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第10章 ―強くなれない―

「もっと、強くなりたい」


昨夜の悔しさ。

胸の奥で熱を持っていた。


ミッチは、黙って僕を見る。

重い沈黙。


  「……わかった。明日、出発する」


「え?」


  「寝ろ。体力を残しておけ」


それだけ言うと、ミッチは腕を枕にして目を閉じた。



穏やかな海。

波のない海。


凪。


船が港にたどり着く。

そこの匂いが違った。


土でも、草でもない。

すす。油。熱。人。


鼻の奥。

全部が一気に流れ込んでくる。


目を開く。


灰色の石畳。

高い石造りの建物。


煙。

叫び声。

荷車。


  「……動いてる」


隣で、アリアが呆然と呟いた。


商人が怒鳴る。

子どもが駆け抜ける。


泥水が跳ねる。

鳥が飛ぶ。


誰も、立ち止まっていない。

街そのものが、走っていた。


  「プログレシアの街だ」


ミッチが歩き出す。


  「置いていくぞ」


慌てて追いかける。


路地へ入った瞬間だった。


影が揺れる。

小さい。

速い。


壁の隙間。

無数の目。


  「来る――!」


「I am strong!」


枝を構える。

光が走る。


当たらない。

魔物が壁を蹴り、僕の背後へ回った。


速い。


違う。

 僕が遅い。


「I am quick!」


光を重ねる。

届かない。


言葉だけが、前へ飛んでいく。


光が、通りすぎる。

石畳を砕いた。

 

  「止まらないで!」


アリアの声。


  「え?」

  「止まって構えるから、遅いの!」


影が、壁を走る。

消える。


速い。

追いつけない。


アリアが、僕を見た。


  「動いて」


今。

この瞬間。


心臓が跳ねる。


止まるな。

考えるな。

走れ。


僕は、地面を蹴った。

全力で、影を追う。


走りながら、叫ぶ。


「I am running!」


光が爆ぜた。


熱い。


腕。

足。

全身。

 脈打っている。


景色が遅い。


違う。

 僕が、速くなっている。


「I am fighting!」


光が、僕の動きと完全に重なる。

一直線。


逃げようとした影。

飲み込んだ。


「……当たった……!」


  「次だ」


ミッチの声。


路地の奥。

新しい影。

三匹。


「I am running!」


止まらない。

走る。


「I am attacking!」


光が、路地を裂く。


「I am jumping!」


壁を蹴る。

跳ぶ。


「I am striking!」


空中で、枝を振り抜く。

光が連続で弾ける。


一匹。

二匹。

三匹。

 全部、吹き飛んだ。



指先に、まだ光の痺れが残っていた。


「……全然違う」


  「何がだ」


ミッチが腕を組む。


「今までは……止まってから言葉を言ってた」


息を整える。


「だから、言葉だけが先に飛んでいってた」

「でも、動きながら言うと――」


自分の手を見る。


「今の僕と、ちゃんと重なる」


ミッチは何も言わない。


でも。

 少しだけ、口元が動いた気がした。



夜。

石造りの宿。


ミッチはベッドに倒れ込む。

地響きみたいな寝息を立て始めた。


アリアは、窓の外を見ている。


街の灯り。

煙。

笑い声。


夜なのに、街はまだ動いていた。


「アリア」


  「……うん」


「何見てるの?」


少し沈黙。


  「……匂い」


「え?」


  「この街の匂い。どこかで、嗅いだ気がする」


遠くを見る目だった。


思い出せそうで。

でも、届かない。


動いている街。

誰も、止まらない。


僕は、前に進めている。

 新しい力をつかんだ。


アリアは、まだ。

 遠い記憶の中に立ち止まっていた。

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