第十二話 迎えの手①
車が止まった瞬間、世界を包む音の響きが、二週間前とは違って見える。
暁臣様と共に訪れたはずの鷹宮家。
けれど、隣に彼の体温がないと言うだけで、車輪が砂利を踏み締める音さえも、低く、深く、私の気持ちを吸い込むようにして消えていく。
車を降り立つと、足の裏に伝わる感触がわずかに柔らかい。
踏み固められてきたはずの道なのに、どこか湿った土の気配が残っている。
重厚な門の前で、千鶴様が一度だけ、優雅に振り返る。
「どうぞ、すみれ様。歓迎いたしますわ」
その一言。その微笑み。
それだけで、私は反射的に彼女の半歩後ろへと下がってしまった。
無意識に刻まれた序列に気づき、慌てて歩幅を合わせようとする。
けれど、焦りはさらなる不調和を生むだけだった。
玉砂利を踏む音すらも、私と彼女では全く違う。
私の足音は、どれだけ静かに歩こうとしても、どうしても砂利同士がぶつかり合う雑な音が混じる。
対して、千鶴様の足音は、ほとんど聞こえない。
あんなに踵の高い靴を履いていながら、地に触れる瞬間、砂利一つ鳴らさない。
どうして——?
歩幅、重心の置き方、そして視線の配り方。
足元を一切見ず、前だけを見据えて迷いなく進むその一歩一歩が、生まれた時から譜面に書き込まれているかのように完璧だった。
玄関に上がり、敷居の前で、千鶴様は一瞬だけ足を止めた。
それは迷いでも躊躇でもない。
——確認。
畳に足を乗せる角度。畳の縁を、寸分違わず避ける位置。
私は彼女の動きを見てから同じように真似ようとして——わずかに動作が遅れる。
その一瞬の遅れが、私の心象風景にだけ、畳の縁を不格好に焼き付けた。
踏んで、いない……よね?
心の中で自問自答している時点で、もう、私と彼女は同じ地平には立っていないのだ。
静まり返った廊下を進む。
板の間に移ると、私が歩くたびに古い木材が悲鳴をあげるようにギシッと撓る。
けれど、前を行く千鶴様の足音は、やはり鳴らない。
滑るように、まるで風に流されるように、彼女は移動していく。
背筋は美しく伸び、指の先まで意識が通っているのに、不思議とどこにも余計な力が入っているようには見えない。
——考えて、やっているのではないのだ。
この人は産声を上げたその瞬間から、こうして生きることを宿命づけられてきたのだろう。
すべての動きが血肉に染み込み、呼吸と同じように当たり前にできてしまう。
そうやって、今の千鶴様ができている。
千鶴様は何も言わない。
ただ、折に触れて振り返り、慈しむような笑みを浮かべるだけ。
その笑みが、なぜだか『上手にできていますか』と静かに問いかけてくるようで。
私は答えを持たないまま、ただ頷くしかなかった。
その静かな優しさに、胸が潰れそうになる。
彼女の一つ一つの所作が、『ここは、あなたの居場所ではありません』と、優しく告げてくるみたいで。
私……。
今まで、暁臣様のお邸では、ここまで己の不格好さを意識したことはなかった。
それは私が優れていたからではない。
暁臣様や邸の人たちが、あまりにも不器用な私に寄り添い、歩幅を合わせてくれていただけだったのだ。
千鶴様は、違う。
きっと暁臣様は、彼女が相手であれば、手加減も譲歩もする必要がない。
二人が並んだ姿——あまりにも容易に想像できてしまった。
そう思った瞬間、邸の床が、私の足元からほんの少しだけ遠ざかった気がした。
——これが、『相応しい』と言うことの、本当の意味。
胸の奥で、冷たく静かに、その絶望を理解してしまった。
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