襲撃・3
少し暴力的または残酷な表現があります。ご注意ください。
「風刃!」
吹き荒れる風の音をかいくぐるように、重低音で凄みのある詠唱の声がした。
そのとたん、人面鳥の身体のあちこちから、ブシュッといういやな音を立てて派手な血しぶきが上がった。
「ギャ―――ッ!」
耳をつんざく悲鳴が響き渡った。
傷だらけになった人面鳥は、翼を広げたまま白目をむいて一瞬宙に停止し、翼を硬直させてそのまま地上へ降下しはじめた。
「ゲッ、ゲッ、ゲッ…」
妖鳥はうめき、力なく羽ばたきながら、私の乗っている山車の方へゆるやかに落ちてくる。
胴にも翼にも鋭い刃物で切られたような裂傷があって、そこから大量に出血している。
このまま飛ぶ力を失ってこちらへ降りてくるように願いつつ見上げていると、人面鳥はセドリックをつかんでいるかぎ爪に力が入らなくなったのか、締めつけがゆるんで指が開き始めた。
そのせいで、それまで拘束されていた小さな身体は支えを失い、斜めに傾いていく。
このままでは落ちる、と感じて血の気が引いた。
息子をつかんでいる妖鳥の爪は、私のいる山車の二階からさらに上、沿道の建物の3階か4階に当たるあたりにある。
あの高さから落ちたら、大人なら運がよければ助かるかもしれないが、幼いセドリックは間違いなく命を落とすだろう。
地上には多くの騎士たちがいるが、皆なす術もなく空を見上げている。
「か…母さまあ…!」
震える声で私を呼ぶセドリックに、必死に手を伸ばす。
もう少し、もう少しで届くのに。
だが願いも空しく、ゆるんだ巨大なかぎ爪からついに小さな身体が零れ落ちた。
「セドリ―――ック!」
とっさに手すりを乗り越えて、地面へ落下していこうとしている息子へ向かって、私は
―――飛んだ。
怖くはなかった。
というより、何も思わなかった。
愛するわが子を救いたい、ただそれだけだった。
私はあらん限りの魔力を振りしぼって、セドリックに向けて両の腕から空色の羽根を吹き上げた。
金色の粒子がまぶしく散って子どもに降りそそぐ。
人面鳥が引き起こしていた暴風の乱気流の中で、その光だけは重力の影響を受けずにただよっていた。
何がどうなったのかよくわからないが、周囲に荒れ狂う暴風に吹き上げられたせいなのか、私はつかのま滞空していられたようだった。
そのおかげでどうにかセドリックを両腕で受け止めることができ、私は心の底から安堵した。
とたんに全身から力が抜けて、私はセドリックを胸に抱きしめ、そのまま背を下にして、落ちた。
「エリー!」
目の端に、さっきまで私のいた山車の手すりから身を乗り出して叫んでいるヨシュアや、地上で右往左往している騎士たちが見えた。
(どうか、どうか…セドリックだけは)
必死に祈り、落下する間も私はセドリックをしっかり抱えていた。
私が下敷きになってこの子が助かればそれでいい。
小さな息子の身体を自分の全身でくるむようにして抱きかかえ、出せる限りの魔力の羽根で幾重にも包み込んだ。
そうして次に来るはずの激しい衝撃に備えて体を丸めていたが、地面にたたきつけられる直前、突然下方から渦巻のような強い風が吹き上げた。
それによって極端に落下速度が落ちたために、一瞬私とセドリックの身体は空中に停止した。
その私たちの身体を、遠くから迅雷のごとく疾走してきた何者かが、ぐいと力強く引き上げた。
見上げた先には、いつの間にか私とセドリックを抱いて、暴風に黒髪をなびかせながら、赤い瞳で上空の妖鳥を鋭くにらみつけている精悍な顔があった。
「…旦那さま…?」
落下する私とセドリックを受け止めたのは、騎士団長である夫ルドガーだったのだ。
ルドガーは、赤いたてがみと尻尾を持つ赤い眼の黒馬に乗り、私たち母子を馬上で抱きかかえていた。
私は、自分を支えてくれているその両腕の感触に、どことなく既視感を覚えた。
見上げた夫の眼は上空の妖鳥をにらみすえていて、その赤い瞳と同じ赤い色の光が一筋、空の上方から射している。
光の射してくる方へ目をやると、さっき私が人面鳥に投げつけた花の女王の髪飾りが、ゆっくりこちらに向かって落ちてくるところだった。
荒れ狂っていた暴風がぴたりとやんで、髪飾りの赤い宝石が赤光を放ち、ルドガーを指している。
輪になっている髪飾りはルドガーに近づくと光を失い、私とルドガーの間に挟まれた幼いセドリックの上に落ちた。
宝石の赤光が消えると、周囲には再び暴風が吹きすさび始めた。
だが不思議なことに、私たちを乗せた馬のまわりにその風は届かない。
そればかりか、赤眼の黒馬はゆったりと地上を離れ、上空にいる人面鳥の方へゆうゆうと歩いて近づいていくのだ。
まるで空中に道があるかのように。
「よっ、エリナ。えらい目にあったな。お前もな、坊主」
状況がつかめず頭が混乱している私に、ルドガーの肩の向こうから、赤猫がひょっこり顔を出してのんきな声をかけてきた。
「話はあとだ」
ルドガーは赤猫の台詞をスパッと断ち切り、命令口調で言った。
「ザジ、この二人を地上へ連れていけ」
「おいおい、二人は無理だぜ、ルド。
ここに精霊の道は通ってないし、俺は有翼族じゃないんだからよ。
一緒に連れて行けるとしても、エリナか坊主、どっちか一人が精一杯だろ」
「だったらセドリックを」
ザジに対して、私は横から即答した。
「この子を安全なところへ連れて行って、ザジ」
「え~、やだやだ、母さま!」
腕の中のセドリックがぐずり出す。
「僕、母さまと一緒にいる!」
「セディ、すぐにまた会えるから」
頬をなでてキスしてやりながら息子をなだめる私にかまうことなく、ルドガーはセドリックの手元に落ちた髪飾りの赤い宝石に指を触れ詠唱した。
「拘束」
「わああっ!?」
ルドガーの瞳と同じ色をした宝石は、たちまち幾筋もの赤光を放ち、その光が紐のようになってセドリックの身体を拘束した。
赤猫は「ほい」と言って、花の女王の髪飾りの輪をくぐって首にかけた。
そして赤光の紐に縛られたセドリックの腹の下にもぐりこむと、一気に大きな赤豹の姿になり、子どもを背負った格好で黒馬の上から、身軽な動きで飛び降りた。
「心配すんな、坊主!
おふくろさんにはすぐ会える。
地上でのんびり待ってようぜ!」
「わああああん、母さま~~~!」
赤豹の背に赤光の紐でくくりつけられた状態で、顔だけこちらに向けてセドリックが泣き声を上げる。
そんな息子を、私は少しでもなぐさめようとして声をかけた。
「セディ、母さまはすぐに戻るから、いい子で待っていてね!」
赤豹はあっという間に雲間に消え、セドリックの声も聞こえなくなった。




