月白の娘・6【外伝・ルドガー視点】
少し残酷または性的な表現があります。ご注意ください。
俺の唯一はネリーだ。
フレイザーの男としてそう心に決めたからには、俺はもはや父の鉄拳にも母の愁訴にもまったく動じなかった。
公爵家の当主として後継者を作らなければならないという世間の圧力に対しては、
「後継者を作る道具として嫁いで来い。
夫婦としての愛情は一切期待するな」
という非常識な条件を出すことで、実質的な婚姻拒絶宣言をした。
そうやって俺に言い寄ってくる令嬢たちを一切排除し、生涯唯一の女性と決めたネリーと事実上の夫婦になったつもりだったが、彼女も俺と同じように思っているわけではないことはわかっていた。
ネリー本人が、自分は俺の妻ではないと何度も繰り返していたからだ。
しかしネリーのその態度に、俺はむしろ好感が持てた。
偽りの愛を口にして地位や財産を目当てに俺にすり寄ってくる貴族令嬢たちよりよほどましだ。
今はまだネリーは俺を愛しておらず、単に俺が彼女に家を与え生活の保証をしてやっているから身をゆだねているにすぎないのだ。
だが俺が求愛を続けていれば、そのうち心が通じ合うようになり、俺を受け入れてくれるだろう。
そう考えて俺はネリーを俺の真実の愛の相手であると社交界に周知し、ゴダード陛下にも報告した。
とはいっても俺は、ネリーとの間に子どもをつくるつもりはなかった。
ゴダード陛下にも、子どもは貴族令嬢とつくるように命じられたし、俺を愛していないネリーに望まない妊娠をさせるわけにはいかなかった。
だから俺は公爵家の侍医に命じて避妊薬を処方させ、行為の前には必ず服用していた。
侍医からは処方の際に、この薬は長期間服用すると副作用がある旨の注意を受けたが、ネリーの愛を得るまでのことだ。
その時の俺は、それほど長期にわたってその薬を服用するつもりはなかったので、侍医の警告も大して気に留めなかった。
人間界でネリーが俺の妻として受け入れられないのは仕方がない。
しかし俺は、養い親であるノナには、黒の森の一族としてネリーを認めてもらいたいと思っていた。
フィンバースの大精霊ノナ・ニムに認められれば、ネリーの評価も上がるはずだし、何より俺は、幼いころ俺をずっと傍で見守ってくれていた緑の髪の精霊を、乏しい感情の中でも母親として慕わしく思っていたのだ。
黒の森の中では、人間界での身分は一切関係なく、王女も娼婦も平等に扱われる。
ノナは身分制度に縛られず、ネリーをフレイザー家の花嫁の館へ招き、祝福を授けてくれるに違いないと、俺は信じて疑わなかった。
俺は騎士団に入団して以来初めての長い休暇を取り、精霊の道を使って王都からザヴィールウッドのフレイザー家領主館へネリーを連れていった。
それまでにも、花祭りの時期を含めて年に数回、俺はこうしてザヴィールウッドへ来て領地を管理していた。
だから俺には何でもないことだったが、初めての体験にネリーは驚いて、しきりに感嘆の声を上げていた。
「すごい、ルディ! 信じられないよ!」
そう言ってはしゃぐネリーはほほえましかった。
ふつうの人間であるネリーは精霊の道を通ることはできないが、ノナの養い子である俺と一緒なら問題ない。
それにフレイザーの花嫁になれば、ネリー本人もノナ・ニムの祝福を受けた森の一族として認められ、精霊の道を一人でも使えるようになる。
そう教えてやると、ネリーはたいそう喜んでいた。
領主館に到着した俺はネリーを連れて礼拝堂に入り、ノナの住処である神代の森に通じる祭壇の前にひざまずいた。
ネリーと二人、ノナへの真摯な祈りを捧げたが、どれほど祈っても俺たちの前に花嫁の館への道は開かなかった。
「なぜだ、ノナ!」
俺は苛立ち、祭壇に大声で問いかけたが、何度聞いても俺の養い親である大精霊からの返答はなかった。
「ルディ、もういいよ…」
ついにネリーが沈んだ様子で立ち上がった。
ひざまずいている俺を見下ろして力なく笑う。
「あたし、先に外に出てるね」
そう言うとネリーは、ふいっと祭壇に背を向けて足早に礼拝堂を出て行った。
小柄な彼女の背中が扉の向こうに消えると、ひざまずく俺の前にふいに鉄錆色の毛並みの猫が現れた。
「ザジ!」
俺の声を無視して、赤猫は俺の眼前からノナ・ニムを祀る祭壇へ軽い足取りで歩いていき、その上に飛び乗ってくるりと俺を振り向いた。
「ようルド、お前が花嫁に選んだのはあの娘か。ネリーだっけ?」
「ザジ、どうして早く来ないんだ! 待ってろ今ネリーを呼んで…」
「よせよせ」
急いでネリーを呼び戻そうと出口へ行きかけた俺を、ザジがのんきな口調で止めた。
「ノナばあさんは、あの娘には会わないと言ってる」
「なんだって!? 俺が選んだ女だぞ!」
俺が思わず大声で噛みつくと、赤猫はやれやれといった様子で、前足で顔を掻いた。
「花嫁の館へ入っても、あの娘、お前の子どもを産む気ないんじゃねえの?」
「! そ、それは…」
痛いところを突かれて俺は口ごもった。
ネリーが、俺には言わないが避妊効果のある薬草を煎じて飲んでいることには気づいていた。
「…今はまだ準備が整っていないだけだ。
ネリーは若すぎるし、子どもを産むのは今でなくてもいい。
ただ、竜の鎖でつながれた俺の唯一の相手として、ノナに彼女を祝福してほしいんだ。
王都では身分制度が強くて、貧民のネリーを公爵である俺の妻として認めてくれる者は誰もいない。
だが黒の森でなら、人間界での身分は関係なく、誰でも平等なんじゃないのか。
ノナやお前なら、俺の真実の愛の相手を色眼鏡で見るようなことはしないと思っていたのに」
「あのなあ、ルド…」
赤猫はゆったりと前足を組んで、緑がかった灰色の目でキロリと俺を見た。
「真実の愛とかいう、中身空っぽな言葉に振り回されるな。
深淵につながる本当の愛や真実ってのは、人間の手には余るものだぜ」
「…!」
やけに余裕めいた赤猫の言いぐさに腹が立つ。
ザジは黒の森の若長だが、俺とはほんの小さな頃から兄弟同然に育ってきた間柄なので、上から目線の説教じみた物言いが癪にさわった。
「お前に俺の気持ちがわかるものか」
「なあルド、早まるなよ。
今でもお前、あの夢を見るんだろ?」
ふてくされた俺をなだめるように、赤猫は首をかしげた。
あの夢というのは、俺が幼いころから繰り返し見ている夢で、そのことはザジしか知らない。
満月の下で俺を見つめる、金髪の少女の夢だ。
だがあの少女、マグダレーナ・リズリーはもうすでに大人になり、その生涯を終えて、俺の生きているこの世界にはいないのだ。
俺がこの世で彼女に会うことはできなくなった。
「あの夢は…」
俺は何か言いかけて言葉に詰まった。
迷いと諦めが交錯する。
吹っ切るように、ザジを見た。
「あの夢は、魂の夢だ。
人間世界の現実の前では何の意味もない」
沈んだ声でそう言った俺に、赤猫は首を回して、いたわりのこもった視線を向けた。




