Child・1
山車の上で私に付き従っていた赤豹は、エントランスに到着すると
「これで俺はお役御免だな」
と言って煙のように消え去った。私はあわてて
「ザジ、ありがとう!」
とお礼を言ったが、ザジの耳に届いたかどうかはわからない。
梯子を下りるとセドリックが待ち構えていて、
「母上!」
と呼んで飛びついてきた。
膝をついて、熱のこもった小さな身体を受け止める。
「セディ、偉かったわね。あんなに怖い目にあったのに、よく我慢したわね」
「うん…」
消え入るようにそう言って、セドリックはぎゅっと私に抱きついた。
私はたまらなくなって、幼い息子を両腕でしっかりと抱きしめ、黒髪の頭に何度も頬ずりしてやった。
少し落ち着いてから、公爵家お抱えの医師たちに、私とセドリックは診察を受けた。
さいわい私たち二人とも、治癒魔法師を呼ばなければならないほどの大きなケガはなかったので、医師から軽い打ち身や擦り傷の手当てをしてもらうだけで済んだ。
今日は花祭りの最終日なので、街では後夜祭、領主館では夜会が開かれる。
妖鳥の襲撃があったので警備は強化されて、邸内に出入りする者は厳しく身元をチェックされているようだった。
春の陽はまだ沈んでいなかったが、夕暮れ色の庭園では早くも随所に火灯りがともされ、大広間では夜会の準備が着々と進んでいた。
私たち母子は義父母とともに、兄アルマンを交えて食堂で簡単な夕食をとった。
ターラとナタリーも給仕をしてくれて、私にとっては心安らぐ楽しい食事の席になった。
「今日は大変な目にあったねえ、エリーもセディも」
兄がしみじみと言う。
「僕は音楽会の後処理があって会場内に残っていたんだけど、広場の方で悲鳴が聞こえてきて、何事かと思ったよ。
しかし王国騎士団はすごいね。
見事に統率が取れていて、避難指示も適確だった。
多くの人々がパニック状態に陥りかけた混乱状態を、どうにか治めることができたのは彼らのおかげだと思うよ」
兄の私へ向けた言葉を受けて、義父が表情を緩めた。
「儂の古巣をお褒めにあずかり光栄だがね、音楽卿。
今ザヴィールウッドにいる王国騎士団員は、ウィロー砦から増援に駆り出された者たちを合わせてもせいぜい数十人程度で、街中の警備にあたるにはとても数が足りん。
君が目にした騎士たちは、王国騎士団の白い団服ではなく、黒い制服を着ていたのではないかね?」
その質問に兄が「ええ、そういえばそうでしたね」と答えると、義父はうなずいた。
「やはり、そうだろう。
それは王国騎士団ではなく、ザヴィールウッドの自警団、黒竜団の連中だ。
花祭りの期間中、ここは人であふれかえるから、街の治安を維持するために自発的に集まってきてくれているのだよ。
自警団とはいっても、実質的にはわがフレイザー家の私設騎士団という側面もあって、実力は折り紙付きなのだがね。
フレイザー家当主が王立騎士団長を兼ねるようになってから、私設騎士団という軍事力を保有することはできんから、我が家とは関わりのない自警団と名目上はなっているわけだ。
領都へ移ってきてからは、儂も微力ながら団員の育成に協力していてな。
かなり力を入れて取り組んできたから、その成果が表れたというのはうれしいことだな」
「黒竜団、ですか? 初めて聞きました。
知っていたかい、エリー?」
驚いたように私の顔を見てくる兄に、私は「いいえ」と首を横に振った。
義母イーディスが話を引き取って説明してくれた。
「エリナさんが知らないのも無理はないわ。
今までずっと王都で暮らしていて、ザヴィールウッドに来たのはつい最近のことなのだから。
それに黒竜団というのは正式な名称ではなくて、あくまで非公式な通り名なの。
かつてはフレイザー家当主が統括していたけれど、今では独立した集団となっているわ。
ザヴィールウッドを守るための組織で、領都の治安は彼らによって保たれているところがあるわ。
けれど黒竜団には、領主ですらその真の姿をつかみきれないほど謎が多くて、正確な活動内容や構成員が誰なのかさえはっきりとはわからないの。
最高意思決定機関は六人の長老からなる長老会なのだけど、長老たちの顔ぶれも噂程度にしか明らかになっていないし、しかもそのうちの誰が本当に権力を握っているのかまではまるでわからない。
ただ、ザヴィール地方を治めるフレイザー家への忠誠が入団の絶対条件だから、団員たちの我が家への忠誠心は昔から変わらない。
だから、フレイザー家の当主が団長を務めている王国騎士団の命令には、黒竜団も従うの。
もともとこの周辺出身の者が多いから、地域とのつながりが強いし、この街を隅々まで知り尽くしている。群衆を避難させるのに最適な経路を即時に選定することができるし、地縁でつながった緊密な連携の上で、安全に適確に人々を誘導してくれたのでしょう。
そのおかげで、あれほど大勢の人間が集まっていたにも関わらず、大きな事故も起こらなかったし、ケガ人もほとんど出ないですんだのだわ」
義母の話を聞いて、兄は感嘆のため息をもらした。
セドリックはテーブルの上に身を乗り出し
「黒竜団って、すごいね!
街の人たちをそんな風に守っているなんて!」
と祖父母の話に興奮している。
義母は続けた。
「ザヴィール地方は黒の森の一族の勢力が強いでしょう。
彼らは王都の貴族と違って、身分の上下にそれほどとらわれないところがあるの。
だからザヴィールウッドの自警団である黒竜団には、王国騎士団とは違って団員に身分のへだてがなくて、貴族や騎士でない者もたくさんいるし、完全な実力主義で昇進していくわ。
ふだんは他の仕事をしていて、召集がかかる時だけ制服をまとって任務につくような団員たちも多いけれど、彼らが今日は良い働きをしてくれたわね」
「なるほど、確かにそうですね。
黒い制服の騎士たちの機敏な動きとは逆に、白い制服の騎士たちは右往左往しているように見えましたよ。
黒竜団の活躍で領都の平和は保たれているわけですね」
納得した顔でそう言う兄に、私もうなずいた。
するとセドリックが口を開いた。
「それだけじゃないよ。赤豹のザジが、空から地上に向けて呪文を唱えたの。
鎮撫って」
大人の話に割って入ったセドリックは注目を浴びて一瞬ひるんだが、それでも興奮気味にまくしたてた。
「僕、ザジの背中から見てたんだ。
ザジの声を聞いたら、街中の猫たちが出てきて、空の上のザジと僕を見たの。
そしたらすぐに猫たちは散らばっていったよ。
あの猫たちは、血が上った人間の頭を冷やしてくれるんだって、ザジがそう言ってた」
「まあ…」
私は息子の顔をまじまじと見つめた。
精霊黒馬アトラスから飛び降りた後の赤豹とセドリックの動向はまるでわからなかったけれど、ザジは人面鳥の襲撃による突発的事態の収拾に一役買ってくれていたようだ。
「ザジは豹にもなれるのかい?
セドリックを乗せて空を飛んだのかい?
いいなあ、僕も乗ってみたいよ」
王国の音楽卿とも思えぬ子どものような声で嘆息する兄に、セドリックが思案顔で答えた。
「ザジに頼めば乗せてくれると思うよ。
僕だけじゃなく、母上のことも乗せてくれたことがあるみたいだし」
「あら、セドリック」
義母が軽く目をみはって孫息子に聞いた。
「あなた、お母さまのことを母上と呼ぶようになったの?」
祖母の質問に、セドリックは少し頬をふくらませた反抗的な顔になった。
「そうだよ。
だって僕、もう小さな赤ちゃんじゃないもん」
義母の顔にみるみる優しい笑みが広がった。
「そうね。そうよね。
もう人を指さしたりするような失礼なこともしないわよね」
「しないよ、もう! おばあさまったら!」
むう、と口をとがらせて上目でにらんでくる孫息子に、義母は軽く声を上げて笑う。
そんな祖母と孫のやり取りに、何か入り込めない世界があるのを感じ取り、私は少し疎外感を覚え、寂しい気持ちになった。




