Child・10
庭園でルドガーを見送った私は、一人でもと来た道を戻り、領主館の渡り廊下に着いた。
邸内には夜会のざわめきが伝わっているが、目の届く範囲に人の姿はない。
廊下の柱の陰にたたずみ、先ほどのルドガーの様子を思い起こす。
信じられない光景だった。
(フィンバースの英雄が、あんな風に涙を流すなんて…)
泣いているルドガーは、自分の涙に気づいていないようだった。
その顔に悲しみや苦しみなどの表情はなく、涙もただ、泉が湧き出るように、心の中の何かがあふれだしたに過ぎないようだった。
彼には、そんな自分の心が見えないのだと、私は感じた。
私が魔力の使い方をわからないでいるのと同じように、ルドガーには感情の扱い方がわからないのだ。
(でも、学んでいくことはできる)
ルドガーは成長してきたはずだ。
幼いころは人間がみな影のようにしか見えなかったのに、だんだん人の顔が認識できるようになってきたのだと言っていた。
両親のことは思いやることができるのだし、真実の愛の相手を見つけることもできている。
息子に対しても、愛情をはぐくんでいくことは不可能ではないだろう。
もしもこの先、ルドガーが私たち母子と関わっていくとしたら、セドリックに対して愛情を持つとまではいかなくても、子どもに悪影響を与えないと思える最低限の信頼は必要だ。
だが振り返ってみれば、私も大きなことは言えない。
前世の私は息子に対して決して良い母親とは言えなかったのだから。
17歳であの子を産んだ私は、母親の自覚を持つにはまだまだ未熟だった。
自分自身がまだ子どもだったのだ。
それに思い至ったのは、前世の死の瞬間だった。
ああなって初めて私は、セドリックが自分にとってどれほど大切な存在であったかということに気がついたのだ。
ルドガーは前世ではまったく息子と関わらなかった。
息子の存在すら彼の意識の中にはなかったのかもしれない。
今世でも今まではそうだったのだろう。
だがなぜか今、彼は子どもの存在が気になって仕方がないのだと言う。
毛嫌いしている貴族の夜会が催されている領主館に、人知れず訪ねてこずにはいられないほどに。
今の彼には、前世にはなかった子どもの父親としての自覚が芽生え始めているのではないか?
だとしたら私は、これを好機ととらえて、夫に父としての自覚をうながすべきなのだろうか。
夫は私という名ばかりの妻に対して、決して良い印象を持ってはいないが、セドリックに対する感情はそれとはまた別だろう。
夫の興味関心を引くのはセドリックだけでいい。
主軸は子どもにおいて、夫との関係を構築していけばいい。
そう決意した私は、夜会へは戻らず、領主館内の自分の寝室へ帰った。
「エリナさま! お一人でお戻りになったのですか。
呼んでくださればお迎えに上がりましたのに」
控えの間の扉をノックした私を、待機していたナタリーが驚いた顔で出迎えてくれた。
私が今までずっと夜会の会場にいたと信じて疑わない彼女に、多少後ろめたい気持ちもあったが、私は笑顔を作って答えた。
「ううん、いいのよ。
大勢のお客様に疲れてしまって、一人で少し歩きたかったものだから」
「まあ、そうでしたか。
では早くお休みにならなくてはいけませんね」
ナタリーは夜会の支度をしてくれた時と同じように領主館の侍女たちを呼び、私が夜会服を脱ぐのを手伝ってくれた。
寝室の隣に用意されたバスタブで湯あみをすませると、侍女たちはみな下がっていった。
「エリナさま、他に何かご用事はありませんか?」
最後まで残っていたナタリーにそう聞かれて、私は答えた。
「ええ、今日はもう何も用事はないわ。
でもこれから手紙を書くから、明日の朝、騎士団に届けてもらえるかしら」
「かしこまりました。
それでは、おやすみなさいませ、エリナさま」
そう頭を下げて、ナタリーは部屋を出て行った。
一人になった私は、バルコニーへ出て庭園を見下ろした。
先ほどまでルドガーが立っていた、バラのアーチが目に入った。
前世では、私は王都を離れることはなかったから、この領主館に来たことはなかった。
もちろん黒の森の館で暮らすことになろうとは思ってもみなかったわけだけれど。
前世のルドガーは、私が殺されることになったあの日まで王都の公爵邸へも来なかったし、ましてやこの領主館を訪れたことなどなかった。
それが今世では、ルドガーは王都のタウンハウスで生活していて、この領主館へ来たのも今夜で3回目になる。
<あの子があなたに会いに来たことを、やり直したい気持ちの表れととらえてあげることはできないかしら?>
義母の言葉が頭をよぎった。
ルドガーは、人生をやり直したいと思っているのだろうか?
私とは離縁するのではないのか?
ネリー嬢との関係はどうするつもりなのだろう?
何にせよ私は、もう一度ルドガーに会わなければならないと感じていた。
花祭りが終わり、王命の視察を果たした今、ルドガーは王都へ帰還するのだろう。
その前にどうしても、直接顔を合わせて話がしたい。
私はルドガーにその旨を書いた手紙をしたためた。
それだけでなく私は、ヨシュアにも手紙を書いた。
ヨシュアはウィロー砦から領主館へ私を送り届けてくれた時、いつでも自分を頼ってほしいと言ってくれていた。
その言葉に甘えて、私はルドガーが話し合いに応じてくれるよう、ヨシュアに口添えを頼んだのだ。
話し合いには、義父と義母にも立ち会ってもらおうと思っていた。
子づくりだとか、そんな赤裸々な話題を俎上に上げるのは恥ずかしいが、セドリックの今後の成長に関わることは、フレイザー家の家族全体で考えていかなければならないからだ。
(あの子を守るためには、受け身でいてはいけない。
夫の出方を待っているだけではなく、必要なら私の方から働きかけなければ)
もう傍観者にはならないと、私は決めたのだ。
夫との話し合いがすんなりいくとは思えないが、何もしないでいることはできない。
義母に提示した、夫と交流するための3つの条件
―子づくりができるかどうか不確定であることを容認する、
子どもが生まれたら私の手元で育てる、
フレイザー家全体で子どもへの体罰を禁止する―
これが満たされた上で、ルドガーが父親の役目を果たしてくれるなら、私は父と子の触れ合いを否定するつもりはないのだ。
とはいえ、不安要素はあまりにも大きい。
前世の記憶は私にとっていまだにトラウマだし、義母が条件を整えてくれるかどうかもわからない。
ルドガーが取り替え子で魂をもがれたせいで、感情に欠落部分があるというのも動向が読めないし、さらにヨシュアまで、フレイザー家と隠れたつながりを持っているという…。
あれこれ思いをめぐらせているうちに、どうやら夜会も終わったようだ。
領主館の邸内には、いつしか静寂がただよっていた。
それが嵐の前の静けさであるように思えて、私は封をした2通の手紙に目を落とすと、深く大きなため息をついた。
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