第十三話 完璧に圧倒される②
「……分かりました。では、私もお嬢様にお付き合いいたします」
「そんな!信子さんにはお子様がいらっしゃるのに……」
「元々、殿下からのご依頼は『こちらでの』お嬢様のお世話ですもの」
暁臣様は、最初からこうなることを見越していたのだろうか。
信子さんがいれば、私は一人ではない。
「ふふ、二人でお泊り会ですね。なんだか楽しそうです」
「お泊り会……。はい、そうですね」
「お嬢様がご結婚されたら、きっとこんなこともできなくなりますし」
結婚。
信子さんは、私が暁臣様の妻になれると、疑いもなく信じてくれている。
自分のためだけじゃない。
私を信じ、案じ、こうして駆けつけてくれた人たちの期待に応えたい。
もっと早く、あの方のようにならなければ。
私は信子さんの手を取り、自分に言い聞かせるように、強く、静かに頷いた。
昼を過ぎたころ、静まり返っていた邸内がにわかに慌ただしくなる。
遠くで響く車の音、規律正しく動く奉公人たちの気配。
——きっと、学校から千鶴様がご帰宅されたのだ。
出迎えのため、玄関に整列する女中さんたちの最後列へ、そっと紛れ込むように並ぶ。
しばしの静寂のあと、重厚な扉が開く音が邸内に響き渡った。
一斉に深く頭を下げる人波に合わせ、釣られて私も慌てて視線を落とす。
「あら、すみれ様まで?あまりに馴染んでいらしたから、一瞬気が付きませんでしたわ」
千鶴様は立ち止まり、微笑みながら私を見下ろした。
本来なら客人として遇されるべき身でありながら、自然と末席の奉公人に混じってしまう私。
そしてそれを、嫌味一つなく『馴染んでいる』と言い切れる彼女。
——これこそが、私と千鶴様の間に横たわる、埋めようのない決定的な差だった。
「すみれ様。千鶴をお手本にしたいのでしたわね?こちらへ」
「……はい。よろしくお願いいたします」
千鶴様の背を追って廊下を歩く。
やはり、歩く姿さえ芸術品のように美しい。
私のように周囲の視線に怯え、肩をすぼめるような猫背とは無縁だ。
迷いなく、堂々と。
ただそこに在ることが正しい、と疑いもしない足取り。
きっと、こんなふうに歩けたなら。
暁臣様が用意してくださった、あの美しい着物も、モダンな洋服も、身体の一部みたいに着こなせるのだろうか。
「千鶴、これから学校の課題を片付けなければなりませんの」
「……課題、ですか」
「ええ。すみれ様は、よろしければ隣でじっくり見てらして?」
『じっくり』——その言葉通り、千鶴様の挙動のすべてを網羅しようと目を凝らす。
机に向かう時の背筋の曲線。
万年筆を握る白い指。
紙をめくる際の、かすかな衣擦れの音。
瞬き一つ、呼吸一つ。
その一挙一動のすべてが無駄がなく、ただ圧倒されるばかり。
「ふふっ。すみれ様は、本当に素直でいらっしゃいますのね」
「え……?」
「千鶴、不思議に思っておりますの」
柔らかな声のまま、言葉だけが一段、深い所へ落ちた。
「……暁お兄様は、なぜ、すみれ様を選んだのかしら?」
不意に投げかけられた核心。
なぜ——それは私自身が幾度も自分に問い、そのたびに答えを見失ってきた問いだ。
『無華』で、何の『異能』も持たず、ただ震えているだけの私。
それでも『側にいてほしい』と望まれ、私も応えたいと願った。
……少なくとも、私はそう思っている。
けれど暁臣様は、本当は私の何を見ていらっしゃるのだろう。
「千鶴の方が、ずっと暁お兄様に相応しいと思いませんこと?」
「っ……」
否定したかった。
——けれど、喉がきゅっと縮んで、声が出ない。
私自身も、心の奥底でそう思っていたから。
お二人が並び立つ姿は、眩いほどに美しく。
誰に尋ねたって、『その通りだ』と答えるに違いない。
「あの……暁臣様は、『黒薔薇』の『異能』を……」
「ええ、もちろん存じ上げておりますわ」
触れるものすべてを塵芥に変える、暁臣様の『異能』。
この世界で唯一、彼が素手で触れられる相手。
それが私だと——そう聞いている。
「けれど千鶴は、宮家の王女であり、『青薔薇』ですわ。……この世に恐れるものなど、何一つありませんわ」
千鶴様は、ためらいもなく微笑んだ。
誇らしげに、真っすぐに断言する姿。
私では一生かかっても持ち得ることができない、全身から放たれる自信。
考えて、考えて、結局いつも怖いものに蓋をしてしまう卑屈な私。
自らの血と生き方に誇りを持つ彼女。
千鶴様は——暁臣様を愛している。
そしてもし、暁臣様が千鶴様に触れることさえできたなら。
私なんかが、彼女に敵う道理など、どこにもない。
千鶴様のような『光』を差し置いて、この私が選ばれる未来なんて、想像することさえおこがましい。
ただ『暁臣様に触れられる』。
それだけを唯一の絆として縋ってきた。
けれど今、圧倒的な品格と力を持って隣に座る千鶴様の前では、その一点さえ、何の意味も持たない虚しい偶然のように思えてならなかった。
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