Child・3
セドリックの寝室を出ると、部屋の外にはナタリーが控えてくれていて、部屋から出てきた私に歩み寄って小声で聞いてきた。
「エリナさま、セドリック坊ちゃまのご様子はいかがですか」
気づかわしげな顔つきのナタリーを安心させようと、私は微笑んで答えた。
「ええ、怖い目にあって動揺していたけれど、今は落ち着いてぐっすり眠っているわ。
ザジがそばについてくれているから大丈夫」
「そうですか。それならよかった」
ホッと胸をなでおろした様子のナタリーに、私は少し罪悪感を覚えた。
これから私は、この忠実な侍女を欺くことになるのかもしれない。
けれどそうしなければならないと、私は決意していた。
私をよく知るナタリーに疑念を持たれないように、なるべくふだん通りの口調で、私は相談を持ちかけた。
「ナタリー、私は今から、夜会に顔を出そうと思うの。
宴もたけなわの今頃になって途中参加するのは、少し失礼かもしれないけれど……どうかしら?」
ナタリーは少し考えるようなそぶりをして答えた。
「それは、もちろんみなさまお喜びになると思いますよ。
特に大奥さまは、エリナさまに今夜のためのドレスを買ってくださっていたほどですから。
でもお身体は大丈夫ですか?
無理をなさっているのでは…?」
心配そうに上目で私をうかがうナタリーに、私は笑って首を振った。
「そんなことはないわ。
身支度も最低限の簡単なものでいいのよ。
それでね、エスコートをお兄さまにお願いできないかしら。
ホールにいらしているのでしょう?」
「はい、おいでになっているようです。
アルマンさまならいつものように、特定のパートナーはなくお一人でいらっしゃるはずですから、エリナさまのエスコートをなさることに問題はないと思いますよ。
むしろ大喜びなさるんじゃないでしょうか」
「ええ…」
兄アルマンの反応があまりにも目に見えるようだったので、私はちょっとだけ遠い目になった。
兄もいい年なのだから、そろそろ良いお相手を見つけて結婚してくれればいいのにと、妹としてはつねづね思っているのだが、こんな時ばかり独身の兄を当てにしてしまう自分が少し情けない。
とはいっても今から急に、夫の代わりに公爵夫人の私をエスコートできる男性を見つけるのは難しいので、ここはどうしても兄アルマンに頼るしかなかった。
ナタリーは近くを通った領主館の侍女を呼び止め、兄アルマンへの伝言を託した。
それから私とナタリーは、私の使っている客室へ戻り、夜会の支度を始めた。
「エリナさま、いくら身支度は簡単でいいとおっしゃっても、エリナさまの品格を落とすようなことはできませんからね」
そう言い切ったナタリーは、てきぱきと領主館の侍女たちに指示を出し、衣装部屋から、先日義母が御用達の洋装店で購入してくれた夜会用のドレスや靴、そしてそれに合うような装飾品を一揃い、私の部屋へ運び込ませてくれた。
その中には私が予想していた通り、あの花の女王の髪飾りも含まれていた。
私は迷わず、今夜のアクセサリーとしてそれを選んだ。
ナタリーは私にあてがわれたレディーズメイドたちを総動員して、フレイザー公爵夫人として非の打ちどころのない完璧ないでたちを整えてくれた。
夜会会場につくと、兄のアルマンが扉のところまで迎えに来てくれていた。
「エリー、手を」
にこやかに差し出された兄の腕につかまり、大勢の人であふれている大ホールに足を踏み入れた。
太陽のような兄にエスコートされてしずしずとフロアを歩いていくと、
「なんてお美しいご兄妹だろう…」
「ああ、光り輝くようだなあ…」
あちこちでため息のような声が洩れ聞こえた。
だが一方で、声量は抑えているものの
「やはり、ルドガーさまは奥方さまとは…」
「政略結婚では、真実の愛には負けましょうて」
「負け犬とな…」
そんな嘲笑まじりの声も耳に入ってくる。
兄は私を気づかって、
「エリー、気にすることはないよ」
と小声で励ましてくれた。
私はそんな兄を見上げて、
「大丈夫よ、お兄さま」
と笑った。
それは私の、嘘いつわりのない気持ちだった。
夜会主催の義父母夫妻に挨拶をしにいくと、二人はとても喜んでくれた。
「エリナさん、私のあげたドレスを着てくれてうれしいわ」
義母ははしゃいだ声を上げて私の手を取ったあと、一歩下がって私を全身見まわした。
「ああ、本当によく似合っていること。
赤のドレスは主張が強すぎるかと思ったけれど、あなたの肌の白さが際立っているわね。
見事な着こなしよ、エリナさん」
「ありがとうございます、お義母さま」
赤はルドガーの瞳の色だ。
私は色の薄い金の髪と青い瞳だから、赤はあまり似合わないと思っていたのだが、義母が選んでくれたドレスは驚くほど私の容姿を引き立ててくれていた。
中央部分が白い生地になっており、全体として赤の分量が抑えめなのでバランスが取れているし、白い長手袋をつけたおかげもあり、私でもこの華やかなドレスが着こなせていた。
花祭りの女王の髪飾りをつけているからなおさら、ザヴィールアイの赤と調和するように、赤を使ったこういうドレスが正解だったのだろう。
うれしそうに私の装いをいろいろな角度から眺めている義母の隣で、義父は、私の横の兄に軽く目礼してから声をかけてくれた。
「疲れていないかね?
無理をせず、いつでも退出していいのだよ。
儂らへの挨拶などはいらんからね」
「そうね。そのドレス姿を見せてくれただけでもう十分ですもの」
私を気づかってくれる二人の言葉には、うわべだけではない情愛がにじみ出ていた。
「はい、お義父さま、お義母さま。
お言葉に甘えて、そうさせていただきます」
そんな義父母に感謝をあらわす礼をすると、目の前に兄がすっと手を差し出した。
「うるわしのレディ・レッド、ダンスを一曲いかがです?」
少しおどけたその誘いを、私は笑って受け入れた。
義父母のもとを離れ、兄アルマンの腕につかまってホール中央のダンスフロアへ出る。
やがて優雅なワルツの演奏が始まった。
流れるような軽やかな旋律に合わせて、私は兄に手をあずけ、今夜のファーストダンスを踊り出した。
少し緊張しながら踊り出した私を、兄は満面の笑みでリードしてくれた。
「エリー、見事なステップだよ」
「お兄さまったら、何をおっしゃるの?
私はもう何年もダンスなんてしていないのに」
「お前はリズム感がいいし、飲み込みが早い。
ほら、すぐに勘を取り戻してきただろう?」
「そうかしら…」
前世の私はずっと公爵邸にこもっていたし、今生でも社交上どうしても必要な夜会には参加だけはしていたものの、夫ルドガーが出席しないのが通例だったのでいつも一人でいた。
負け犬と聞こえよがしにささやく声がするのがお約束で、蔑まれているのがわかっていてダンスの申し込みを受ける気にはなれなかった。
さいわい公爵家という、貴族の中でも高位の身分であり、幼い子どもを女手一つで育てていることも周知の事実だったので、最低限の義理を果たした後は早々に退出しても、無礼だととがめられることはなかった。
そんな風に、誰とも踊らないまま何年も過ごしていたのだ。
正直、うまく踊れるかどうか若干不安ではあったのだが、体がステップを覚えているらしく、なんとか大過なく踊ることができていた。
相手が気心の知れた兄ということもよかったのだろう。
広い会場で踊る久しぶりのダンスは、私にとって意外に楽しいものだった。
兄もとても明るい表情でこのダンスを楽しんでくれているようなので、私もうれしかった。




