第二十話 初めてのプレゼント②
最初に目に入ったのは、舶来の文房具が整然と並ぶ一角だった。
磨き上げられたガラス越しに、万年筆や琥珀色のインク壺が宝石のように並んでいる。
軸の色も、施された金の装飾も、ため息が出るほど繊細で綺麗——なのに。
……どれも、暁臣様のお部屋で見かけたことがあるものばかりだ。
『上等』と言うだけでは、彼には届かない。
そう思うと、急に自分の選択が怖くなった。
あのようなお邸に住まわれている暁臣様に、何を贈ればいいのだろう。
途端に、迷い子が深い霧の中に迷い込んだような心細さが襲ってくる。
そっと値札に目を向けると、ただの数字なのに、冷たく私を突き放しているような気がして、慌てて視線を逸らした。
こんな額のものを、私は本当に『選んでいい』のだろうか、と。
次の階へ進むと、そこは重厚な革の香りが漂うフロアだった。
時計、鞄、手袋、財布……。
どれも使い込まれることを前提とした上質な品ばかりで、近寄るのさえ気後れしてしまう。
それでも私は、暁臣様の顔を思い浮かべて、ゆっくりと一歩を踏み出した。
「……あ」
ふと、棚の端に置かれた一冊に、私の目が釘付けになった。
視線だけが、そこへ吸い寄せられていく。
深い深緑に近い、濃い茶色の革手帳。
派手な艶はなく、これ見よがしな装飾も一切ない。
静かで、潔い。——それなのに、確かな存在感があった。
導かれるように手に取ると、指先に吸い付くようにしっとりと馴染む。
革が、まるで『持つべき手』を知っているみたいに落ち着いた。
「お目が高いですね。そちら、舶来の牛革を贅沢に使ったもので、持ち主が使い込むほどに色が深まり、独特の風合いに育つお品ですよ」
店員さんの言葉が、ストン、と胸に落ちる。
お邸のご様子を考えると、暁臣様は舶来の物を好まれるような気もする。
何より『育つ』——と言う言葉。
暁臣様は、学校とお仕事でいつもお忙しそうで。
張り詰めた執務の手元に、年月をかけて育っていくこの手帳があったら。
膨大な書類に目を通し、五条家として重い決断を幾度も重ねていくその日々に——寄り添える気がした。
贈り物は、華やかで目を引くものだけがよいわけではない。
使うたびに、持ち主の時間が刻まれていくもの。
暁臣様の『今日』と『明日』に、そっと並んでいられるもの。
「……これなら、無駄には……ならないでしょうか」
「ええ。流行に左右されない、一生ものだと思いますわ」
伺うように信子さんを見ると、優しい微笑みで頷いてくれた。
その頷きが、私の背中を押す。
——けれど、値段を尋ねるのはやはり怖い。
数字を聞いた途端、手が勝手に引っ込んでしまいそうで。
「……おいくら、でしょうか」
「こちらは、三十五円でございます」
店員さんは、私の緊張を察したようにほんの少し間を置いてから、恭しく告げた。
三十五。
それが世間一般でどれほどの価値なのか、恥ずかしながら今の私には正確には分からない。
多いのか、少ないのか……それすら正直、よく分からない。
でも、不思議と——これを買っても、お財布はまだ軽くならない気がした。
『私にもできる』と言う手応えが、先に胸へ来た。
「……それでは、こちらを……お願いします」
声が、自分でも驚くほどか細く。
店員さんが丁寧に品を受け取り、恭しく奥へと下がっていく。
「……すみれお嬢様。せっかくですから、贈り物用に包んでいただきましょうか」
「……包む、と言うことが……できるのですか?」
ただ『買う』だけではない。
誰かに贈るために、心を込めて飾る。
そんな文化がこの世にはあるのだと、今さらのように知って胸が熱くなる。
ほどなくして戻ってきた店員さんの手には、美しい藍色の包みが載せられていた。
革の手帳は柔らかな白い紙に守られ、さらに品のよい箱に納められ、最後は深い色の紐で静かに結ばれている。
その瞬間——ただの『品物』だった手帳が、世界にたった一つの『贈り物』へと変わっていった気がした。
『暁臣様のためのもの』として、形を与えられた気がした。
「ありがとうございます……」
両手で受け取ると、掌から暁臣様への想いが伝わっていくような錯覚を覚える。
……本当に、買ってしまった。
人生で初めての、私から誰かへの贈り物。
胸の奥で、小さく希望の鐘が鳴る。
嬉しいのに、少しだけ怖い。
この包みを渡す時、暁臣様はどんな顔をされるのだろう。
戸惑われるだろうか。それとも、喜んでくださるだろうか。
そう思うと、窓の外に広がる紅葉よりも鮮やかな期待が、胸の中にそっと広がっていった。
大切に包みを抱えて歩き出すと、隣の信子さんが小さく咳払いをした。
「……すみれお嬢様。もしよろしければ、お嬢様用の巾着なども見てみませんか?」
「私の……巾着、ですか?」
「はい。先ほどからお財布を直接袂に入れてらっしゃいましたから。大切なものを守る入れ物も必要ですよ」
信子さんが視線を向けた先には、色とりどりの小物が並ぶ一角があった。
ちりめんで作られた、ころんとした巾着。
網目の美しい籠のような巾着。
小さな世界なのに、そこにも『選ぶ楽しさ』が詰まっている。
「少し、見てもいいですか?」
「もちろんです。ゆっくり見て回りましょう」
どれも可愛らしくて目移りしてしまう。
けれど、いざ自分の物となると、どれが私に相応しいのか余計に分からなくなってしまう。
『自分の物を選ぶ』と言う行為は、まだ慣れない。
迷いながら歩いていると、ふと、ガラスケースの中に並ぶ帯留めに目が留まった。
掌に収まるほどの小さな世界。派手さはない。
けれど驚くほど精密な細工が施され、息を呑む。
銀細工、七宝、陶器——。
どれも上品で、控えめで、凛とした美しさがある。
そんなことを思いながら覗き込んでいると、ケースの隅に置かれた一つに、心が強く引き寄せられた。
「……これ」
白を基調にした小さな花の帯留め。
鈴のように慎ましやかに下を向いた形が、寄り添うように連なっている。
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