詩葉先輩の遊び道具 7
ニコリと微笑む小鈴の視線の先にわたしがいた。もちろん、好意的な意味で微笑んでいるわけではないのはわかる。無意識のうちに後ずさりをした。どうせ月乃様の手のひらの上にいるのだから、どこに逃げたって小鈴が手を伸ばせば簡単に届く範囲にしか逃げられないというのに。
「わー、わたし、この子とたーっぷり仲良くしたいからちょっと借りるわねー」
「うーん、わかった! そうだよね! この子可愛いしわたしが独り占めするのも良くないもんね」
めちゃくちゃ棒読みの小鈴に月乃様はあっさり騙されてしまった。しっかりして欲しいんだけど……
「うふふ、ほーんとに可愛いわねー」
めちゃくちゃ棒読みのまま、わたしの上に人差し指を近づけてくる。
「こ、来ないでよ!」
必死に叫んでも、当然小鈴は指を止めない。
「可愛すぎて触りたくなっちゃうわ」
あっという間に指先がギュッとわたしの身体に押し付けてくるように触れてくる。月乃様の手のひらと小鈴の指の間に挟まって身動きが取れなくなってしまった。かなり手加減しているつもりなのだろうけれど、それでもめちゃくちゃ痛いし重たい。
月乃様もまさか指先で押さえられるだけで大ダメージを受けることなんてしらないのか、和やかな様子で見守っている。きっと、月乃様の視点からは本当に小鈴がわたしが可愛いから触っているだけだと思っているらしい。月乃様って可愛いくて優しいのにめちゃくちゃ鈍感だな……。
「こ、このデカ女……」
チッと舌打ちをしたけれど、多分肺から必死に空気を押し出しているわたしの声は小さすぎて聞こえていない。
「この子、すっごく可愛いよね」
月乃様は呑気な声を出してるし、小鈴の加害の意図はまったく月乃様には伝わってなさそう。「そうだねー」と小鈴がまた棒読みで同調したのとほとんど同時にさらに指先に力が加わる。
「うげっ……」
肺の空気が全部押し出されるみたいな気分だった。
「月乃から可愛いって言ってもらうなんて、あんた生意気なのよ」
月乃様に聞こえないような小さすぎる囁き声も、わたしの耳にはしっかり届く。嫉妬した小鈴の八つ当たりを一身に受けさせられている。
「あははー、可愛いねー。本当に小さな女の子って可愛いわよねー」
自棄になったような笑い声まで出しているのに、月乃様はまったく気付いてくれてない。なんなら、小鈴も月乃様に意図的にわたしに敵対心を抱いてることを伝えようとしているのではないだろうかと思ってしまうくらい棒読みだ。
それなのに、月乃様はずっと微笑ましい様子でわたしたちのことを見ている。
「月乃さまぁ、わたし小鈴に意地悪されてるんですけど……」
そんな助けを求める声も小鈴に指先で顔を押さえつけられてしまったせいで、上手く届いてくれない。代わりに月乃様は楽しそうな声を出す。
「なんだかわたしも触りたくなってきたよ」
小鈴の棒読み演技に気付かなかったことが功を奏してくれたのかもしれない。結果的に月乃様は小鈴からわたしを救ってくれるのだった。
「やっぱりその子貸してー」
「え?」
わたしも小鈴も同時に声を出す。月乃様は小鈴の指先を退かすようにして手のひらを顔に近づけていく。当然、月乃様の手のひらの上に乗っているわたしと月乃様の顔の距離はとんでもなく近くなる。
先ほどよりもさらに顔を近づけてくる。可愛らしい顔が上空全面を埋め尽くしながらこちらに迫ってくる。
「ひ、ひぃっ……」
漏れてしまった声は悲鳴ではない。わけがわからないくらい嬉しいけれど、あまりにも心臓に悪すぎる。こんなのビジュの暴力だ。本人が自分がとんでもなく顔が良いことを自覚してなさそうなのがタチが悪い。そんな可愛らしい顔を触れられそうな距離にまで近づけないでほしい。同じサイズでも緊張しそうなのに、わたしは本来の30倍サイズのビジュの暴力を受けさせられているのだ。
(こ、こんなに顔近づけてきたらおかしくなっちゃいそうなんだけど……)
憧れの月乃様の吐息がしっかりと当たっている。何これ? 何のご褒美? 小鈴と意地悪ギャルにたっぷり苦しめられたからそのお詫び?
すでにドキドキしているわたしの方にさらに顔を近づけてくる。すぐ真上に月乃様の唇があった。当然吹きつけてくる吐息はどんどん強くなっていった。甘くて優しい強風がわたしの身体に全力で吹き付けられる。
すでに上空を埋め尽くすような近距離にまで来ているのに、月乃様はまだまだこちらに顔を近づけてくる。
(ほ、本当におかしくなっちゃいそうだから、早く離れてぇ……)
経験したことないくらい心臓の鼓動が速くなっている。周囲の空気がすべて月乃様のものになる。まるで現実感が無くなっていく。すぐ真上には柔らかそうな月乃様の唇があった。
「やっぱり小さい子ってお人形みたいで可愛いよねぇ」
そして、あろうことかそのまま唇をわたしの身体にくっつけてくるのだった。柔らかい唇が触れて、わたしの身体は沈みこむ。月乃様の手のひらと唇の間で、上下から柔らかい感触に挟まれた。チュッと可愛らしいリップ音がする。しっかりと全身を暖かくて柔らかい大きな唇が触れるのだった。
「え? え? え?」
何これ? 夢の中? もしかしてさっき意地悪ギャルに踏まれた時に身体を潰されちゃって、そのまま天国に来ちゃったりしてる?
ずっと困惑しているわたしの頭上から、今度はとんでもない爆音が響いた。
「ぎゃあああああああああああああああ」
小鈴のうるさすぎる声がして、鼓膜が壊れるかと思った。慌てて耳を両手で覆う。
「こ、小鈴ちゃん?」
「キ、キ、キ、キキキキキキスした!?!?!?!?!? なんで? なんでなんでなんで?」
完全に小鈴が壊れてしまっている。月乃様の肩を掴んで思いっきり揺らし始めるから、手のひらに乗っているわたしも激しく揺れる。
「お、落ちちゃうからやめてってば!!」
月乃様の手のひら上はわたしにとってはかなり地上からは遠い高所なんだから、そんな激しく動かないでほしい。必死に手のひらにしがみついているわたしのことなんて気にせず、月乃様と小鈴が話していた。当然、視線は上空で2人で交わし合っている。誰も邪魔できない高所を、わたしはただ見上げることしかできなかった。
「キスじゃないよー。可愛かったから唇くっつけてみただけだって」
「そ、それがキスじゃないのよ!!!」
「えー違うって。小鈴ちゃん大袈裟なんだから」
「じゃ、じゃあ、わたしとも唇くっつけてよ!」
「こ、小鈴ちゃんいきなりどうしたの?」
「わたしは可愛くないから唇くっつけてくれないんだ!! 月乃のバカぁ!!!」
月乃様の制服の肩口の布を掴んだ小鈴の目が潤んでいる。
「ち、違うって。小鈴ちゃんも可愛いけど……、友達同士でいきなりキスするとか変だよぉ
「変って、今さっきこの子にキスしたじゃん!」
「だから、キスじゃなくて唇当てただけだよ?」
「だ、か、ら、それがキスって言うんでしょ!!!!!!!!!!!!!!」
小鈴はわたしたち一般生徒用の校舎にも響きわたりそうなくらいの大声で叫んでいた。ていうか、多分聞こえてる。巨大少女たちは普通に喋ってるだけのつもりだろうから違和感はないのだろうけれど、彼女たちの声はわたしたち一般生徒からしたらとても大きいから、しっかりと聞こえているのだ。みんないきなりキスとか聞こえてきたらビックリしそう……
「ね、ねえ、本当にどうしたの?」
月乃様はどうやらめちゃくちゃ鈍いらしい。わたしにしたのは小動物とのスキンシップくらいの感じだと思ってるんだ。それはそれでちょっと嫌かも。小鈴のことはきちんとクラスメイトであり、友達であり同じ種族として意識しているのに、これではわたしは同じ種族ではなくハムスターみたいな感覚で見ていると言っているみたいなものだし。
小鈴が今度はわたしの方をジッと睨みながら見下ろしてくる。今すぐにでもわたしのことを潰してしまいそうなくらい、怒りの籠った視線に怖くなる。自然と冷や汗が止まらなくなっていた。
「ムカつく……。わたしだってあんたみたいに小さかったら良かったのに……」
月乃様に聞こえないような小さな囁き声だったけれど、小さなわたしにはしっかりと聞こえたのだった。
上を見ると、月乃様は必死に小鈴のことを宥めていた。小動物としてしか見られていないわたしと違って、対等な友達として、思いやってもらっている。
「わたしはむしろ月乃様の優しさを対等なサイズで受けられる小鈴の方が羨ましいな……」
無意識のうちにぼんやりと呟いていた。
手のひらの上に小さな人間がいることなんてすっかり忘れて、お互いのことしか眼中にない2人が楽しそうに喋っている様子を羨ましそうに見上げることしかできない。2人の特別な空気感が羨ましいのだった。




