月白の娘・8【外伝・ルドガー視点】
少し残酷または性的な表現があります。ご注意ください。
「ルドガー、妻をそんな風に扱うくらいなら、どうして結婚などしたんだ」
父ベニートの問いが何度も頭によみがえる。
母イーディスが俺の結婚相手となる貴族令嬢を見つけてきた。
妻帯すれば、貧民の娼婦にのぼせ上った息子の頭も冷えると思ったのかもしれない。
俺はそんな話を受ける気はなかったが、相手がマグダレーナ・リズリーの娘だとわかって興味が湧き、会うことにした。
顔合わせで初めて出会った時、エリナ・リズリーは終始目を伏せてうつむいていた。
俺は遠慮なくじろじろと彼女を眺めまわしたが、驚くほど何も感じなかった。
これがあの祝ぎ歌の女の娘だとはとても信じられない。
ただ、エリナの無表情は他の人間の能面のような無表情とはどこか違って見えた。
内に大きな熱量を秘めて、それを無理やり抑え込んでいるかのような…。
そう感じた時、胸の奥に小さな危険信号がともった。
(この女は、俺の閉じた世界に入りこんでくるのではないか)
俺の唯一はネリーだ。
それを打ち消すような存在になるとしたら、この女は危険だ。
顔合わせの間、警戒しながら様子を注視していたが、エリナ・リズリーは一言も俺に話しかけてはこなかった。
ずっとうつむいたまま目を合わせようともしない。
そんな彼女にどこかもやもやした気分になる一方で、これなら結婚しても夫婦としての関わりを持たないでいられるだろうと判断した。
両親に言われるままお仕着せの婚約と結婚を済ませた夜、俺は花嫁のいる寝室へ向かった。
初夜を迎えるためではなく、白い結婚を宣告するためだ。
だがその時、庭園から寝室を見上げ、月光のもとバルコニーにたたずむエリナの姿を目にした俺は、夢に出てくる月白の娘が、マグダレーナではなくエリナだったのだとわかった。
魂で結ばれた、俺の運命の番。
その姿は一目で俺の心を奪った。
初めて女を…ネリーを抱いた時より何倍も体が熱くなる。
全身の細胞の一つ一つに火がついて燃え上がっているようで、気が狂いそうなほどだった。
尊いお方に示唆された白い結婚のことは頭にあったが、三年後にエリナが俺と離縁して、その後他の男のものになると思っただけで理性のタガが外れてしまい、俺は躊躇なく彼女の花を散らして自分のものにした。
あの夜のエリナのしどけない姿を、俺は一生忘れることなどできないだろう。
着衣のままとはいっても、薄絹をまとっただけで触れ合ったのだ。
あの時抱いた彼女の匂いやぬくもりは、今でも鮮明によみがえってくる。
しかし同時に、行為の直後に見たエリナの顔も、別の意味で忘れられないのだ。
眼裏に火花が散るほど強烈な快感とともに精を放った後、俺は、血の気が引いて死んだようにぐったりしているエリナに気づいて驚いた。
息も絶え絶えに目を閉じ、青ざめた顔は冷たい涙に濡れている。
いつも情事の後に目にする、快感で上気した満足げなネリーの表情とはまるで違っていた。
その様子を見て、自分がエリナに無体をはたらいたことを痛烈に思い知らされた。
俺は、身勝手な快感を得たことに対する羞恥と、エリナに苦痛を与えてしまった罪悪感でいたたまれなかった。
それに俺は、ネリーに対してもやましい気持ちがあった。
ずっとネリーに、愛するのはお前だけだと言い続けてきたからだ。
ネリーは俺の求愛を受け入れていなかったが、だからといって自分の言葉を裏切るような行動をしていいはずはない。
そんな自己嫌悪もあったせいで、俺はことさら乱暴にエリナを突き放して寝室を去った。
エリナとは白い結婚ではなくなり、ネリーが正式に公爵夫人になる道は閉ざされた。
そのせいで俺は、自分の唯一と決めたネリーの立場が妻によって脅かされることは、絶対に避けなければならないと思いつめていた。
真実の愛の相手としてネリーを選び竜の鎖をつないだ以上、その誓いを反故にすることは許されない。
俺は、自分の決心が揺らぐのを恐れ、妻にはできるだけ近づかないと決めた。
結婚するまで、俺は両親とともに公爵邸で暮らし、休日などに時おりネリーを訪ねていたのだが、エリナが公爵邸に来てからは平民街のネリーの家に完全に居を移した。
(ネリーに捧げた真実の愛を惑わすあの女は、人の心を操る魔女だ)
俺は自分にそう強く言い聞かせ、妻の姿を見ず、声を聞かず、接触することのないように距離を取ってきた。
懐妊の知らせを受けても、会いに行こうとは思わなかった。
両親の言うとおり、公爵家の血をつなぐ種馬の役目は果たしたのだからもういいだろうと、皮肉交じりの言い訳で自分を納得させた俺は、妻のエリナや彼女に好意的な両親との交流を絶ち、公爵家を離れ公爵領の運営からも手を引いた。
領地の管理人からの定期報告などは、いったん公爵邸に届いて開封されたものが騎士団長の執務室に転送されてきた。
俺はそれらを一読してすぐに公爵邸に送り返していた。
トラブルがあれば、長年領地に関わってきた俺には問題の所在がわかるし、ある程度対策も浮かぶ。
それを俺は、両親や妻の管理下にある公爵家の人員は動かさず、当主の俺だけに従う黒竜団を通じて内々に処理していた。
表面化する前にトラブルの芽がつんであるので、俺の代理で公爵領の運営を行っている者の目には、ザヴィール地方は統治しやすい領地だと映っていたはずだ。
妻と手をたずさえて公爵家を担っていくことはできないが、俺の分まで背負うことになった妻の負担を少しでも軽くしたかった。
そんな風に、表面上公爵家と縁を切り騎士団長の職務に専念していた俺が、ふたたびフレイザー公爵邸を訪れたのはいよいよ子どもが生まれるという時だ。
三日三晩の難産の末、妻は息子を産んだ。
俺と同じ黒髪赤眼の赤ん坊だった。
俺が産室を訪ねた時、妻は消耗しきった様子で眠っていた。
その枕元で、柔らかい布にくるまれた赤ん坊が、俺の指の先ほどしかない小さな拳を握りしめている。
もぞもぞと身動きして時おり歯のない口を開ける赤子を見ていると、俺の中に今まで感じたことのない奇妙な感覚が生まれた。
他人に興味はないのになぜかこの子に引きつけられ、目が離せない。
時間を忘れて赤ん坊を見つめていると、まるで幼い自分を見ているような錯覚に陥った。
生まれたての小さな身体で織りなすしぐさの一つ一つが俺を、手をかけて世話をしてやりたくなるような気持ちにさせるのだった。
俺は、黒髪赤眼のこの子どもが、父である自分と同じように、黒竜王ザヴィールへの信仰に関わる様々な勢力の標的となることを危惧した。
フレイザー公爵家の嫡子であれば、身辺警護は最高レベルだ。
それでも俺はこの赤子に、もっと護りを与えてやりたいと思った。
「セドリックと名づける」
俺は目を覚ました妻にそう申し渡した。
フレイザー家開祖のセドリックは、ザヴィール黒竜王とつながりがあったといわれている。
同じくザヴィールとつながりの深いノナ・ニムの支配する黒の森では、彼は銀髪のリックと呼ばれていた。
今でもその名には、ノナ・ニムの加護と祝福が宿るという。
この赤ん坊が成長していく中で、セドリックという名で呼ばれ続けることが、この子の身辺のノナ・ニムの加護を厚くしていってくれる。
妻のいる公爵家に寄りつかないでいる俺が、この赤ん坊にしてやれることはそれくらいしかなかった。
するとエリナは俺に礼を述べた。
この子を授けてくれたこと、この子に名前をくれたことを、感謝していると。
「この子のことは、私がしっかり育てていきます。
旦那さまは、どうぞ愛する方とお幸せに。
ごきげんよう」
淡々と別れの挨拶をする彼女に、俺はどうしようもなくやり切れない気持ちになった。
エリナは俺に何の思い入れもないし、おそらく俺の夢を見たこともないのだろう。
それを思い知らされて無性にむなしく、腹立たしかった。




