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ザヴィールウッドの魔女  作者: 三上湖乃
背負うべきもの

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83/90

襲撃・4

少し暴力的または残酷な表現があります。ご注意ください。

赤豹(レッドパンサー)がセドリックとともに雲の海へ消えると、ルドガーが不機嫌そうな声で言った。



「お前を地上へ下ろしている暇はないぞ。

あの人面鳥を追わなければならんからな。

馬から振り落とされないように、俺の身体にしっかりしがみついていろ」


「は…はい」



命に関わるこの状況で不満を言えるはずもない。

私は黒馬をあやつるルドガーの手綱さばきの邪魔にならないよう、横座りの姿勢でなるべく身を縮め、筋肉質の硬い身体にしがみついた。

するとルドガーは意外にも、優しい手つきで私の身体に手をまわして支えてくれながら、黒馬の手綱を引いて呼びかけた。



「行くぞ、アトラス!」



アトラス。

それは、ノナ・ニムの騎馬として知られる精霊馬の名前だ。

カルセミアとの戦争で、フィンバースに勝利をもたらした一つの大きな要因とされている大精霊黒馬(グレート・ブラック)アトラス。

この黒馬がアトラスなら、どうりでこうして空中を自在に駆け回れるわけだ。



(フィンバースの英雄は、精霊馬さえあやつることができるのね…)



私は騎士としての夫の卓越した能力に、内心舌を巻いていた。

アトラスは赤いたてがみをなびかせて、雲の海を疾走し始め、あっという間に上空へ逃げていた人面鳥に追いついた。

背後に迫る私たちを目にした人面鳥は小刻みに震えはじめた。



「精霊馬アトラス!? 

まさか、そんなはずがない…人間があれを乗りこなせるなんて。

あれはいにしえの、ザヴィールの…! 

ゲギャ―――ッ! こっちに来るなァ――ッ!」



人面鳥は震え上がり、金切り声で悲鳴を上げた。

こちらが困惑するほどおびえきっている。

フィンバースの黒竜と呼ばれる騎士団長は、一片の情も感じられない冷たい口調で言った。



「貴様、ザヴィールの竜の子に手を出しておいて、無事でいられるとはよもや思っているまいな」



ほとんど死刑宣告ともとれる冷酷な台詞とともに、夫は左手で剣を引き抜いた。

そしてそのまま流れるような動作で、腕の中にいる私の身体の前を渡して右手に持ち替えると、強い声で私に命じた。



「しっかりつかまっていろ!」



アトラスが急加速し、死に物狂いで逃げていく人面鳥を瞬時に追い越して、その眼前に立ちはだかると、ルドガーは英雄の名にふさわしく、精霊黒馬の馬上から(つるぎ)一閃、人面鳥を容赦なく斬り捨てた。



「グギィ――ッ!」



潰れて陰にこもったうめき声を上げて、巨大な人面鳥は痙攣し、飛ぶ力を失って地面に落ちていく。

ルドガーは手にした剣を、横抱きにしている私の身体に触れないようにして、左腰につけた鞘へおさめた。

私たち二人を乗せた精霊馬アトラスは、機嫌よさげに赤い尻尾を振りながら、ゆるやかな坂道をおりるように並足で地上に降りていった。

ルドガーは、自分の胸に抱いている私の眼前を横切って腕を伸ばし、精霊馬アトラスの赤いたてがみを何度もなでて、ねぎらいの声をかけていた。



「ご苦労だった、アトラス」



その口調はとても優しく柔らかく、私が今まで耳にしたことのない夫の声だった。


地上につくと、ルドガーは先に馬を下り、馬上にいる私の身体を支えて下馬させてくれた。

背に乗せる人間がいなくなった精霊馬は、炎のようなたてがみをなびかせて赤い瞳を主人に向け、名残惜しげに鼻づらをすり寄せた。

黒い髪と赤い瞳のルドガーは、同じ色を持つアトラスにふさわしい主人に見えた。

ルドガーに長い首をさすってもらっているうちに、大精霊黒馬(グレート・ブラック)アトラスはそのシルエットを徐々に大きく薄く拡散していき、やがて煙のように消え去った。

周囲は魔力を帯びた雲のような厚い霧に覆われていて、ここがどこで何があるのか、近くに誰がいるのかまるで見当もつかない。

そんな所へ、私は黒馬アトラスがいなくなった後、夫と二人で取り残されることになった。

何を話していいのかまるでわからず、どうにも気まずい思いで立ち尽くす私に、ルドガーは不機嫌そうに眉を寄せ、冷たく吐き捨てるように言った。



「慮外者め。

さっきは危うく親子そろって墜落死するところだった。

力もないくせにでしゃばるな」


「……!」



夫からの容赦のない非難の言葉に、私の心はまた冷たくすくみ上った。

だが今の私は、ここで黙って引き下がってはいけないと感じていた。

震えそうな自分を叱咤しながら、私は夫の叱責に反論した。



「わ…私に力がないことはわかっています。

けれどあの時私は、セドリックはあの高さから落ちたら助からないと思ったのです。

あの子を助けるためには、ああするしか……私があの子の下敷きになって、一緒に落ちるしかなかったのです」



たどたどしくもかろうじて口に出せた私の抗議の言葉を、ルドガーは最後まで黙って聞いていた。

だがその後眉間のしわを深くして、私に鋭い視線を向けて詰問した。



「お前はザジに言っていたな。

自分が死ねば、息子は悲しむだろうと。

だったら考えてみるがいい。

息子が、自分の下敷きになった母親の姿を見て、悲しまないと思うのか?」



思いもよらなかった問いかけに、私は目を見開いて固まった。

ルドガーは続けて言った。



「母親を犠牲にして肉体は生きながらえたとしても、心は死ぬだろう。

お前は息子を助けるためという名目で自分の命をあきらめ、捨てたのだぞ。

それが息子の心を殺すことになろうとおかまいなしにな。

そんな自己犠牲は何の自慢にもならない、お前の欺瞞に満ちた自己満足にすぎん」



私は言葉に詰まった。

反発する気持ちはあったが、ルドガーの言うことにも理があると思ったからだ。



「でも…でもそれなら、私はどうすればよかったとおっしゃるのです?」


「翔べばいい。最初にそうしたのだから、できたはずだ」


「翔ぶ? 最初にそうしたというのは、何のことですか。私は翔んだりなんか…」


「自覚すらないということか。話にならんな」



身に覚えのない指摘をされて困惑する私をあきれた声音で突き放し、夫はくるりと身をひるがえした。

まるで対話を拒絶するように私に背を向けたルドガーは、その背中越しに視線だけこちらに寄こした。

怒りを含んだ赤い瞳が私を捉える。



「本気で息子を守るというなら、息子だけでなく自分も助かる道を探れ、愚か者」



苦々しく吐き捨てると、ルドガーは私を置き去りにして視界の悪い霧の向こうへさっさと立ち去っていった。

私は、夫の言葉をどう受け止めていいかわからず、複雑な気持ちで広い背中を見送った。







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