第一話 隣室のはじまり③
「暁臣様……これは……?」
「開けてみるといい」
ある日の穏やかな夕食後。
暁臣様から手渡されたのは、吸い込まれるような光沢を放つ、見事な漆塗りの箱だった。
両手で受け取った瞬間、ずしりとした重みが掌に伝わる。
こんな立派なものを——私が?
そっと蓋を持ち上げると、微かに木の香りが鼻をくすぐった。
中には、端正な装飾が施された数本の鉛筆と、真っ白な消しゴム。
そして、上質な紙の束が、きちんと揃えられて収められていた。
……筆記道具。
それも、私が今まで触れたことのないほど高価で、美しい道具だ。
つい先日、あんなに素晴らしい家具を用意していただいたばかりなのに。
まだ何一つ返せていないのに。
どうして、また——。
「……朝霞家のことを調べさせてもらった」
暁臣様の声が、夕食後の静けさに落ち、思わず背筋を固くする。
「すみれは一度も学校に通ったことがないな?」
「……っ、はい……」
図星を刺され、私は肩を竦め、俯いた。
家の中では、ずっと加護を持つ妹の百合と比較され続け、私の存在はすべてが『無駄』だとされてきた。
父も継母も、『無華』である私が外に出ることを極端に嫌い、世間の目から隠し続けてきたのだ。
学校に通うなどと言う夢のような話。
口に出すことさえ、許されなかった。
二歳下の百合が通学し始めた日の、あの胸を抉られるような疎外感。
制服の袖が揺れたこと。
新しい鞄の革の匂い。
家族が『百合は立派ね』と笑った声。
私は今も、それを鮮明に覚えている。
「読み書きの方はどうだ?」
「あ……の。先日お会いした信子さんに、平仮名とカタカナを少しだけ教わったくらいで……。漢字などは、ほとんど……」
消え入るような声で、やっとの思いで絞り出した。
こんな話、きっと呆れられてしまうに違いない。
いつまでも隠し通せるとは思っていなかった。
けれど、いざ自分の口で認めるのは、これ以上ないほど惨めで仕方ない。
『無華』であるだけでなく、最低限の学も教養さえもない。
空っぽな自分を、できることなら暁臣様には知られたくなかった。
「そうか」
短く返されただけで、心臓が縮む。
『相応しくない』と、冷たく突き放される覚悟は——できていた。
「……学校にも満足に通わせてもらえない環境で、独学でそれだけ身につけたのだな。よく頑張った」
耳に届いたのは、驚くほど優しく、慈しみに満ちた声だった。
息を止めたまま、恐る恐る顔を上げる。
そこには、私を蔑む色など微塵もない、優しい暁臣様の瞳があった。
責めるのではなく、ただ『見て』くださっている瞳。
それだけで、喉の奥が熱くなる。
——どうして、この方はこんなにもお優しいのだろう。
向けられた善意を素直に受け取れず、まず先に『傷つく前に心を閉ざそう』としてしまう自分が情けない。
卑屈で、自分のことしか考えていない臆病な心が、じくじくと痛んだ。
ブックマーク、★★★★★、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




