Child・4
久しぶりのダンス、それも気心の知れた兄とのダンスは、私にとっても楽しいものだった。
音楽卿である兄とのダンスは会場中の注目を浴びていて、目立ちすぎていくぶん居心地の悪い思いもあったが、私が兄と踊ったのはその一曲だけで、踊り終わってすぐに私たちはホール中央を離れ壁際に引っ込んだ。
それでも兄のもとへは、大勢の賓客たちが引きも切らず訪れた。
ザヴィールウッドの花祭りの音楽会を大成功させた兄に声をかけ、王国中央と深いつながりを持つ音楽卿とよしみを通じようとしているのだろう。
次々に兄に祝辞を述べに来る人々は、私のことなどほぼ眼中にないようで、私は兄の隣でただ黙って微笑んでいるしかなかった。
「エリー、すまないね、お前を後回しにしているわけじゃないんだけど」
来賓たちとの会話の合間に、兄は耳元でこっそりと申し訳なさそうにささやく。
私は笑ってみせた。
「気になさらないで、お兄さま。
私は疲れたから、少し休憩させていただこうと思っていましたの」
「え、疲れたのかい、エリー?
無理もない、今日は大変だったんだものな。
休憩室まで僕が送ろう」
顔色を変えて私と一緒に退場しようとする兄を、私は押しとどめた。
「だめよ、お兄さま。
音楽卿の自覚をお持ちになって。
みなさま、お兄さまとお話したくてうずうずしていらっしゃるのだから、お兄さまがこの場を離れてはいけないわ。
私は大丈夫、ここは勝手知ったるフレイザー家の領主館ですもの」
それでもまだ心配そうな顔をする兄を少々強引に突き放して、私は兄を取り囲む人々に礼儀正しく挨拶をし、大勢の人の輪から抜け出した。
そしてなるべく目立たないようにホールを後にし、早足で廊下を歩いていく。
背後に誰もついてきていないのを確かめると、渡り廊下の途中で庭園へ歩み出て、花の女王の髪飾りの額部分にある赤い宝石に触れた。
私は、宝石のあたる自分の額が熱を帯びるのを感じた。
するとうっすらと赤い光がもやのように湧き出して、やがて一つの方向を示しはじめた。
私が急遽夜会に参加したのには、はっきりとした目的があった。
誰にも知られず、見られずに、ひとりで庭園に出るためだ。
邸の中にいたのでは、ナタリーや他の侍女たちの目から逃れられない。
夜会に参加すれば侍女たちは会場内にまで立ち入れないし、会場から抜け出せば完全に一人きりになることができる。
セドリックの寝室がある建物に面している庭園。
そこにいるはずの人物に、私は自分から接触しようとしていた。
話したいことや聞きたいことがたくさんあった……赤光の先にいるはずの夫、ルドガーに。
セドリックが眠る二階の寝室のバルコニーを左手に見て、右側の庭園を振り向くと、整然と整えられた植栽の入口に立つ、背の高いアーチが目を引く。
月光に負けて見えづらいが、ぼんやりした赤光はその向こうを指していた。
「ルドガーさま?」
そう呼びかけると、つるバラの這わされたアーチのうしろで、黒い影が揺れた。
王国の騎士団長でもある彼が、私の接近に気づいていなかったはずはないから、私の声に驚いたのではなく、私が声をかけてきたこと自体に驚いたのだろう。
夫ルドガーが不本意な様子で、バラのアーチの向こうに姿を現すと、私の額の熱は去り赤光も消えた。
ルドガーは騎士団の白い団服ではなく黒い服をまとい、帯剣していつでも戦える態勢でいるようだった。
低い声が問いかける。
「…なぜ俺がここにいるとわかった」
「ザジが教えてくれました。
あなたがいらして、セドリックを守ってくださっていると。
おかげで自分はラクができると言っていましたわ」
その時のザジのだらけた様子を思い返して、私は口に手を当てて軽く笑ってしまった。
それを見た夫はまた、不機嫌そうに眉根を寄せた。
「それで、お前はここへ何をしに来た」
まるで尋問のような聞き方で、夫は私に問う。
私は答えた。
「あなたとお話がしたくて来たのです」
ルドガーの赤い両眼が驚愕に見開かれた。
「話? お前が俺に話だと?」
「はい」
「……」
夫は何の返事もせず押し黙った。
私は少し間をおいて、再び口を開いた。
「まずは今日、私とセドリックを助けてくださったお礼をあらためて申し上げますわ。
本当にありがとうございました」
深々と淑女の礼をして頭を下げた私に、ルドガーは
「礼などいらん。とっとと戻れ」
と、けんもほろろに吐き捨てた。
「今日の午後、人面鳥に襲撃されたばかりというのに、夜にはもう息子を放って夜会を楽しんでいるとはな。
やはりお前は、公爵家の財産が目当てで嫁いできたのだろう。
贅を尽くした装いで、結構なことだ」
ろくにこちらを見向きもしないで、ルドガーはそんなことを言う。
私は反論した。
「私が夜会に参加したのは、ここであなたとお会いして、話をしたかったからです。
それにこのドレスは、今夜の夜会で着るようにと、お義母さまが私にプレゼントしてくださったものです。
私の使える品位保持費の額は、そう多くはありませんわ」
ルドガーはしばし沈黙し、やがて重い口を開いた。
「…ネリーに与えている手当金と同額、だったか」
「そうです。ご存じだったのですか」
「…ネリーに手当が出ているとは知らなかった。
お前が王都を出た後、タウンハウスへ戻って帳簿を管理し始めた時にわかった」
「そうでしたか」
それで合点がいった。
私は王都でセドリックを育てていた間、誰にも付け入る隙を与えないように、きっちり公爵家の帳簿の管理をしていた。
その上で、公爵家の財産を横領しているかのような誤解を避けるために、義母の代から公爵夫人に与えられていた品位保持費を、ネリー嬢と折半することにしていた。
セドリックが生まれてから、私の品位保持費の半分がネリー嬢名義のギルドの口座に振り込まれていて、毎月きちんと記帳されている。
それが何年も続いているから、ネリー嬢はすでに、平民として暮らす分には何の不自由もないかなりの資産家になっているはずだ。
前世の私は、ネリー嬢とはまったく接点を持たなかったし、もちろん手当金など出していなかった。
公爵家の財産を夫の愛人に渡すなど、前世の私には考えられなかったのだ。
今の私は、前世の自分のそんな考え方が間違っているとは思わないけれど、それが夫に受け入れられる考え方ではないのだということも理解していた。
だから夫の恨みを買わないため、ネリー嬢を虐げているだの公爵家の財産を蕩尽しているだのと文句を言われないよう対策を講じたのだ。
公爵夫人に与えられる品位保持費の半分が、夫に仕えてくれる手当としてネリー嬢に支給された結果、フレイザー公爵夫人である私の品位保持費の額は、引退した前公爵夫人である義母イーディスのそれより低くなり、新しいドレスをしつらえるのは季節ごとに一着程度でしかなかった。
ドレスに見合う高価なアクセサリーは新規に購入することはできないので、公爵家にもとからあったものを使いまわしていた。
それでも、華やかな社交と距離を置いていた私はまったく困らなかった。
ネリー嬢からも夫からも、手当金のことについて今まで一度も言及されたことはない。
私は別に感謝されたくて手当を出しているわけではないので、何の連絡も来なくても気にしてはいなかったが、今回のやりとりで、夫はネリー嬢が手当金を受け取っていたことを知らなかったらしいことがわかった。
だがそれは夫とネリー嬢の間の問題である。
私は淡々と言葉を継いだ。
「本来ならネルラさまが全額お使いになるべきだとお思いになるかもしれませんが、現時点では私が公爵家の運営を担っております。
対外的な交渉などをする際に相手に侮られるようなことがあってはなりませんので、身だしなみは整えておく必要がございます。
最低限の品位保持費の支給は許可していただきたく存じます」
そう頭を下げると、ルドガーはものうげに
「…ああ。いいだろう」
と答えた。
次回の更新は、GW後になります。
みなさま、どうぞ楽しい休日をお過ごしください。
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