を蹴り、僕の背後へ回った。
速い。
違う。
僕が遅い。
「I am quick!」
光を重ねる。
届かない。
言葉だけが、前へ飛んでいく。
光が、通りすぎる。
石畳を砕いた。
「止まらないで!」
アリアの声。
「え?」
「止まって構えるから、遅いの!」
影が、壁を走る。
消える。
速い。
追いつけない。
アリアが、僕を見た。
「動いて」
今。
この瞬間。
心臓が跳ねる。
止まるな。
考えるな。
走れ。
僕は、地面を蹴った。
全力で、影を追う。
走りながら、叫ぶ。
「I am running!」
光が爆ぜた。
熱い。
腕。
足。
全身。
脈打っている。
景色が遅い。
違う。
僕が、速くなっている。
「I am fighting!」
光が、僕の動きと完全に重なる。
一直線。
逃げようとした影。
飲み込んだ。
「……当たった……!」
「次だ」
ミッチの声。
路地の奥。
新しい影。
三匹。
「I am running!」
止まらない。
走る。
「I am attacking!」
光が、路地を裂く。
「I am jumping!」
壁を蹴る。
跳ぶ。
「I am striking!」
空中で、枝を振り抜く。
光が連続で弾ける。
一匹。
二匹。
三匹。
全部、吹き飛んだ。
◇
指先に、まだ光の痺れが残っていた。
「……全然違う」
「何がだ」
ミッチが腕を組む。
「今までは……止まってから言葉を言ってた」
息を整える。
「だから、言葉だけが先に飛んでいってた」
「でも、動きながら言うと――」
自分の手を見る。
「今の僕と、ちゃんと重なる」
ミッチは何も言わない。
でも。
少しだけ、口元が動いた気がした。
◇
夜。
石造りの宿。
ミッチはベッドに倒れ込む。
地響きみたいな寝息を立て始めた。
アリアは、窓の外を見ている。
街の灯り。
煙。
笑い声。
夜なのに、街はまだ動いていた。
「アリア」
「……うん」
「何見てるの?」
少し沈黙。
「……匂い」
「え?」
「この街の匂い。どこかで、嗅いだ気がする」
遠くを見る目だった。
思い出せそうで。
でも、届かない。
動いている街。
誰も、止まらない。
僕は、前に進めている。
新しい力をつかんだ。
アリアは、まだ。
遠い記憶の中に立ち止まっていた。




