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白い石造りの廊下を歩きやすい低く底の広い踵のパンプスの僅かな足音を響かせながら、その女性は後から着いてくる者の報告を聞いていた。
「……ですので局長、この機会により詳しい調査をですね……」
「とは言ってもね~。たぶんだけどあの坊やからは何も得られないわよ?逃げてるわけでもなしにどちらかと言えば本人は協力的なんだから、疑るようなことしてわざわざ藪突っつかなくても良いと思うんだけど」
局長。主の働く管理局の長である。
次元や時空、過去や未来に加え所謂パラレルワールド、総じて異世界と呼ばれる存在を一括する機関をまとめる彼女は、黒から毛先にかけて黒から鮮やかなルージュのグラデーションをした髪をオールバックでまとめ本日は褐返し色のスーツを身にまとい、メイクはダークトーンのアイラインが際立っていた。
局としても解決しなければならない問題であるのは理解しているのだが、何分とっかかりが掴めないので徒労に終わるだろうと予想しているからか、斜め後ろから報告に交えて伺うように意見を言う側近へ顔を向けて応えた。
「一応別件で出向いてる局員に、連勤になるけど出張のお願いしといたらか向こうで遭遇するかもね」
「その局員というのはあの者のことでしょうか?いくら手空きがいないからといってあの者を手放しに信頼して良いとは思えません」
あまり話題にしたくないのか側近は声のトーンを下げ気味に聞いた。
「あなたに限らず、幹部連中もみんなそんな感じね。断っておくけど、手空きだからじゃなくて彼しか対応できないんだからこの場合適任ってやつでしょ?なんで神のくせに人間を対等に見れないかな。別段あたし達が人に無い力を持ってるってだけで、人間だってあたし達の思いもつかない事をやったりするんだから色眼鏡で見なくても良いじゃない」
「もう少し得体がわかれば周囲の反応も違うと思うのです」
音もなく側近とは反対方向に現れた局長の秘書が呟くと、側近は軽く息を漏らして言った。
「誤解の無いように申し上げれば同じ職場で働く身。あの者を嫌悪や目の敵にしている者はまずいないと思います。しかし理解のできない存在であることも確か、そもそもが理解しようとするまでに至れないのですから」
「認識が霞んで記憶に残らないのは興味を持つ以前に自分で探そうとしないから。まぁなんていうかおーぷんゆあまいんどってやつよ。あ、クロ、今回は支援の方頼めたかしら?」
名前を呼ばれた秘書はA4サイズのクリップボードに挟んだ紙をめくりながら答えた。
「はい。主さんのことはともかく、姫さんとスパイクさんの名前を出したら二つ返事でした」
「おっけーおっけー。管理局が怠慢だなんて思われるのも心外だからね。ちゃんと働いてるんだから」
二人の会話を聞いていた、耳の尖がったエルフの血統を強く思わせる側近は初耳とばかりに慌てた様子で詰め寄る。
「局長!また会議で議題にも出さず部外者を職務に関わらせたのですか!?」
「待つも何も最初から議題にすら上げる気無かったし。一応協力関係にある、いわば臨時職員なわけだし」
何か悪い事でもしたのかと、逆にこちらが間違ったことを言ってるかと錯覚するような素振りで局長は言い更に言葉を続ける。
「それに部外者を使った方が後々の言い訳が楽でしょ?もちろんあたしが責任取るのが前提だけどさ」
「し、しかしですね……」
「解ってるわよ。あなたが常日頃から気を揉んでいろいろ手を尽くしてくれていることは。
でもね、いつ来るかもわからない機会を待ってて、気づいたら逃してたなんて笑えないからさ。可能性があるなら試すのは当然よ。そのために部下に負担をかけてしまうのは申し訳ないとは思うし、自身の力不足を補おうと、信じられないかもしれないけど死力はつくしてるのよ?」
顔を下げ、先ほどとは変わって絞り出すような弱々しい声で側近が言う。
「誰もあなたの事をどうにもできないし、あなたが居なくなっては元も子もない。責任はとるとおっしゃっても代わりがいないことはくれぐれも忘れないでください」
「ありがとね。代わりが居ないのは誰も同じよ。あたしもあなたもクロも、そして彼もね」
側近は言いたいことはあるがそれが及ばざるものと唇を噛みしめ、立ち止まり小刻みに震えている。
所長は向き直るとまた白い廊下を歩き出した。
「ほんと部下を安心させてあげられないなんてダメな上司よね、クロ、大丈夫とは思うけど彼の留守中はいつも通り見張りお願いね。誰か回せる?」
歩くのが早いわけではないが、身長からして局長とは歩幅が合わないので少し足早について来るクロに聞く。
「ギンは有給で本日から一週間ほど不在です。他の部署も手が空かないそうです」
「……っということは?」
「必然的に私が行くことになるかと。ご安心を、不在中の引継ぎ内容はまとめてありますので」
瞬間、局長の脳裏を得も言われぬ不安感が支配すると、もう走れば良いのにと思うほど足早に局長室に向かい、そしてその扉を開けて愕然とした。
10mはないがいつも午後のアンニュイまで優しく包んでくれる柔らかな日差しを取り入れる長窓が、こっそりとおやつを隠してある戸棚が、自身の机上も普段のそれとは比べ物にならず何よりだだっ広い局長室いっぱいに山と積まれた書類群に言葉もなく立ち尽くす。
その後から今度は先ほどと変わり、普段の自身の歩幅で追いついて来たクロが言う。
「最低限この部屋の書類だけ処理していただければ大丈夫です」
「いったい何年分の仕事させようとしてるのよ」
半ば放心状態の局長は、クロの言葉を聞いて油の切れたロボットのように鈍く首を向けた。
「?これは私とギンが一日に扱う量ですが。彼女も有給での不在時の事を考え、できるだけ処理してくれていますのでだいぶ量は少ないはずです」
普段取れと言っても進んで有給の申請を出さないギンがなぜこのタイミングと思ったが、「ちょっとくらいあなた達がいないくらいで業務が滞る程柔な組織じゃないわよ。休める時に休みなさい」と、確かに自分自身で放った言葉がエコーをかけて頭の中でリピートされる。
クロかギン、どちらかがいればなんということはないのだが、これまた間が悪く有給を取っていないクロが職務で局を離れる。
何事も重なってしまうのはしょうがない。
しょうがないので何とか気持ちを切り替えようと局長は頼りになる秘書へと声をかける。
「ク、クロ~、今日さ、ちょっと残ってさ、少しだけでも良いから手伝ってもら……」
ちょっと残……の辺りで、いつもは表情の少ない彼女が今もその眼以外は張り付けたように動かないが、エジプトはバステト神の末裔。威嚇の本能を剥き出しにして、大きく見開かれた眼光に局長は短い悲鳴を上げ、本人は口に出してはいないし頭にも直接話かけてもいないが、その言葉が文字となって(錯覚だが)見える。
[明日から残業を通り過ぎて泊まり込みで職務にあたる我に残れ……と?私の名前がクロだからブラックな対応をしても良いという考えからな?笑えない、あまりにも笑えない。それとも何か、ペンタブラックまで行けば全てを飲み込み無かったことにできるとでも考えたか?]
最早半泣きの所長は言葉もなく項垂れ、自身の身長分は出ているのでは?と思うような、200ℓは入りそうなバッグを背負ったクロを見送り、自分が泊まり込むことになるであろう局長室へと入って行った。
さて、先ほど鋭い眼力を発揮したクロではあるが、今回の監視対象は定期的に当番として回ってくるものであり、他の部署の間では買ってでも着きたい業務なのである。
そのため、明日からと言わず直行で対象宅に行き、その旨を伝え、あわよくばご相伴にあずかりたいのが本音。1秒たりとも無駄にできないというのが正直なところである。
そして有給を取らずとも、この任務そのものがご褒美なので先ほどの局長室いっぱいの書類は、量こそあれど大半は過去からの判断用の資料なので、局長なら流して五枚も読めば内容がわかるようまとめられた代物である。
もちろんわかるようにまとめたのは秘書の2名ではあるが、これも神であれど、神だからこそオーバーワークを理由にミスなどがあってはならぬという局長の指導方針があって成せるものなのである。
しかしながら今回は秘書不在という稀に見る事態なので、少しばかり負い目を感じたクロは局長が真面目に、前向きに「ちゃんと」仕事をしてくれるよう差し入れを置いて来ていた。




