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7-②



 何か、ひどく引っかかることがある。

 それはきっと、失った記憶のうちにある、何か。

 救急車の赤いランプを見ているうちに、その引っかかりはどんどん大きくなっていった。何か。大切な何か。忘れてはいけない何か。

 その何かを、自分は忘れている。

 たぶん、思い出さなくちゃいけない。そして多分――、

「祐弥、さん」

「……由祈乃、さん」

 この人は、それを知っている。

 病院。救急隊員から言われて、永の携帯をいじって、永の両親に電話をかけて、それだけなのに、由祈乃が来た。永の両親よりも早く。額に汗を浮かべて。どこから走ってきたのだろう。髪の隙間から覗く耳を、寒さで赤くして。

「は、永、ちゃんは、」

「寝てるみたい。貧血かわかんないけど、とりあえず中にいるよ」

 祐弥は病室を指差す。目の前で倒れられたときはどうなることかと思ったけれど、救急車がやってきてからはあっという間だった。心配いらないよ、という言葉を医者が残せば、それだけで安心できる。

「由祈乃さん、なんで来たの?」

 だからこうして、永とは別の部分について、聞くだけの余裕もできる。

「なんで、って」

「あたし、永の親にしか連絡してない。なのに由祈乃さんが来た。なんで?」

「……それは、」

「永の親から連絡が来たんじゃないの?」

 祐弥はまっすぐに、由祈乃の目を見た。

 由祈乃も、目を逸らさなかった。

「どういう関係なの、永と、」

 勝手に、一度唇が閉じた。その先を口にすることを怖がるように。けれど、祐弥はそれでも、もう一度自分の口をこじ開けて、

「それから、あたしと」

 しばらく、由祈乃は何も言わなかった。

 唇の端を噛んで、傍目にもはっきりと、葛藤しているとわかるような顔をして、やがてこう言った。

「……高校生ってさ、」

 まっすぐ祐弥の顔を見ながら、

「まだ、子どもかな」

「ううん」

 祐弥はきっぱりと首を横に振って、

「もう、自分のことは、自分で決められる」

「……そっか」

 言って、由祈乃は笑った。

 祐弥の隣に、由祈乃が座る。どこから話せばいいかな、と言いながら、けれど、肩の荷を下ろしたように、澄んだ声で語り始める。

「――私と祐弥ちゃんはね、ちょっとだけ、人と違うことができるんだ。これは生まれつきのこと。って言っても、祐弥ちゃんは覚えてないんだけどね。私が綺麗さっぱり消しちゃったから」

「消したって、じゃあやっぱり、由祈乃さんが」

「うん。それが私の〈エフェクター〉としての能力。自分の意志で、〈エフェクト〉みたいな現象を起こせる人。〈エフェクト〉災害に遭遇した人の中に使えるようになる人がいるって話なんだけど、私も詳しくは知らない。少なくとも、私と祐弥ちゃんは、生まれつきのもの。私は生まれつき、人の記憶を自由に消したり、戻したりすることができる。祐弥ちゃんは、生まれつき自分の意志で物を燃やすことができる」

「自然発火」

「そう。よく知ってるね」

「ううん。由祈乃さんの部屋、入ってアルバムに書いてあるのを見ただけ」

「――――」

 目を丸くした由祈乃に、祐弥はごめんなさい、と謝る。しかしすぐに由祈乃は、元の穏やかな笑顔に戻って、

「いいよ、別に。祐弥ちゃん、昔からそうだったから」

「そう、って」

「元気いっぱいで聞かん坊。遊びに行くと、いつも何かしら私のもの欲しがるんだもん。ヘアピンとか、シャーペンとか。強盗だったよ、ほとんど」

 自分の知らない、子どものころの話で笑われる。

 自分がしたことの謝罪から始まっただけに、あまり強くは言い返せず、祐弥は唇を尖らせるに留まる。ごめんごめん、と由祈乃が謝るのにも、とても心が籠っているとは思えなかった。

「〈エフェクター〉としての能力があるってわかったとき、お兄ちゃん、祐弥ちゃんのお父さんはすごく心配したんだ。本当にちっちゃい頃に、何もわからないまま小火を出しちゃったみたいで。しつけようにも、どうやって制御するんだか、〈エフェクト〉を起こす感覚なんてさっぱりわからないからどうしようもないし。

 そこで、私が出てきた。家族には〈エフェクター〉だってこと、そこまで明確にってわけじゃないけど伝えてたから。たぶん超能力者か何かだと思ってたんじゃないかな。同じ超能力者なら、私が先生になれるだろうって。それから定期的に祐弥ちゃんの家に通うようになったの。

正直言うと、全然起こしてる現象も違うし無理だろうな、と思ってたんだけど、祐弥ちゃん賢いから、すぐにちゃんと覚えちゃった」

「賢いって……、んなことないよ。あたし、勉強全然できないし」

「そんなことないよ。祐弥ちゃん、ちっちゃい頃、ルービックキューブ自分で六面揃えられたんだから」

 由祈乃は柔らかく笑いかけてくる。祐弥はぷい、とそっぽを向く。

そして、少しずつ確信し始めていた。

自分は、この人のことを知っている。たぶん、好ましく思っていた。褒められて照れながら、奪われた記憶の残り香に触れている。

「永ちゃんは、私が〈エフェクト〉災害地域のボランティアをやってたころに知り合った子。あんまり祐弥ちゃんくらいだとピンとこないかもしれないけど、当時の朔山市って本当に毎日毎日ニュースに出ててね。大学でも派遣ボランティアを募ってたりしたんだよ。そこで会って――」

「なんで?」

 だからこそ、知りたいのはそこじゃなかったのだ。

「なんで、あたしと永の記憶、取ったりしたの?」

 不思議なくらい、泣きそうな声になっていた。

 由祈乃も、そこでようやく、笑みが消える。するり、と祐弥から視線を外す。どこか遠くを見ているような目つきになる。

「耐えられなかったから。……ふたりも、私も。記憶っていうのはね、あればいいってものじゃないんだよ。つらい記憶なら、ない方がマシって思うこともある。

こっちに来てから二回、私は祐弥ちゃんと、永ちゃんの記憶を消してる。それはわかる?」

 祐弥は頷いて、

「〈エフェクト〉が出たときの、二回」

「うん。その二回はね、最初の、大本の一回を思い出させないようにするためにしたこと。〈エフェクト〉ってさ、放っておいたら消えちゃうんだよ。どんなに手の付けられない災害が起こったとしても、時間が経過すれば、少なくともその元になってた現象は消えてなくなっちゃう。たぶんそれと同じで、私が使う〈エフェクト〉も、ずっとは持たない。

 だから、何かきっかけがあって思い出そうとしているときは、もう一度忘れさせなくちゃいけない」

「何を?」

 祐弥は言う。

「何を、忘れさせたの」

 由祈乃は、そこで言い淀んだ。心配するような、憐れむような、そういう顔つきになる。

「……永ちゃんはね、〈朔山消失事件〉のときに、〈エフェクト〉と深く繋がっちゃったみたいなの。あの子が降霊会で話せるのは、〈エフェクト〉で死んだ人だけ。どういう仕組みになってるのかわからないけど、〈エフェクト〉にはその根幹になっている領域がある。たぶん、〈エフェクト〉の発生はその根幹になっている領域から、何かが漏れ出してくること。私たち〈エフェクター〉ができるのは、その根幹になっている場所から、何か決まったものを引き出してくること。

 永ちゃんは、ひょっとすると真逆なんじゃないかと思う。〈朔山消失事件〉では、綺麗さっぱり、山も、そこにいた人も忽然と消えてしまった。なのに、永ちゃんだけがそれを逃れた――そう考えるよりも、一度一緒に消えてしまったのを、永ちゃんだけが戻ってきたって考える方が、自然なんじゃないかと思う。

 私ができるのは、記憶を消すこと、記憶を戻すこと。それから、そのために記憶の大体の形を知ること。詳しい内容まではわからなかったけど、初めて会った頃のあの子の頭の中には、何千年生きていてもそうはならないだろうっていうくらいの、膨大な情報が入ってた。

 たぶんあの子は、〈エフェクト〉にすごく近い――、〈エフェクト〉を引き出してるんじゃなくて、〈エフェクト〉の側にいるはずのところを、どうにかしてこっちの世界に繋ぎ止めてるような状態なんじゃないかと思う」

「……よく、わかんない。〈エフェクト〉の根幹って、何なの」

「わからない。偶然性とか、不確定の領域とか、直感するものはあるけど、それが何なのか、私にはわからない。だから、なんだっていいよ。天国でもなんでもいい。あの子は違う世界に引っ張られようとしてた。違う世界で得てしまった情報のせいで、意識を押しつぶされようとしてた――。だから、私は永ちゃんの記憶を消した。消したっていうより、繋がりを切ったのかな。〈エフェクト〉の世界と、あの子の頭の中にある線を、記憶を消すことで、断ち切った」

「でもあいつ、降霊会とか、まだやってるよ」

「うん、知ってる。正直言うと、ああいうやり方はあの子の生活にとってよくないんじゃないかと思うけど……、でも、ガス抜きとしてはあのやり方、理にかなってるんだよ。

 永ちゃんが、あの降霊会で〈エフェクト〉の根幹から出てきてるのが本当に幽霊なのかどうかについては置いておくけど、あのとき、〈エフェクト〉側からの情報が、永ちゃんをすり抜けて、目の前にいる人たちに渡っていくみたいなんだ。だから、定期的にあれをすると、永ちゃんの頭の中に溜まってる〈エフェクト〉側の情報が洗い落とされていくみたい。私の〈エフェクト〉が永遠には続かない以上、そうやって圧を抜く他にやり方があるかといえば思いつかないし、ご両親もあの子のこと思ってやってるみたいだから、強くは言えなくて……」

 そうなんだ、と祐弥は相槌を打つ。

 少しだけ、ほっとした。心の中でひそかに、永の家族は永のことを、ひどく扱っているのではないかと思っていたのだ。でも、由祈乃が言うなら本当に心配ないのだと思う。あの儀式が、永の普段の生活にプラスになっているかといえば、ほとんど間違いなくそうじゃないだろう、と祐弥は思うのだけれど、それが理由が、目的があって行わされているものなのであれば、たとえやっていることは同じでも、意味合いはずっと違ってくる。

 そして、沈黙が訪れる。

 永の話が終わったから。次は、祐弥の話をすることになるから。

 じゃあ次は? あたしの話は? 言おうと思えば、いくらでも言えた。それでも言わなかったのは、それが意味ある沈黙だと、そう思ったから。

「――二週間」

 由祈乃は言った。

「二週間、考えてほしい。自分のことは自分で決めるっていう、祐弥ちゃんの考えはもっともだと思う。だけど、私だって、何も考えないで記憶を取ったんじゃないんだ。ちゃんと理由があって、そうした方がいいと思ったから、記憶を奪った。そのことをよく考えて、その上で選択してほしい」

 気付いたら、立ち上がっていた。

 由祈乃の前を塞ぐように、足を肩幅に開いて。たぶん、怒っていたのだと思う。祐弥は自分で、自分の頭が、かあっと熱くなっていることに気付いていた。そして溢れてくる言葉を止める気もまるで起こらなくて、

「あたしは――!」

「ダメだよ。ちゃんとこれは、考えて決めて。人間、重要なことを決めるときほど、先走って選択しがちだから――。よく考えて。二週間。それより長くも、短くもない。自分の記憶を取り戻すか、そうしないか。よく考えてほしい。重ねて言うけど、私は、祐弥ちゃんにとってその方がいいと思ったから記憶を奪った。それを念頭に置いて」

「だから! もうそんなのはわかってるよ! わかって、それでもちゃんと自分で知って、自分で決めたいって、」

「十五回」

 指先を。

 由祈乃が握った。祐弥の指先を。

 冷たい手だった。そして、弱々しい握り方だった。何かを懇願するようでもあったし、何か脆いものを大切に守るような手つきでもあった。

「十五回だよ」

 何が、と気圧されて、祐弥は震えた声で言った。

 聞かない方が、よかったのかもしれない。

「祐弥ちゃんが、自殺しようとした回数」

 それからのことを、祐弥はまた、よく覚えていない。

 記憶を消されたわけではないと思う。目に映っていたものであるとか、耳に届いたものであるとか、そういうものは頭に残っている。ただ、その意味まで咀嚼する余裕がなくて、ただ目の前で流れる、風景のひとつであるとか、そういう風にしか捉えられなかった。

 それからは、ひどく長い時間だった。



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