第十五話 恋への気づき②
つい数秒前に、あれほどの言葉を吐いていたとは思えない。
いつも通りの、優雅な笑み。
それが、なおさら怖い。
『何もなかった顔』で、人はここまで残酷になれるのだろうか。
「すみれお嬢様、すぐにお一人で……逃げて!」
「そんなっ……信子さんを置いてなんて、ダメです!!」
「盗み聞きなんて、はしたないですわよ?」
さらりと告げられたその一言が、首筋を撫でる刃のように冷たい。
千鶴様の合図で現れた数人の男たち。
私は抵抗する間もなく、滞在していた客間とは別の——鍵のかかる部屋へ、信子さんと共に押し込められた。
扉が閉まり、鍵がかかる。
その音で、現実が確定していく。
私のせいで、また信子さんを巻き込んでしまった。
あの暗い蔵にいた幼い頃。
一度、あんなにご迷惑をかけてしまったのに。
それでも信子さんは、私を見捨てずにいてくれたのに。
再び私に関わってしまったせいで——。
「見張りを置きますので、大人しくなさっていてくださいましね」
「千鶴様!このことが殿下のお耳に入ったら、ただでは済まされません!」
「そちらの方に、発言は許してなくてよ」
「……千鶴様、お願いです。どうか、どうか信子さんだけでも……。彼女には、待っているご家族がいるのです」
床に膝をつき、必死に頭を下げる。
額が畳に触れ、視界が暗くなる。
それでも言わずにいられなかった。
——私のせいで、信子さんまで……そんなの耐えられない。
その上から、千鶴様の声が降ってくる。
「ご安心なさって。ずっとなんて言いませんわ。
ただ……すみれ様が、暁お兄様との婚約破棄を承諾していただければ。
すぐにでも、お二人を解放して差し上げますわよ?」
「……婚約……破棄……?」
「正しい形に、あるべき姿に戻さなければならないの。ね?分かってくださるでしょう?」
私が……それを受け入れれば、信子さんを助けられるの?
——やはり、私は『無華』だから。
不幸を呼んでしまう、この忌まわしい眼が……。
こんな私が暁臣様の隣を望んでしまったから、周囲の人々を傷つけてしまう。
暁臣様が迎えに来てくださった時に、帰っていれば。
信子さんが来てくださった時に、迷わず帰っていれば。
なぜ私はこうなのだろう。
わずかばかりの幸せを望むたび、それ以上の不幸を呼び込んでしまう。
手を伸ばすたび、指先から砂のように崩れていく。
「……っ」
でも——それでも。
私は、諦めきれない。
ずっと、この胸の奥で燻っている感情の正体が分からなかった。
ただ暁臣様に『婚約者に』と望まれたから。
暗闇から救い出し、居場所を作っていただいたから。
だから、隣に立ちたい、相応しくなりたい——そう思っていた。
けれど……これは、きっと違う。
胸の奥の熱は、もっと生々しい。
痛いほど、ほしい。
「……千鶴様……」
千鶴様が暁臣様に近づくのが、たまらなく嫌だ。
暁臣様の隣で笑うのは、他の誰でもない、私でありたい。
胸を掻き毟るような嫉妬。
独り占めしたいと言う、強烈な独占欲。
私には縁のないものだと思っていた感情が、今、骨の髄まで満ちていく。
この感情は——
『恋』に他ならない。
私は、あの寡黙で優しい暁臣様が好きで、心から恋をしている。
これが恋でなくて、なんだと言うのか。
私の最初で最後の恋。
私の世界を変えてくれた、暁臣様。
この命も、この想いも、すべてをあなたに捧げたい。
たとえそれが、怖くて、苦しくて、震えるほどの願いでも。
「……暁臣様の婚約者は……私です」
千鶴様の冷たい視線を、真正面から受け止める。
声は震えた。
けれど、言葉だけは折れなかった。
暁臣様だけは……誰に脅されようと、決して手放すことなんてできない。
『無華の花嫁』が、スターツ出版文庫より2026年9月28日に刊行予定です。
https://novema.jp/bookstore/schedule
書籍版ではWeb版から大幅に改稿し、展開や描写も加筆しております。
こちらのWeb版は、書籍版とは一部構成・時系列が異なる形で、Web版として続きを更新していく予定です。
書影などの詳細が公開されましたら、また改めてお知らせいたします。
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