表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【Web版】無華の花嫁2~花開く乙女は、お妃教育の先で黒薔薇の殿下に溺愛される~  作者: 木風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/38

第十話 喫茶店のオムライス②

 すみれの手を離さぬまま、夜の闇に沈む車のドアを開けた。


 榊原が運転する車に乗り込み、夜の帳が下りた街をしばらく走らせる。

 車内には静寂が満ちていたが、それは鷹宮家で感じた刺すような沈黙ではない。

 窓ガラス一枚の向こうに街灯の流れがあり、俺の隣にすみれの呼吸がある——

 それだけで、守られたような安堵が生まれてしまう。


「……ここで、いいか」


 何度か訪れたことのある、ひっそりと灯りの残る喫茶店の前で車を止めさせた。

 扉を開けて中に入ると、外の冷え冷えとした夜気とは対照的な、珈琲の香りとほっとする温度が肌を包み込む。使い込まれた木の床。丁寧に磨き上げられた無垢材の卓。

 そして、どこか懐かしく食欲を刺激する、甘酸っぱい匂い。


 椅子を引いてやると、すみれは戸惑いながら、壊れ物を扱うような仕草で腰を下ろした。

 指先が、まだ硬い。視線が、まだ揺れる。

 鷹宮家の広間に置いてきたはずの緊張が、彼女の皮膚に薄く張り付いているのが見て取れる。


 ——茶会はついでだ。


 出発前、確かにそう口にした。

 彼女の肩から少しでも力を抜くための、半ば冗談のつもりだった。

 だが今は、違う。

『ついで』なのは茶会の方で、俺にとって本当にほしいのは、こうして彼女の表情がほどけていく時間だ。


「何か食べよう。晩餐の席では、ほとんど何も口にしていなかっただろう」

「……すみません。……機会を逃してしまって」


 すみれは申し訳なさそうに一瞬だけ目を伏せる。

 謝る必要などないのに、彼女の口は反射で謝罪を吐く。


 やはり、か。

 あのような場所で、彼女が食事を楽しめるはずもない。

 俺はメニューを一瞥し、ウェイターを呼ぶと、迷わず告げた。


「俺が選んで構わないか?」

「はい……お願いします」

「では、オムライスを二つ。それと、紅茶をホットで」


 運ばれてきた皿を前に、すみれは少し驚いたように瞬きを繰り返した。

 皿の上には、ふっくらと焼き上げられた黄金色の半月。

 たっぷりとかけられたケチャップの鮮やかな赤が食欲をそそり、湯気がトマトの甘酸っぱい香りを運んでくる。


「……卵、ですか?」

「そうだ。中はチキンライスになっている」

「ちきん、らいす……」


 説明は簡素だったかもしれない。

 だが、すみれは恐る恐るスプーンを入れ、一口分を丁寧に口へ運んだ。

 熱さを我慢するように目をぎゅっと閉じ——次の瞬間、表情がぱっと花が開くように変わった。


「……っ!」

「どうだ」

「……おいしい、です。すごく……熱いほどで……」


 その素直な感嘆に、思わず視線が逸れる。

 自分でも驚くほど、胸の奥が静かな充足で満たされていく。

 すみれの小さな口が、一口、また一口と動くたび、彼女の肩がほんの少しずつ下がっていく。

 鷹宮家を出た時の凍りついた張りが、嘘のように溶ける。


「……茶会の前に、話しただろう」


 不意に、出発前のやり取りが脳裏を鮮明に過る。


『茶など適当にしばくだけでいい』

『……ぷっ。し、しばく、なんて……』

『帰りにどこか、すみれが喜びそうな喫茶店にでも寄ろう。茶会はそのためのついでだと思えばいい』


 あの時は場を和ませるための戯言だった。

 だが、こうして向かい合っていると、何物にも代えがたい実感が湧いてくる。


「約束、守れたな」

「……え?」

「茶会のついでに、こうして喫茶店に寄ると言う約束だ。寄れて、よかった」


 すみれは一瞬呆気にとられた顔をし、それから小さく、本当に幸せそうに笑った。

 その屈託のない笑顔を見て、確信する。

 社交の席で比べられる必要などない。

『無華』だの『王華』だの、血筋や格式といった言葉に晒される必要もない。

 こうして温かいものを食べ、穏やかに笑っている時が、彼女は一番美しい。


「他にも、何か頼むか?甘いものもある」

「……いえ、そんな……これだけで十分です。そんなに、食べられません」

「なら、次の機会にしよう」


 言いながら、自分でも不思議に思う。

 どうして、こんなにも——。


 もっと食べさせてやりたい。

 その華奢な身体を、安堵で満たしてやりたい。

 奪われてきたものを、怖い思いをした分を、俺が取り戻す。

 それは救いの形をしているが、同時に、誰にも触れさせたくないと言う渇きに近い。


「……暁臣様。今日、ここに連れてきてくださって……本当に、ありがとうございます」


 その真っすぐな謝辞に、即答できなかった。

 礼を言われるようなことではない。

 あの場にこれ以上彼女を置いておくつもりはなかった——ただそれだけだ。

 ……いや、もっと正直に言うなら、俺が耐えられなかった。


「……俺が、すみれとこうしたかっただけだ」


 それだけ告げると、すみれは何も言わず、また少しだけ微笑みながらスプーンを動かした。

 黄金色の卵が、皿の上で少しずつ、彼女の中の暗い記憶を薄めていくように見える。


 本当なら、あのような場へ行くこと自体、彼女にとっては苦痛だったはずだ。

 だが俺にとっては、すみれと言うこの世で唯一無二の存在が俺の隣にいることを、世界へ周知させるための通過儀礼に過ぎない。


 ——次は、もっと静かで落ち着いた場所へ。

 ——誰にも邪魔されず、彼女の笑顔だけを眺めていられる場所へ。


 そんな独占欲に満ちた考えが自然と浮かび、俺は夜の喫茶店の片隅で、音を立てぬように吐息を漏らした。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちらの作品もよろしくお願いします
▶ 無華の花嫁
〜蔵に囚われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される〜
和風恋愛/大正ロマン/シンデレラストーリー/華族/無華の少女/黒薔薇の殿下/溺愛/異能
本作品の文章・タイトル・設定等の無断転載、無断複製、生成AIへの入力および学習利用を禁じます。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ