月白の娘・10【外伝・ルドガー視点】
少し残酷または性的な表現があります。ご注意ください。
公爵邸へ戻った俺は、以前そうしていたように、騎士団長の業務と公爵家の業務を表立って兼任するようになった。
結婚以来妻に丸投げしていた公爵家の業務にあたると、5年の間に俺の知らない様々な事情が生じていた。
まず驚いたのは、公爵家に届く書状の少なさだった。
それも主に領地からの事務的な報告ばかりなのだ。
不審に思って、俺は郵便物を持ってきたフットマンにたずねた。
「届いた書状はこれで全部なのか?」
「? はい」
「夜会の招待状などがないようだが、別にしているのか?」
俺が社交嫌いなことを知っている使用人たちが気をまわしているのかと思ったのだがそうではなかったらしく、フットマンは表情を変えないまま俺の問いに答えた。
「いいえ、届いたものはそれで全部です。
夜会の招待状はここ数年、ほとんど来ておりません」
それを聞いて俺は愕然とした。
フレイザー公爵家はフィンバース王国建国以来の名門だ。
社交界の頂点に君臨しており、どの家門も我が家と友誼を深めたがっているのではないのか。
以前俺がこのタウンハウスにいたころは、毎日うんざりするほどの招待状が山積みになって来ていたものだ。
そんな家に、夜会の招待状が一通も来ないなどとは信じられなかった。
だが現実にそういう事態が起こっている。
それはすなわち、フレイザー家はもはや社交界の中心ではないどころか、誰からも相手にされていないのだということを示していた。
それが俺とネリーの醜聞のせいだということは、さすがの俺にも容易に察せられた。
公爵夫人の品位保持費の半分が、俺を世話している手当金として妻からネリーに支給されていたことも、俺は公爵邸に戻って初めて知った。
ネリーに確かめたところ、彼女はそのことを聞いてはいたが俺に報告していなかったらしい。
どうもネリーには、ギルドの口座という概念がよくわかっていないようだった。
公爵夫人の品位保持費から手当が出るとは聞かされたものの、公爵夫人の地位を欲しているわけでもなし、どのみち支給された金に手を付けるつもりはなかったのでそのまま放っておいたそうだ。
実際に金が使われている形跡もなかったので、ネリーのその釈明を俺は信じたが、それと同時に、公爵夫人として暮らしていた妻が、夜会の招待もされず品位保持費も最低限の生活をしていたことも信じざるを得なかった。
エリナがフレイザー公爵夫人として、華やかな社交界を満喫しているという俺の思い込みは、完全にくつがえされた。
俺は独身時代と同じようにネリーとは別々に暮らし、休日だけ彼女のもとを訪れるようになった。
といっても特に何かが変わるわけでもなく、俺とネリーは従来通りの関係を続けていた。
そして冬が終わり、春になって名残雪が消えたころ、ゴダード陛下から俺に勅命が下った。
ザヴィールウッドの花祭りに合わせて、ウィロー砦を含めた周辺地域の視察をして来いという。
「日頃お前にはよくやってもらっているから、その褒美だ、ルドガー。
ここ何年も領地に帰っていないのだろう?
今年は花祭りに参加してくるといい。
ヨシュアも最近ウィロー砦に赴任したばかりだから、お前が行って顔を見せてやれば喜ぶだろう」
ゴダード陛下は目尻を下げて笑いながらおっしゃった。
俺は突然の命令をいぶかしく思いながらも、胸に手を当てて頭を下げ、「承りました」と答えた。
自分の領地を巡るのだからと供はつけず、俺は単騎ですぐに王都を出発した。
ネリーには途中の村で事情を説明した平易な手紙を出したのだが、実は彼女は俺に秘密で、すでに俺の後を追ってザヴィールウッドに来ていたのだ。
しかし、領都を散策中に父ベニートに叱責されたことで、ネリーは花祭りの前に王都へ帰った。
ネリーが去った後も、彼女が持ち込んだ花の女王の衣装に魔物がついていたことが、俺はずっと引っかかって警戒していたのだが、花祭りの期間は何事もなく過ぎていき、最終日の午後に行われる花の女王のパレードが始まった。
俺は騎士団を離れて、フード付きの黒いマントを着て群衆に紛れ、音楽会が終わって人混みでごった返している広場周辺で周囲に目を光らせていた。
すると突然、耳元で聞き慣れた声がした。
「ルド、気をつけろ。竜女の気配がする」
俺の肩にはいつのまにか、重さもなく常人の目にも映らない赤い精霊猫が乗っていた。
緑がかった灰色の目は、ちょうど開祖の銅像のまわりをまわって方向転換しようとしている花の女王の山車に向けられている。
「ドロテア竜女王の?
まさかザヴィールウッドへは来ないだろう」
俺が少し首をかしげて肩の方を見ると、赤猫のザジは歯をむいた。
「本人じゃなくても、手下が来てるかもしれねえだろ。
生臭い匂いがするんだよ、竜とか蛇とかの」
「蛇? ああ……そうか。やはりな」
花の女王の裾にあった破れた蛇の刺繍のことが頭に浮かんだ。
あれを依り代にして、竜女王のしもべである蛇の魔物がこの街に潜り込んでくるというのは、十分あり得ることだ。
「竜女はお前にご執心だからな。
嫉妬に狂って花の女王のエリナを襲うか、さもなきゃお前にそっくりなあの坊主を、さらって自分の子どもにしようとするか。
どっちにしても、やべえよなあ、ルド?」
「ちっ…」
俺はザジに舌打ちした。
深刻な事態をずいぶん軽い口調で言うものだ。
周囲に目を走らせると、黒竜団の団員何人かと目が合った。
素早く腕を上げ、指の合図で危険を知らせ、注意を促す。
事前の打ち合わせで、群衆の避難経路と誘導の段取りは徹底してあった。
山車が広場を出て、もと来た道とは別の街路へ出て前進し始めると、俺は人混みをすり抜けてその後を追った。
肩にへばりついた赤猫が耳打ちする。
「地上ならどうにでもなるけど、空から来られたら俺の手に負えないかもしれねえ。
アトラスを呼べ、ルド」
ザジの言葉に俺は唇をかんだ。
「アトラスはノナの騎馬だ。ノナの加護のない今の俺には呼べない」
俺の返事を聞いて、ザジは芝居がかった大げさなため息をついた。
「しょうがねえなあ、兄弟。
番号猫が助けてやらあ」
恩着せがましくそう言って、ノナ・ニムの代理人でありザヴィールの番号猫でもある赤猫は、必要になった時には俺が大精霊黒馬を呼ぶのに力を貸すと約束してくれた。
花の女王の山車は、周到な二段構えの襲撃に遭った。
緑色の蛇が外部からの救助を阻む結界を張り、上空から人面鳥が山車の屋上にいる標的を襲う。
狙いは黒髪赤眼の竜の子だった。
襲撃が起こった時、俺は山車からまだ離れた場所にいた。
パレードに並走している護衛の騎士たちが襲撃者を速やかに撃退するものと思っていたが、蛇の結界と人面鳥の起こす暴風のせいで救助は難航しているのが遠目に見て取れた。
透明な結界の向こうに、花の女王に扮したエリナが必死に息子を守ろうとする姿が見えていた。
ようやくヨシュアの竜笛によって蛇の結界が解かれたと思ったとたん、急降下してきた人面鳥が子どもを両足で掴んで連れ去ろうとした。
暴風が吹き荒れる中、弓は役に立たない。
だが、エリナが必死に手近にあるものを次々と人面鳥に投げつけているのが見えた。
「お~、すげえなルド。
お前の嫁、投擲の才能あるんじゃね?
全部命中してらあ」
ヒュ~と口笛を吹いて、冷やかすように赤猫は笑う。
俺は顔をしかめた。
「ザジ、あの女、神代の森でノナからギフトをもらったんだな?
どんな能力だ?」
「能力はもらってねえよ。
ばあさんがエリナにくれたのは、魔女名と木の枝だけさ」
赤猫はそれだけ言って肩をすくめた。
「あとはエリナ本人に聞くんだな。
俺が言えるのは、あいつの魔力がよわよわだってことだ。
微弱魔力もいいところだぜ。
あの人面鳥にかなうわけねえよ」
俺は逃げてくる人波の中を逆走しながらザジの言葉を聞いていたが、人面鳥はまだ俺の風魔法の射程範囲には遠かった。
そのうちエリナの手元に、投げつけられるものが尽きたらしく、人面鳥が勝ち誇ったように耳ざわりな笑い声をあげて上空へ飛び去ろうとしたが、俺は射程内にその翼を捉えると同時に素早く詠唱した。
「風刃!」
「ゲギャ――――ッ!」
真空の刃が人面鳥を切り裂き、その身体のあちこちから血しぶきが上がった。
俺は人面鳥の下の地面に風魔法で透明な空気のクッションをつくっておいた。
汚い鳴き声を上げた人面鳥の足の指が脱力する。
開いた爪の間から、さらわれかけていた息子の小さな身体が滑り落ちると同時に、
「セドリ―――ック!」
空気を切り裂くような叫び声とともに、エリナが子どもに手を伸ばして山車の手すりから飛び降りた。
「なっ…!」
全身の血が凍りついたが、次の瞬間宙に浮いたエリナの周囲がまぶしく光った。
その光の中で、エリナの背にほの白い翼が浮かんで見えた。
その翼のはばたき一つで、エリナは刹那宙空に留まり、すんでのところで息子の身体をつかむことができた。
だが彼女が子どもをその手に抱いたとたん、周囲の光も翼も消え失せて、エリナは子どもを守るように胸にしっかり抱えたまま落下し始めた。
瞬時に俺は身体が動いて、風魔法を操ると同時に天に叫んだ。
「来い、アトラス!」
大精霊黒馬はあっという間に天空から現れ、俺が飛び乗ると落下していく母子めがけて風より早く駆けつけた。
俺は風魔法で地面から吹き上げる強風を起こして落下速度を緩め、地面の空気のクッションに到達するかどうかというタイミングで二人を腕に抱きとめて、力づくでアトラスの背の上にすくい上げた。
母と子は、自分たちの置かれた状況への理解が追いつかないのか、馬上できょとんとした顔をしている。
それを見て、俺は思わず力が抜けて大きなため息をついた。




