Child・5
ルドガーがあっさりと品位保持費支給を許可したことに、私はいささか拍子抜けした。
ネリー嬢の権益を横取りしているかのように罵られる覚悟をしていたのだが、夫は短い了承の返事をした後はむっつりとおし黙っていた。
と言ってもそれ以上突き詰める必要もないので、私は話題を変え、夫に聞きたいと思っていたことを思い切って切り出した。
「旦那さま。今日、花の女王のパレードで何が起こったのかを、詳しく教えてください。
セドリックの母親として、あの子の身に起きたことを私は正確に把握しておかなければなりません。
あの人面鳥は、そしてあの蛇は、セドリックを連れ去ろうとしていました。
どこへ、何のために?
騎士団ではあの事件の全容はつかめているのですか?」
騎士団長に対して無礼な質問なのは承知の上だったが、ルドガーはわずかに眉をひそめただけで口調を荒げることもなく、
「捜査中の事件について、外部に情報を洩らすわけにはいかん」
と答えた。その台詞は私の感情を逆なでした。
「外部? 外部ですって?
セドリックは私の息子です。
あの子がどんな危険に巻き込まれているのか、母である私にさえ教えてくださらないのですか?
それでは私はあの子を守れないわ!」
「知ったところで、お前に何ができる?」
ついつい食ってかかった私を、ルドガーは冷たく突き放した。
「今回のことでは不備な点も大いにあったが、それを見直し改善するのは我々騎士団の役目だ。
一般人であるお前たちは、おとなしくこちらの指示に従っていればいい」
「…!」
私は思わず夫に一歩詰め寄った。
「あの蛇の作った結界に、騎士団は手をこまねいているだけだったではありませんか!
そうしているうちにあの鳥に、セドリックはさらわれかけたのだわ!
騎士団のみなさまが全力を尽くしてくださっていたことは重々承知していますけれど、あの魔物たちには対処しきれなかったのは事実です。
その事実に目をつぶろうとなさるのは、旦那さま、あなたにとって息子より騎士団の面子の方が大事だからですか!?」
「なんだと、貴様…!」
赤い瞳が私をにらみつけたが、私はひるまず言葉を継いだ。
「王国騎士団の騎士のみなさまは、魔力はあってもふつうの人間でしょう。
魔物の討伐に向かわれるときも、万全の対策を練っていかれるはずですね?
今日のように不意打ちで襲撃を受けたのでは防ぎきれないこともあり得ます。
ですが私はそんなことを許すわけにはいきません。
あの子の母として、どんな時でも、何があろうと、息子を守り抜かなければならないのです。
私はあの子の安全に関しては、誰よりも当事者ですわ。
騎士団員でないからといって、部外者扱いするのはやめてください。
決して他言はいたしませんから、あの子について、身の安全を確保するために必要な情報は、すべて私に教えてください」
懸命に訴えかけているのに、ルドガーはそっぽを向いて黙り込む。
私は何とか夫の関心をこちらに向けようと、思い切って距離を詰め夫に歩み寄った。
固い筋肉質の腕に手をかけるとルドガーはわずかに身動きして、赤い瞳をこちらに向けた。
私はその視線をまっすぐに受け止め、見つめ返した。
「聞いてください、旦那さま。
ノナ・ニムのところから戻る途中、ザジが私に教えてくれました。
セドリックは、父親であるあなたと同じ黒髪と赤い瞳を持っている。
そのせいで、ザヴィールの竜の子としてあがめられ、あの子の力を手に入れようとする様々な者たちから狙われることになるだろうと。
まだ幼いうちは特に危険で、ザヴィールの盟約とノナ・ニムの祝福の二つがそろってやっとその時期を乗り越えられる。
でもあの子には、フレイザー家の血筋に連なるザヴィールの盟約の力はあるけれど、ノナ・ニムの祝福の力が与えられていない。
それはあの子の母である私が、フレイザー家の花嫁の館へ入っていないからで、そのせいであの子の身の護りが薄くなってしまっているのだと。
そうなのですね?」
私が確認すると、月光のあたる夫の横顔がゆがんで、伏せた目のあたりに暗い影がさした。
言葉はなくとも、夫のその表情が私の疑問を裏づけるものであることはわかった。
「あなたは、それを知りながら、あの子が生まれてから今までずっと、あの子のことを放置していたのですか?」
問いかけが非難めいた口調になったことは否めない。
ルドガーはそんな私の手を振り払った。
「ノナの加護がなくとも、フレイザーの後継者にはザヴィールの守護者がついている。
それに王都では、精霊や魔物たちの力は微弱なものだ。
強力な結界が機能しているからな。
襲撃を受けても人間の騎士たちが簡単に撃退できるはずだ。
だからあの子どもも、王都の公爵邸で育っていれば何の心配もなかったのだ。
つい最近になって、お前はあの子を連れて王都を出ていったが、移った先は黒の森の館だった。
あそこにはフレイザーの者にとっては王都以上に強力な、ザジの結界が張られている。
7歳まであそこで暮らしていれば問題はない」
「7歳まで…」
夫にそんな算段があったとは知らなかった。
彼には彼なりの息子に対する配慮があったということか。
だがそれには大きな穴がある。
夫はそれに気づいていないのだろうか。
「旦那さま。
子どもはいつまでも赤子のままではいませんわ。
成長するにつれて、行動範囲も生活圏もどんどん広くなっていきます。
結界の外に出て、外の社会と触れ合うようになっていくのです。
7歳になるよりずっと前から」
私の言葉を聞いて、夫は軽く視線を宙にさまよわせた。
「だが、俺は…」
夫が呑み込んだその言葉の先を、私は察することができた。
7歳まで両親と離れ、黒の森の館でノナ・ニムに育てられたルドガー。
そこに隠された秘密を、義母は私に打ち明けてくれたのだから。
魂をもがれて感情を奪われたルドガーは、ただ人形のように日々を過ごすだけだったと聞いた。
そんな境遇で育った彼には、子どもが広く張られた結界の領域を自分から出て行くという事態が、想像すらつかないのかもしれない。
セドリックが、7歳になるまでおとなしく結界の中で過ごしていると疑いもしないのかもしれない。
そんなことはあり得ないのに。
だが実際にそういう世界で幼年時代を過ごしてきた彼には、自分の考えが一般的な子どもの成長にはあてはまらないことが理解できないのではなかろうか。
そんな彼を非難することはできない。
けれど実際に夫が息子と関わっていくつもりなら、彼には自分の生きてきた世界とセドリックの生きる世界との乖離を認識してもらわなければならない。
そのためには……。
私は、夫との関係を一歩踏み込んだものにしようと決めた。
セドリックのためには、それはどうしても必要なことだと判断したのだ。
そこで私は意を決して、夫に告白した。
「旦那さま。
私は、お義母さまからうかがっておりますの。
取り替え子にあったあなたを、黒の森の館の結界の中で、ノナ・ニムが育ててくださったということを」
取り替え子という言葉を耳にしたルドガーは、緋色の両眼を見開き、憮然として私をにらみつけた。
「母上が、お前に取り替え子のことを教えたというのか?」
「はい。
誰にも口外しないと約束いたしましたからご安心ください。
忠実なカイサにすら教えていない、フレイザー家の家族にしか言えない秘密だと、お義母さまはおっしゃいましたわ。
セドリックが7歳まで結界の中にいるはずだと思っていらっしゃるのは、あなたがノナ・ニムのもとで3歳から7歳までお過ごしになられたからですね?
でもそれは、あなただけの特別なご事情なのです。
そこをご理解いただかなくては」
ルドガーはしばし無言で私を見ていたが、やがて嘆息とともにこぼした。
「…両親しか知らない秘密を母上がお前に教えるとは。
ずいぶんと気に入られたものだな。
どんな手管を弄したのか知らんが、これで俺の生殺与奪の権はお前に握られたということか」
「そんなことはありません。
私はこの秘密を決して外へ洩らすつもりはありませんから。
私を家族と思って、信頼して秘密を打ち明けてくださったお義母さまを、裏切ることはできませんもの」
「ほう。
だがそれを俺に告げたのには理由があるのだろう。
何が望みだ」
信用などまるでしていないとでも言いたげな目つきでこちらを見るルドガーに、私は答えた。
「旦那さま、あなたは昼間、私におっしゃいましたね。
本当に息子を守るつもりでいるのなら、息子だけでなく自分も守る方法を探れと」
「それがどうした」
決して好意的とは言えない夫に向かって、私は自分でも信じられないほど大胆な提案をした。




