襲撃・1
少し暴力的または残酷な表現があります。ご注意ください。
花の女王の山車の2階部分は見晴らしがよく、周囲の状況がかなりはっきりと見渡せる。
両側の建物はみな3階建て以上の高い建築で、1階は店舗、上層階は住宅となっているものがほとんどだ。
さっきまでは上層階のベランダに人が鈴なりになってパレードを見物していた。
だが今は部屋に逃げ込んで人々は姿を消しており、まばらに残った何人かが恐怖に青ざめて上空を仰いでいる。
沿道の群衆はパニックを起こして逃げまどい、私たち母子の乗っている山車の周囲は護衛の騎士たちを残して空白地帯になっていた。
しかし騎士たちは山車には近寄れないでいた。
ついさっきティムの白ねずみを倒して姿を消した緑色の蛇が、結界を張っているようだ。
その結界のせいか、周囲の音や声は私の所にまったく届いていない。
ただ透明な壁の向こうに、恐慌状態の群衆が見えるだけだ。
上を見ると、高い建物の屋上より上空に、巨大な黒い鳥が旋回している。
ゲギャッ、ゲギャッと耳ざわりな鳴き声をまき散らすその鳥は人間の女性の顔をしていて、それがいっそう人々の恐怖を煽り立てている。
人面鳥は翼を広げて旋回しながら、血走った目を大きく見開き、口を開けて下を見た。獣のように尖った歯の並んだ口からよだれが垂れてくる。
私はセドリックを抱いて立ち、妖鳥をにらみつけた。
「母さま…」
腕の中のセドリックは胸に白ねずみを抱いて私を呼んだ。
音のなくなった結界の中で、泣きそうに震える幼子の声が胸に刺さる。
私は横抱きにしている息子を強く抱きしめ、やわらかな髪にキスを落とした。
「しっかり目をつぶっているのよ、セディ。
あの鳥を見ないでいれば、何も怖いことはないの。
あなたには、母さまがついていますからね。
母さまはノナ・ニムの魔女になったのだから、強いのよ」
子どもを安心させようと、少しおどけた調子でそう言ってみせると、セドリックは目を閉じたまま、肩の力を抜いて小さく笑った。
「ノナ・ニムの魔女なのかい、お前?」
頭上からしわがれた声が降ってきて、ハッと上空を見る。
人面鳥が旋回する高度をかなり落とし、私たちの眼前に迫っていた。
私はとっさに子どもを抱えてしゃがみ、身を低くした。
「強いのかい? そんな風には見えないねえ」
またもや結界の中にひび割れた声がした。
あの人面鳥が話している声なのは間違いないようだ。
周囲の様子を結界越しにうかがうと、人々は妖鳥に怯えてはいるようだが、妖鳥の話している内容に反応しているわけでもなさそうだ。
あの鳴き声が人間の言葉として伝わるのは、人面鳥の仲間である緑色の蛇が作ったこの結界の中だけなのだろう。
「セディ、いい子ね。
目を閉じて、しっかりお膝を抱えていて。
ここでじっとしていてね」
私は、花の女王の肘掛け付きの玉座にセドリックを下ろし、軽く頬をなでてやると、白ねずみを抱えた息子を背にかばい、手を広げて上空の妖鳥の前に立ちはだかった。
「あなたは誰?
なぜこの子をさらおうとするの?
この子をどうするつもり?」
助けが来るまで少しでも時間を稼ごうと、私は大きく声を張って人面鳥に問いかけた。
すると妖鳥は、人間の女の顔を醜くゆがめて私を罵った。
「黙れ! 何を偉そうに。
飛ぶこともできない人間のくせに、有翼族のアタシに質問なんかしてくるんじゃないよ、生意気な!」
バサッ、バサッと暗く濁った灰色の翼をはばたかせて、人面鳥は私の目の前を飛び、結界の中を横切ってまた上空へ舞い戻った。
妖鳥の翼によって結界の中に強い風が吹き荒れて、手すりや台座についている花々の飾りはめちゃめちゃに吹き飛ばされ、黒ずんだ灰色の羽根とともに無残に床に散らばった。
緑色の蛇が張ったこの結界は、あの蛇の仲間である人面鳥を排除するものではないらしい。
でもそれならなぜ、妖鳥は私のところへ来ようとしないのだろう?
何があの鳥を阻んでいるのだろう?
「その竜の子を贄にすれば、アタシは有翼族の頂点に立てるんだ!」
ヒステリックにわめきたてて、人面鳥は狂ったように上空を旋回した。
山車の周囲には兵士以外の人間はいなくなっている。
その代わりに、パレードが方向転換した銅像の広場や、これから進んでいくはずだった街路の向こうにある運河のあたりが、人面鳥の来襲に肝をつぶして逃げてきた人々と、比較的離れた場所にいたせいで何が起きたかわからない人々が、入り混じってパニック状態になりごった返している様子が、音のない映像で遠目から見て取れた。
人馬が避難していなくなったパレードの隊列は街路の途中で止まっていて、道の両側に並ぶ建物の窓にも、すでにまったく人影は見えない。
建物にいた人々はすでに外へ避難したのか、少なくとも家の奥に隠れているのだろう。
遠くへ目をやっている私にふと、すぐ足元で毒づく声がした。
「うるさい鳥め、よけいなおしゃべりをするんじゃないよ」
はっとして視線を落とすと、一度はいなくなったはずのあの緑色の蛇が、床をするすると素早い動きで這ってきていた。
蛇はあっというまに玉座にいるセドリックのもとへ這い上がり、さっきと同じくみるみる大きく長くなって、肘掛けのある玉座にセドリックの小さな身体を縛りつけた。
「セドリック!」
「母さま!」
私は全力で大蛇を息子から引きはがそうとしたが、するすると滑る蛇の皮膚をつかむことができない。
蛇はあざ笑うかのようにねっとりとした口調で私に話しかけた。
「この子を絞め殺したりはしないから安心おしよ。
お前がおとなしくしていれば、大事な息子にケガをさせることもない」
そう言うと蛇は鎌首をもたげて上空の妖鳥を呼ばわった。
「人面鳥、今だよ!
ノナ・ニムの祝福は破られてる!
早くこの子を連れていけ!」
見ると、セドリックのいる玉座のまわりにあれほどたくさんあったはずの色とりどりの花飾りが、吹き飛ばされたり潰されたりしてすべて無残な姿になっている。
あれらはパレードの前にノナ・ニムの祭壇で祝福を受けていた聖なる供物だった。
人面鳥はそれを恐れて、今までここに近づけずにいたのだ。
そう気づくと同時に、私の中にはふつふつと煮えたぎる感情が込み上げてきた。
「セドリックを連れて行くですって?
そんなこと、絶対させるものですか」
怒りを込めて、玉座に巻きついている大蛇をにらみつけると、今はもう覚えのある感覚が自分の内に湧き起こり、私の周囲の空間に薄青い羽根が浮かび始めた。
「な、なんだい!? 痛い!」
滑ってつかめなかった蛇の胴体を、私の両手はしっかりとつかんでいた。
そればかりか、つかんでいるところが手形になって赤黒く焼け焦げている。
蛇の身体の他の部分も、ふわふわ舞う薄水色の羽根が触れたとたん、ジュッという音がして羽根の形に赤く火傷のようになる。
セドリックは羽根に触れてもなんともないようだ。
ただ、ピクリと身動きして、私の言いつけで閉じていた目を開き、大蛇の身体からはずれている自分の手のひらへ心配そうに視線を落とした。
ゆるく広げられたセドリックの両掌の中には、ティムの白ねずみがいた。
大蛇にやられてさっきまで瀕死の状態だったはずなのに、よろよろと立ち上がると、白ねずみはセドリックの手から抜け出して、セドリックに巻きついている蛇の身体を這い上った。
白ねずみはセドリックと同様、宙を舞う薄青の羽根が触れても火傷を負ったりすることはないようだ。
「ねずみくん、痛い?」
心配そうに自分を見ているセドリックの赤い瞳のそばで、白ねずみは大蛇の身体を外側から噛んだり引っかいたりし始めた。
私の羽根による軽い火傷も、非力な白ねずみの噛み傷も、どうということのない小さな傷だが、数が多いからかそれなりにダメージを与えることができたらしい。
セドリックを拘束している大蛇の絞めつけが、一瞬ほんの少しだけゆるんだ。
その機を逃さず、私は大蛇の身体の下からセドリックの身体を引き出した。
「母さま!」
「セディ、大丈夫!?」
息子の安否を確かめている私の背後で、緑色の大蛇が怒りに満ちた声を上げた。
「何しやがる、このアマ!」
それまでのお上品な物言いとは打って変わって口汚く私をののしり、大蛇は大きく鎌首をもたげて口を開け、牙をむいて私に襲いかかろうとした。




