第三話 祝賀会の話②
「……困ったな。もっと色々な服を買い与えたくなってしまう」
「っ、そんな……!今のままでも十分すぎるほどです……っ」
「ふ……少し困らせ過ぎたな」
低く笑う息が、耳元に落ちる。
甘い声のせいで、心臓の鼓動まで早鐘を打つ。
「さあ、部屋に戻って食事にしようか」
暁臣様に大きな手で導かれるまま、部屋へと向かう。
こんなに優しく、大切にされる日々が、本当に私の身に起きていることなのだろうか。
未だに、覚めることのない幸福な夢を見せられているような心地だった。
——もし夢なら、どうか覚めないで、と祈ってしまうくらい。
やがて、穏やかな空気の中で食事を摂りながら、暁臣様が今日のお妃教育について問いかけた。
「藤波はどうだった?厳しくなかっただろうか」
「あの……はい。とても、ためになることばかりで……。藤波様は、私のような者にも真摯に向き合ってくださいました」
「そうか。……だが、少し疲れが出ているようだな。食があまり進んでいないようだが」
生まれて初めて、『学び』と言うものに触れた一日。
疲れていないと言ったら、それは嘘になる。
全身に脱力感と、それ以上の緊張の残滓がこびりついていた。
箸を持つ指先が、ほんの少しだけ震える。
けれど、初日から弱音を吐いて根を上げるような真似をすれば、きっとこの場所に留まる資格を失ってしまう。
——そんな理屈のない恐怖が、体の奥に染みついている。
普通の家の子であれば、幼い頃に当たり前に身につけていたはずの作法や教養。
それを十八歳になるまで放棄させられていたことの報いが、今、一気に押し寄せているだけのことなのだ。
遅れているのは、私のせいではない。
そう分かっていても、『私が駄目だから』と責める癖だけは、どうしても消えない。
「……少しだけ、考え事をしてしまいました。お食事、とても美味しいです」
「そうか。無理をしているのではないならいい」
暁臣様の声は、穏やかなのに、背中を撫でられるように優しい。
それが逆に、涙の堤を緩めそうで、私は必死に飲み込む。
「何か思うことがあれば、どんな些細なことでも俺に言うように。いいな」
暁臣様の眼差しは、どこまでも過保護で、どこまでも深い。
その深さに、私は救われ、そして怯える。
深すぎるものは、いつか失うのが怖くなるから。
「元旦には、宮中での新年の祝賀会がある」
「祝賀……会、ですか」
「ああ。その時には、すみれには婚約者として、同席してもらうことになる」
——え……。
暁臣様は『ゆっくりで構わない』と仰ってくださったけれど、元旦までは、もう七カ月ほどしかない。
その短期間で、この無知な私が、宮中の洗練された方々と肩を並べられるほどに成長できるのだろうか。
息が浅くなる。
胸の奥が、冷たくなる。
「その前には、茶会にも一回か二回は出ることになる。すみれをお披露目できるのが楽しみだ」
そんな……。
あの園遊会でさえ、押し寄せる視線の重圧と疲労から、戻ってきてすぐに倒れて寝込んでしまったと言うのに。
茶会に、そして祝賀会。
間違いなく、私はまた『無華』である証拠のこの瞳を、多くの人々の好奇の目に晒すことになる。
想像しただけで、指先から血の気が引き、背筋に冷たい戦慄が走った。
身体が固くなり、食器の音さえ怖い。
けれど……逃げるわけにはいかない。
暁臣様の隣にいたい。
私に触れて、愛を囁いてくれる彼のこの手を、絶対に手放したくない。
そのためには、私が変わらなければならないのだ。
心のざわめきを無理やり抑え込むように、私は膝の上で、すみれ色のワンピースの布地をぎゅっと固く握りしめた。
掌に残る温もりが、消えないうちに。
『逃げない』と決めた証を、ここに刻みつけるみたいに。
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