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ザヴィールウッドの魔女  作者: 三上湖乃
背負うべきもの

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88/90

Child・2

疎外感から寂しい気持ちになった私の胸中を察してくれたのか、義母は笑いながらこちらを向いて言った。



「エリナさん、あなたがノナ・ニムのところから帰ってきてずっと眠っていた間に、ルドガーが来たのよ」


「えっ?」



思いもよらないことを言われて私は思考停止してしまったが、兄のアルマンは即座に反応した。



「ルドガー閣下が、エリナのところへおいでになったのですか?」



兄の質問に義母はおだやかに答えた。



「ええ、すぐに帰ってしまいましたけれどね。

その場にセドリックもいたのですよ。

この子は父親の顔を知らないから、不審な男がエリナさんに危害を加えるのではないかと思ったようで、ルドガーからエリナさんを守ろうとしたのです」


「そうですか、そんなことが…」



義母と兄の会話を受けて、セドリックが隣に座る私を見上げて言った。



「あの人、僕の手をはたいたんだ。

無礼者、人を指さすなって。

それに、母さまなんて甘ったれた呼び方だって。

小さな赤ん坊じゃないんだから、母上と呼べって言われた。

今日だって、みっともなく泣きわめくな、そんなことで母親を守れるのかって言われたし…僕、くやしくて」


「セディ」



隣の席を向くと、セドリックは赤い瞳で私を見上げて宣言した。



「だからこれからは母さまのこと、母上って呼ぶよ。

もう甘ったれてるなんて言われないように」


「…わかったわ、セディ」



手を伸ばし頭をなでてやった息子の顔が、急に大人びて見えた。

ルドガーの言葉がセドリックにこんな変化をもたらすとは思ってもみなかった。

これまではまったく関わりのなかった父子の関係が、なんだか急激に変容しているように見えた。

でもこれは、必ずしも悪い変化とは言えないだろう。

不安な気持ちにならないでもなかったが、私たち母子を、義父母も兄も、給仕をしているターラやナタリーも優しく見守ってくれていた。

彼らのあたたかい気持ちが波のように伝わってきて、自分は一人ではないのだと実感し、心が晴れて気持ちにゆとりが持てた。

父であるルドガーの言動が幼いセドリックにどんな影響を及ぼすのか予想もつかない。

けれど何があろうとこの子を育てていくのだという覚悟だけは、揺るがせにするまいと思った。


夕食の後、街では後夜祭が行われ、領主館では夜会が催されることになっていた。

義父母は早々に大ホールへ向かい、夜会の参加者たちを出迎えたが、私はその役目を免じられた。



「エリナさんとセドリックは、あれほど怖ろしい目にあったのだから、無理に夜会に顔を出さなくてもいいのよ。

来賓のみなさまだって、ちゃんとわかってくださるわ」


「そうだとも。

後のことは儂らにまかせて、ゆっくり休むといい」



義父母は私たちにそんな風に声をかけて、夕食後の食堂を出て行った。

私は二人の言葉に甘えて、セドリックとずっと一緒に過ごした。

幼い息子は、いつも以上に私にまとわりついて片時も離れようとしなかった。

私はそんな息子をあるがままに受け入れ、何度も抱きしめて頬ずりしてやった。

寝室で夜着に着替えたセドリックをベッドに寝かしつけ、ナタリーも含め侍女たちを下がらせて、いつものように絵本を読んでやろうとすると、セドリックは起き上がってベッドから這い出し、私に顔を見られたくないかのようにうつむいて、小さな声で聞いた。



「今だけ…今だけ、母さまって呼んでもいい? 

他の人の前では、ちゃんと母上って呼ぶから」



小さな息子は身体を固くして、両の拳を握りしめている。

私はたまらなくなって、黒髪の頭を自分の胸に抱きよせた。



「もちろんよ。

そんなことで、セディが赤ちゃんだなんて思わないわ。

あなたは今日、とても勇敢だった」


「…っ」



セドリックの小さな喉の奥から、押し殺したような嗚咽が洩れた。

今まで、義父母や大人たちの前では明るく振舞っていたこの子が、母の私と二人きりになったとたんに見せたただごとでない様子に、私は思わず息子を強く抱きしめた。



「怖かったわね、セディ。

今日は本当に、怖い思いをしたわね、かわいそうに」


「…っ、う、うわあ~ん、母さまあ…!」



堰を切ったように号泣し始めたセドリックに、私はこの子が魔物の襲撃で受けた心の傷の深さをかいま見た。



「ぼ、僕…あの鳥に連れて行かれると思った。

もう母さまに会えなくなると思った」


「セディ、セディ」


「僕、怖かった。すごく怖かったよ、母さま…!」


「そうね、セディ、怖かったわね」



しっかりしていると言われるけれど、セドリックはまだ4歳だ。

大蛇に巻きつかれたり、人面をした鳥などというおぞましい姿の魔物につかまってさらわれかけ、空中高くまで連れていかれたりという目にあって、恐怖を感じないでいられるわけがなかった。

私はおびえる息子に寄り添ってやりたくて、怖かったという気持ちに共感する言葉を何度も繰り返した。

あふれる涙をぬぐってやり、小さな背をさすり、黒髪をなでて、根気よくなぐさめ続けた。

この子の心に刻まれた恐怖が少しでも軽くなるようにと祈りながら。

そうしているうちに、セドリックの泣き声は次第に小さくなっていき、やがて止んだ。

胸の中の小さな身体が脱力したので顔をのぞき込むと、セドリックはいつの間にか眠ってしまっていた。

よほど疲れていたのだろう。

私は息子を起こさないように、そっとベッドの中に入れてやった。

泣きはらした目をしている寝顔をしばらく見守っていたが、どうやらぐっすりと安らかに眠れているようだと判断し、私は室内に目を向けた。



「ザジ、いるのでしょう」


「ああ」



簡素な服装で棒を背にした赤毛の男が、セドリックの枕元にどこからともなく降り立った。

私は、フレイザー家の守護者であると同時に私の護衛騎士でもある、黒の森の若長に願った。



「この子を守って、ザジ。

今夜この子に、何者も危害を加えることのないように」


「わかったわかった」



おざなりな返事の上、大きなあくびをしたザジに、私は少し気色ばんだ。



「真面目にやって、ザジ。

あなたも知っているとおり、今日この子は魔物に襲われたのよ」


「大真面目にやってるさあ。

けどここまでたどりつけるやつなんてそうそういないんだよ。

なにしろ超強力な守護神がついてるからなあ」


「守護神?」



いぶかしんで問い返した私を、ザジの灰緑色の瞳がきろりと見返した。



「ルドガーが来てるぜ」


「!?」



予想外のことに私は息を呑んだ。



「ルドガーさまが、ここへ? 

まさか。貴族の社交を忌み嫌っていらっしゃるのに、夜会においでになるはずないわ」


「夜会には出てねえけど、庭園の目立たないところにいる。

まったく根暗な野郎だよなあ。

ま、坊主の護衛としちゃ最高だろうぜ。

あいつがいるだけで大抵の魔物は退散するからな。

それにフィンバースの騎士団長さまだし?」



へっ、と半分バカにしたような口調で言うと、ザジはくるりと身をひるがえし、一瞬で赤猫の姿になった。



「そういうことだから、俺はラクできるってわけだ。

今夜はここで寝て、何かあったらちゃんと坊主を守ってやるさ。

安心しろよ、奥方サマ?」



まったく敬意の感じられない呼びかけをして、赤猫はセドリックの足元に長々と寝そべり、目を閉じて気持ちよさそうに伸びをした。

私はザジに問いかけた。



「ルドガーさまがいらしていることを、お義父さまやお義母さまはご存じなのかしら」


「いや、知らないんじゃねえの。

夜会の主催でそれどころじゃねえだろ」


「それなら本当に、ルドガーさまはセドリックの護衛のためだけにここへいらしているのかしら」



ザジは眼を開け、奇妙な目つきで私を見た。



「さあなあ。本人に聞いてみたらいいんじゃねえ?」


「…! それ、は…」



口ごもる私には一瞥もくれず、ザジはまた特大のあくびをし、眠そうな声で言った。



「まあ俺にはどうでもいいこった。

人間のことに深入りするなとばあさんにも言われてるからな。

後は好きにしろよ」



気のない声を出して、赤猫は伸ばしていた身体を丸め目を閉じた。

私は、すやすやと寝息を立てているセドリックの、涙の痕が残る頬を最後にもう一度なでてやった。



「おやすみなさい、ザジ。セドリックをお願いね」



大きな赤猫にそう声をかけて、私は静かに息子の寝室を出た。








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