第三話 祝賀会の話③
翌日。
午前中の柔らかな陽光が、昨日と同じ応接間に差し込む頃。
再びその部屋へと通された私の胸には、昨日とは質の違う、ざわざわとした落ち着かない風が吹き抜けていた。
藤波様の放つ、凛とした、けれど公平な厳しさとはまた別の——
もっと得体の知れない、肌を刺すような緊張感。
理由が分からないからこそ、余計に怖い。
身体のどこかが『逃げろ』と小さく警鐘を鳴らしているのに、私は逃げられない。
「お時間でございます」
控えていた女中さんの鈴を転がすような声に続いて、重厚な扉が音もなく開かれた。
室内に入ってきたのは、藤波様よりもまだ若く見える、たおやかな女性だった。
三十代半ばほどだろうか。
淡い若草色の訪問着をさらりと着こなし、その立ち居振る舞いには一切の無駄がない。
柔和な笑みを浮かべてはいるものの、その瞳の奥には、長年かけて磨き上げられた『社交の壁』のような隙のなさが潜んでいた。
笑っているのに、近づけない。
そんな違和感が、喉の奥に引っかかる。
「はじめまして」
その女性は、私の目の前で軽やかに膝を折り、流れるような所作で挨拶をされた。
「篠塚と申します。本日より、すみれ様の教養と嗜みの面を担当させていただきますね。どうぞよしなに」
「あ、あの……朝霞すみれです。よろしく、お願いいたします……っ」
彼女の声は穏やかで、春の小川のように耳に心地よい。
だからこそ——油断しそうになるのが怖い。
昨日教わったことを必死に思い出し、昨日よりはほんの少しだけ意識して背筋を伸ばした。
俯かない。視線を下げない。指先まで意識を張り巡らせる。
息を吸って、吐いて。笑顔……笑顔は、どう作ればいい?
……先生に言われた言葉を、お守りのように心の中で何度も何度も反芻する。
篠塚様は、私のそんな必死な姿を、どこか楽しげに、にこりと微笑んで見つめた。
見つめられている。
その事実だけで、胃のあたりがきゅっと縮む。
「まあ……。お噂通り、本当に、左右で眼の色が違っていらっしゃるのですね」
——え。
不意に投げかけられた言葉に、心臓が跳ねた。
鼓動が一度大きく脈打って、そのまま喉までせり上がってくる。
視線を逸らすな、と昨日言われたばかりなのに、目の前が揺れる。
「初めて拝見いたしましたわ。とても……ええ、とても珍しいですわね」
そこには、悪意など微塵も感じられなかった。
あるのは、ただ純粋な驚きと、未知のものに対する剥き出しの興味。
——だから、余計に痛い。
その透明な言葉が、私の胸の奥を、毒のようにきゅっと締めつける。
皮膚の上ではなく、もっと内側から刺される感じ。
昔、蔵の中で『気味が悪い』と囁かれた声が、耳の奥で一瞬だけ蘇る。
わかっている。
この広い世界で、『無華』は私一人ではない。
けれども、私は自分以外の『無華』に出会ったことは一度もない。
それほどまでに、この加護を持たぬ証である『左右の色が違う瞳』は、忌むべき、珍しいものなのだと、改めて突きつけられた気がした。
「あ……はい……。そうで、すね……」
声が、自分でも驚くほど小さく震えた。
舌が上手く動かない。
笑顔を作ろうとして、頬が引きつるのがわかる。
藤波様なら、決して触れなかったであろう話題。
けれど篠塚様にとっては、道端に咲く珍しい花を見つけた時と同じ程度の、他愛のない感想に過ぎないのだろう。
その『他愛なさ』が、私を置き去りにする。
「失礼でしたら、ごめんなさいね。……でも、殿下が仰っていた通り、確かに一度見れば忘れられない、印象に残る眼ですわ」
謝罪を口にしながらも、彼女の視線は吸い寄せられるように、私の顔に留まったまま離れない。
まるで、私が『私』ではなく、ただの『珍しいもの』になってしまったみたいだった。
そして、その言葉の中に『殿下』の名が混ざった瞬間、心の奥がまた別の形でざわついた。
暁臣様は——私のこの瞳を、どう話したのだろう。
——印象に残る。
その響きが、頭の中で何度も、冷たく反響する。
それは、誇れるほど美しいと言う意味なのか。
それとも、人目を引くほどに異様だと言う意味なのか。
それを判断するための物差しを、私は持ち合わせていなかった。
どちらにせよ、『目立つ』と言う事実だけが、胸の奥に釘みたいに打ち込まれて残る。
「では、今日は軽く始めましょうか」
ブックマーク、★★★★★、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




