表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【Web版】無華の花嫁2~花開く乙女は、お妃教育の先で黒薔薇の殿下に溺愛される~  作者: 木風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/32

第四話 倒れる理由③

「あれ……私……?」


 重い瞼を押し上げると、視界に飛び込んできたのは見慣れた薄紫色の天蓋だった。

 柔らかな絹の布地が、天井から優しく揺れている。

 ——私の部屋。私のベッド。

 なのに、身体の芯だけが冷たくて、現実感が薄い。


「——目が覚めたか」


 低く、けれどどこか硬い声に弾かれたように視線を送る。

 ベッドの傍らに置かれた椅子に、腕と脚を組み、険しい表情で座る暁臣様の姿があった。

 ランプの灯が頬骨の影を強く作り、いつもより鋭く見える。


 暁臣様が、もうご帰宅されている……。

 窓の外は、すでに濃い夜の闇に塗り潰されていた。

 ——夜。

 お迎えにも行けていない。


 どうしよう。

 お出迎えもできず、こんな所で眠りこけてしまうなんて。

 お仕事で疲れ果てていらっしゃるはずなのに、お食事の用意も、お召し替えの手伝いも、何一つ……。

 何もできない。

 また、何も。


 呆然とする頭の隅で、昼間の記憶が断片的に蘇る。


 篠塚様との二度目の授業。

 柔らかな微笑みの奥にある、逃げ場のない完璧な所作。

 優しい声で、正しい形だけを示され続ける怖さ。

 心臓が早鐘を打ち、息が浅くなり、指先が冷えた。

 そして——冷たい溜息を吐き出された、と感じた次の瞬間。

 視界が、真っ暗に沈んだのだ。


 鉛のように重い身体を、必死に起こそうともがく。

 起きなければ。謝らなければ。役に立たなければ。

 でも、身体が言うことをきかない。


「無理に起きようとするな」


 暁臣様の声が、少し近い。

 怒っているのか、焦っているのか、私には分からない。


「医師によれば、過度の緊張と疲労による知恵熱だそうだ」

「いえ……あ……あの、申し訳、ございません……っ」

「——謝るな」


 短く遮られ、喉がきゅっと縮む。

 けれど、止まらない。

 謝る以外の言葉が、見つからない。


「夜もずっと、筆を動かしていたな?すみれがしたいようにさせたいと思い、何も言わずにいたが……」


 喉が焼けるように熱い。

 また、私なんかのために、貴重なお医者様を呼ばせてしまった。

 診察代は、お薬代は、いったいいくら掛かってしまったのだろう。


 そのうえ、暁臣様に看病までさせてしまうなんて。

 私を想って篠塚様を呼んでくださった厚意を、ただ台無しにしただけではなく、恥までかかせてしまったのではないか。

 胸の奥がぐちゃぐちゃになって、息が苦しい。


「なぜ、我慢する」


 暁臣様の声に、これまでにない鋭い色が混じる。

 その一言で、身体がびくりと跳ねた。


「なぜ、俺に何も言わない。……なぜ、もっと早く頼らないんだ」


 我慢……。

 我慢って、なんだろう。

 私は、我慢なんてしていたのだろうか。

 どこまでが耐えるべきことで、どこからが声を上げるべきことなのか。

 その境界線さえ、私にはわからない。


 だって、これまでの人生、どんな理不尽だって、私が飲み込むのが当たり前だったから。

 頼るなんて、何をどうやって言葉にすればいいのかも知らない。

 もし今していることが『我慢』なのだとしたら、それは私が息をするのと同じくらい、当然に繰り返してきた生存の術なのだ。


『無華』で何の価値もない私が、誰かに甘え、頼ることで、これ以上の迷惑をかけてしまったら?

 もし、その図々しさを嫌われて、捨てられてしまったら……?

 ——その恐怖に比べれば、身体の痛みや心の摩耗など、取るに足らない。

 そう思ってしまうくらい、私は怖い。


「ちっ……」


 暁臣様が小さく舌打ちをし、苛立ちを隠さぬまま無造作に髪を掻き毟る。

 その、ほんの僅かな拒絶の仕草だけで、私の身体は石のように固まった。

 条件反射で目蓋が落ち、視線を上げることができなくなる。

 ——怖い。怒られる。見捨てられる。


「この土日は一切の勉強を禁ずる。大人しく静養するように」

「あ……っ」


 言い返す言葉が出ない。

 でも、言い返したいわけでもない。

 ただ、拒絶されたように感じてしまう自分が、怖い。


「……ゆっくり休め」


 それだけ言って、暁臣様は立ち上がった。

 去っていく背中。

 離れていく体温が悲しくて、行かないでと縋り付きたいのに、声が喉に張り付いて出てこない。

 滲んだ視界の中で、ただ遠ざかる足音を見送ることしかできなかった。


 私が倒れさえしなければ、今頃、暁臣様は穏やかな晩餐を楽しめていたはずなのに。

 その大切な安らぎの時間すら、私の無能さが奪い取ってしまったのだ。

 私なんかが……『普通の人』のような幸せを望んでしまったから。

 だから、あんなに優しかった暁臣様に、あんな顔をさせてしまったんだ。


 言い訳をしたら、殴られる。

 期待に応えられなければ、暗い蔵に閉じ込められる。

 暁臣様が絶対にそんなことをしないお方だと言うことは、嫌と言うほど理解しているはずなのに。

 それなのに、恐怖の記憶が視界を狭め、身体を容赦なく支配していく。


「ぁきおみ、さま……」


 喉の奥で、絞り出すように漏れた声は——。

 バタン、と言う非情な音を立てて閉まった扉に、無慈悲に掻き消された。


 何度も聞いてきた、扉が閉まる音。

 けれど今の私には、それがとてつもなく重く、心臓を押し潰す石のように響いた。

 それはまるで、あの冷たく仄暗い蔵の中で、外の世界から切り離された時に聞いた、鉄の扉の音を思い出させるほどに。

 胸が痛い。息ができない。


 その夜、暁臣様と出会って初めて、私は夕食の席に呼ばれることはなかった。

 それが彼の深い怒りの証のように思えて、私はただ一人、暗闇の中で、張り裂けそうな胸を抱えて怯え続けるしかなかった。


 ——もし、ここから追い出されたら。

 また蔵に戻ることになるのだろうか。

 そんな馬鹿げた想像が、現実みたいに、私の喉を締め上げた。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちらの作品もよろしくお願いします
▶ 無華の花嫁
〜蔵に囚われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される〜
和風恋愛/大正ロマン/シンデレラストーリー/華族/無華の少女/黒薔薇の殿下/溺愛/異能
本作品の文章・タイトル・設定等の無断転載、無断複製、生成AIへの入力および学習利用を禁じます。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ