Child・8
血を分けた息子を他人任せにするような夫の態度に、私はつい声を荒げた。
「父親であるあなたが、あの子を守るつもりはないというのですか?
あの子は昼間、人面鳥にさらわれそうになったのですよ。
ひどくショックを受けて怯えているのに、それをあなたは不憫だとはお思いにならないのですか?」
私の糾弾に対するルドガーの返答は簡単明瞭だった。
「フレイザー公爵家の跡継ぎが、そんなことでいちいち動揺していてどうする」
「そんなことだなんて…!」
息子の心の傷をまるで考慮しない夫の発言に、私は思わずカッとなった。
「魔物に襲撃されたのに、ショックを受けないはずがないでしょう。
セドリックはまだ4歳なのですよ!?」
「フレイザー家を継ぐ者なら、もう十分自分を律せられなくてはならん」
「あなたは…!」
夫の厳格すぎる考えに私は一瞬絶句したが、気を取り直して話を続けた。
「あなたがそうできたからと言って、セドリックもそうでなくてはならないと決めつけないでください。
4歳の子どもが、母親の手元から無理やりさらわれそうになったのですよ。
どれほど怖い思いをしたことか。
あんなおぞましい人面をした魔物なんかにつかまって…」
「おぞましい?」
私の言葉に反応して、夫はさらりと言った。
「俺にはほとんどの人間の顔があんなふうに見えるが」
「……!」
その言葉に、私はひどく衝撃を受けた。
感情の読み取れない能面のような不気味な魔鳥の人面。
ルドガーの目には、周囲の人間があんなふうに見えているというのか?
だとしたら、夫がなぜそんな風になってしまったのか、義母から聞いていた私には心当たりがある。
私はあえて夫に禁断の質問をした。
「それは、あなたが精霊に魂をもがれたからですか?」
「母上は、そんなことまでお前に話したのか」
私の質問を耳にしたルドガーは、自嘲気味に口の片端をつりあげた。
「その通りだ。
幼い頃は周囲の人間が影のようにしか見えなかったが、成長するにしたがって少しずつ顔かたちが認識できるようになった。
だがどれもあの人面鳥と同じ、貼りつけた能面のような顔だ」
それでは魔物に囲まれて暮らしているようなものだ。
片時も心が休まることはないだろう。
「そんなやつらが公爵の地位や騎士団長の権力目当てに俺にすり寄ってくる。
おぞましいと言えば、これほどおぞましいことはないな」
「お義父さまやお義母さまのことも、あんな風に見えているのですか?」
「近親者など、魂のつながりの深い者の表情は多少わかる」
それを聞いて私はいくらか心が安らいだ。
それならルドガーは、世界に一人ぼっちでいるわけではないのだろう。
両親もいるし、真実の愛で結ばれたネリー嬢もいる。
とはいっても、ルドガーが一般の人間と比べてずいぶん過酷な世界に生きていることは間違いない。
さぞかし生きづらいことだろう。
かける言葉もなかったが、私は少しでも夫の心をなぐさめようと口を開いた。
「お義父さまやお義母さまの表情はおわかりになるのですね。
よかった。
お義母さまは息子のあなたをそれは深く愛していらっしゃいます。
あなたがニーヴの丘で取り替え子にあったことを、20年以上経った今でも嘆き悲しんでおられましたもの」
そう言ったとたん、私はハッとして夫に問いかけた。
「そういえば旦那さま、お義母さまは、あなたがどうして魔女月夜の晩にニーヴの丘にいたのかわからないとおっしゃっていました。
あの晩ベッドに入るまでは、あなたはザヴィールウッドに確かにいたはずだと。
もしかすると今日のセドリックがそうだったように、魔物が幼いあなたをさらってニーヴの丘まで連れて行ったのではないでしょうか」
「いいや、そうではない」
ルドガーは私に向きなおって断言した。
「両親には言っていないが、俺はあの晩、自分の意志で精霊の道を歩いていった」
驚くほどきっぱりと言い切るルドガーに気おされて、私は頼りなく問い返した。
「どうして、ですか…?」
ザヴィールウッドの子どもなら、満月の夜にはニーヴの丘に近づいてはいけないと、親から口を酸っぱくして教えられているはずだ。
義母の口ぶりからするとルドガーも例外ではなかった。
それなのになぜ?
「呼ばれたからだ」
ルドガーはただ一言そう言った。
簡潔な、みじんの迷いもない答えだった。
それがもとで魂をもがれるという悲惨な目にあったというのに、夫の表情には、自分の取った行動への矜持のようなものが感じられた。
「呼ばれた? 誰にですか?」
聞いた私に、夫はそっけなく「お前に教える必要はない」と答えた。
それはそうかもしれない。
だがどうしてルドガーは、自分の両親にさえそれを告げないのだろう。
「なぜお義父さまとお義母さまに、ニーヴの丘へいらしたいきさつを伝えておられないのですか?」
疑問に思ってたずねると、夫はやや苦い顔をした。
「俺が勝手にやったことで、余計な心配をかけなくてもいいと思ったからだ。
もし俺が人間界からいなくなっても、フレイザー家はヨシュアが継ぐだろうから問題はないしな」
「ヨシュア? ヨシュア・エイレルですか?」
なぜここでヨシュアの名前が出てくるのだろう?
思い切り眉間にしわを寄せた私に、ルドガーは淡々とした口調で思いもかけないことを口にした。
「そのことは聞いていないのか。
母上は俺の秘密は漏らしてもヨシュアの秘密は守るのだな。
ヨシュアは影のフレイザーだ。
俺は父上に、ヨシュアを弟と思えと言われて、ずっとそうしてきた」
「ヨシュアが、影のフレイザー?」
あまりにも理解の範疇を超えた夫の言葉に、私は頭が混乱してきた。
フィンバースの二大音楽家門のよしみで幼い頃からよく知っているヨシュアが、フレイザー家の一族だったというのだろうか。
夫は温度のない表情で私を見て、「これ以上は俺から話すことではない」とその話題を打ち切った。
「とにかく、あの魔女月夜の晩に起こったことは誰にも言うな」
「旦那さまがそうおっしゃるなら…」
ルドガーの命令に私は素直に従うことにした。
私とて、義両親を悲しませたいわけではない。
ルドガーがこんな風に言ってくるのも、両親への配慮からなのだということは理解できる。
こうして両親を思いやることができるルドガーは、無慈悲な冷血漢というわけではないのだろう。
だが息子のセドリックに対してはどうなのだろうか。
私はセドリックのために、夫に言うべきことは言っておかなければならないと思い、口を開いた。
「旦那さま。
あなたがご両親のことを思いやるそのお気持ちは、とても尊いものだと思います。
ですが、あなたはご自分の息子に対して、それと同じだけの思いやりを持ってくださっているのでしょうか」
夫の赤い瞳がぎろりと私をにらみつける。
立っている足が震えたが、私は引き下がらなかった。
「私は、今まであなたの助けを借りることなく、あの子を育ててきました。
でもそれはあの子がフレイザー公爵家の後継者だからではなく、自分のお腹を痛めて産んだかわいい息子だからです。
たとえあの子が公爵家の後継者として力不足であったとしても、私は決してあの子を見捨てはしません。
あの子は私の命ですもの」
「…何が言いたい」
「あなたがセドリックに対して、フレイザー公爵家の後継者というだけではなく、ご自分の血を分けた息子であるという認識をちゃんと持っていらっしゃるのかどうか、お聞きしたいのです」
そう、それこそ今夜、私が夫に確かめたかったことだ。
遠くのホールで催されている夜会でともされている、たくさんの明るい灯をぼんやりと遠くに見やりながら、私はうつむき加減になって、身体の前で組んだ両手にぎゅっと力を込めた。




