第二十六話 秋へ①
煌びやかなシャンデリアの照明に照らし出された空間には、芸術品のような料理と琥珀色の飲み物が所狭しと並んでいる。
この場に集うのは、宮家に連なる高貴な方々か、国政を担う重職の高官ばかり。
その圧倒的な存在感に、立っているだけで呼吸が浅くなる。
耳に入る笑っている声さえ、遠い。
「すみれお嬢様。少しはお顔の色が戻られましたね。何かお食事を取ってまいりましょうか?」
「いえ……今はまだ、何か食べられる気がしなくて。冷たい飲み物だけ、お願いしてもよろしいですか?」
「かしこまりました。すぐにお持ちしますね。ここで動かずにお待ちください」
信子さんが離れた後。
大勢の方々が華やかに歓談する人混みの中で、私の視線は無意識のうちに暁臣様のお姿を追いかけてしまう。
お母様やお姉様のように洗練された立ち振舞いもできず、かといって背景の一部として壁の花になりきることもできない。
ただそこに立っているだけなのに、自分の居場所がどこにもないような感覚が、胸を押した。
けれど——かつての園遊会の時のように、ただ暁臣様の腕に縋りつき、隠れるだけの自分ではなくなっている。
恐ろしくて地面だけを見つめ、俯いたまま固まっていた時間は、ほんの少しだけれど、減った。
私は今、ちゃんと立っている。暁臣様が、そうさせてくださった。
窓の外に広がる冬の空が、茜色から藍色へと沈みかけた頃。
儀式を終えた車が長い行列を作り、賓客たちが次々と乗り込んでいく。
それを見つめながら、私は次に訪れる『何か』を、胸の奥で予感していた。
「信子殿。今日は早朝からすみれに付き添ってくれて、本当に助かった。感謝する」
「信子さん、本当に……ありがとうございました」
「本来なら自宅まで送りたい所だが、すみれをそろそろ休ませてやりたい。別の車を用意させたので、そちらで帰宅してもらって構わないだろうか?」
「もちろんでございます。殿下、お気遣いなく」
疲れが限界に近いことを、暁臣様にはすべて見透かされていた。
園遊会の時のように倒れることはない——そう思っていたのに、身体が少し重い。足の先まで鉛でも詰まったみたいだ。
「良ければ、これをご家族で食べてくれ」
暁臣様はそう言いながら、四角く風呂敷で丁寧に包まれた箱のようなものを、信子さんに差し出した。
それは昨年、元旦に私のために持ち帰ってくれたのと同じ——。
視線が、勝手にそこへ吸い寄せられてしまう。
「ん?心配するな。すみれの分の御節も、用意させてある」
しまった……。
思わず、まじまじと見つめすぎてしまった。
暁臣様は私の心中を読み取ったかのように、口元をわずかに綻ばせる。
そして大きな掌を私の頭に添えて、ぽん、ぽん、と優しく撫でた。
その所作があまりに自然で、あまりに甘くて。
信子さんの「ふふっ」と言う楽しげな笑い声が聞こえ、私は顔から火が出るほど赤くなっている気がする。
暁臣様だけでなく、信子さんにまで『食い意地が張っている』と思われてしまったかもしれない。
——違う、と言い切れないのが余計に苦しい。
「すみれお嬢様、それではまた明後日、お伺いしますね。ゆっくりお休みになって」
「はい……お気をつけて。ありがとうございます」
信子さん、そして暁臣様のご家族をお見送りした後。
榊原様が待つ車の後部座席に乗り込もうとした、その時だった。
流れる人混みの隙間に、千鶴様のお姿を見かけた気がした。
——まさか。
反射的に視線を走らせた。
けれど次の瞬間には、幾重にも重なる人の波に遮られ、その影を見つけることはできなかった。
胸の奥に、先ほどまで封じていた痛みが、薄く滲む。
バタン、と車のドアが閉まる。
外の喧騒が完璧に遮断され、私はやっと、今日初めてと言えるほど深い息を吐き出した。
膝の上には、手配してくださった、御節の重箱。
風呂敷越しにも、まだほんのり温もりが残っている。
去年はまだ体調が戻りきっておらず、せっかくの御節も味を噛み締める余裕がないまま、少ししか口にできなかった。
今回は……去年よりも、もっとたくさん食べられるかもしれない。
——そんな自分を、少しだけ許してあげたくなる。
何より、昨年と同じように御節を用意してくれた暁臣様の心遣いが嬉しい。
そして、隣で当然のように繋がれている手の、確かな熱。
指先から、じんわりと体温が移ってくる。
「はぁ……。明日と、明後日が憂鬱でならないな」
「……え?そうなんですか?」
「ああ。明日と明後日は俺一人での参加になるからな。隣にすみれがいないと思うと」
「そんな……」
「本音だ」
独り言のように零した後、ふわりと暁臣様の頭が私の肩に預けられた。
柔らかな髪が頬をくすぐり、冬の冷たさを纏った香りが、一気に近くなる。
呼吸の重さが、すぐそばでゆっくりと揺れている。
暁臣様も、やはりお疲れなのだろうか。
今の私にできることは少ない。
けれど、この肩をお貸しすることで、少しでも安らげるのなら——。
私は愛しさを噛み締めるように、そっと自分の頭も彼の頭へ寄り添わせた。
触れ合う髪の感触が、胸の奥を甘く震わせる。
こんなふうに、ただ近くにいるだけでいい時間があるのだと、初めて知った気がした。
緊張の呪縛から解き放たれたからだろうか。
それとも、ようやく彼と二人きりに戻れたからだろうか。
窓の外は凍てつくような冬の夜。走る車の振動に合わせて、窓がじわじわと曇っていく。
なのに私の心は、驚くほど確かな暖かさで満たされていた。
——この手の熱がある限り、きっと私は、ここへ戻ってこられる。
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