78 検証
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私が第十六グループの実習室に入ると、すでにほぼ全員が揃っていた。
幸坂先輩、幅沢先輩、そしてハチと、加賀原先輩。
加賀原先輩を実習室で見るのは初めてだ。
というか、以前に会った最後が例のモノレールの車両の場面なので、だいぶ気まずい。
そんな私に気を使ったわけでもないだろうけど、加賀原先輩の方から声をかけてきた。
「ハチの実験室でのデータが見たい」
そっけない口調だけど、真剣な様子だ。いつの間にかハチをハチと呼んでいるけれど、そこはハチの親しみやすさの影響だろう。
私は幅沢先輩を見た。幅沢先輩もいつも通りの無表情でこちらを見ている。
「行使者候補生に関するデータの管理責任は管理者候補生が最上位に来る。データを見せるかどうかはあなたが決めるのよ」
そう言われて、幾つかの魔法技術の管理に関する決まりごとを思い出した。
幅沢先輩が言う通り、管理者候補生は行使者候補生に関する全ての情報を管理し、開示する時には必ず管理者候補生がそれを許可しないといけない。
「わかりました。情報を開示します」
頷いた加賀沢先輩が私を手招きする。歩み寄って、鞄からラップトップ型の端末を取り出した。
全員で見るにはディスプレイが小さすぎるので、部屋に備え付けの多機能モニターとリンクさせる。
端末を操作し、実験室で記録した情報を用意する。
「何から見ますか?」
聞くと、既に先を読んでいたように加賀原先輩は淀みなく返事をする。
「魔力波動の奇妙な動きについて。まずは可視化、視覚化されたデータ。魔力回路の稼働率も見せてくれ」
了解です、と言われた通りのデータを見せる。
すぐにディスプレイに、例の青い靄に魔力波動が可視化された映像が表示される。音声も同時に記録されているので私と幅沢先輩の声も入っていた。
私は何度も見ている映像なので、もう特に驚きはしない。
と言っても、初めて見るだろう幸坂先輩も加賀原先輩も露骨に狼狽えたりはしなかった。二人とも黙って、映像を見ていた。
映像の長さは十五分ほどだが、誰も一言も口をきかなかった。
映像が停止して私は周囲の顔を窺ったが、幸坂先輩と加賀原先輩はマグカップを片手に、まだディスプレイを見ている。言葉はやっぱりないままだ。
「もう一度、再生だ」
加賀原先輩がやっと発言し、私は無言で端末に指を走らせると同じ映像を改めて再生した。
やっぱり無言の時間が続く。
そのまま、映像の最後まで到達してしまった。
「どう思う? 幸坂」
加賀原先輩が幸坂先輩に静かに問いかけると、ユニークだね、と返事があった。
答えた幸坂先輩は片手で保持しているマグカップを小さく揺らしながらさらに言葉にする。
「こういう魔力波動の制御はあまり見たことがない。極めて稀じゃないかな」
「僕もそう思う。魔力波動の制御は、実際には制御というより誘導だからな。ここまで正確に操れるものかな?」
「でも今の映像を疑う理由はないよ。データも客観的なもの誤差や測定ミスではないし、作為の入り込む余地はない」
「なら、実際にやってみよう」
そんな風に二人の先輩は意見交換すると、同時に動き出した。
実習室の壁際の棚から何かを取り出し、畳の敷いてある広いスペースにそれを設置する。
三脚の上に固定された装置は一見するとカメラに見るが、魔力波動計測装置だった。しかしかなり古い。こんなものが実習室にあったのか。
「ハチ、これをつけてくれ」
戸棚から出てきたバンド状のものが加賀原先輩からハチに投げ渡される。いつか見たブレーカーに似ているが、三つある。
「一応、魔力波動のブレーカー装置をつけないと、実習棟が吹っ飛ぶかもしれない。首と両手首に巻いてくれ。型は古いが、まだ十分に機能するはずだ」
はあ、などと腑に落ちない顔をしているハチに、計測装置を設置し終わった幸坂先輩が声をかける。
「ハチ、こっちに来てくれ。ちょっと魔力波動を放射するだけだから、服装はそのままでいい」
バンドを装着しながら、ハチが確認する。もう落ち着きが戻っているあたり、山崎先輩とのスパーリングの時に続いて二度目だからか。
「ここで魔力波動を放射するんですか? やっぱり危なくないですか? 管理課からまだ魔力回路の自由な稼働は禁止されているはずですけど?」
「危なくないようにするし、管理課の件は目撃者が黙っていれば問題ない。さ、おいで」
助けを求めるようにハチが私を見たけれど、強く頷いて見せておいた。
ため息をついて諦めの意思表示をしたハチが畳に上がっていき、そのハチの立ち位置を幸坂先輩が調整する。
加賀原先輩は装置から伸びるコードを私に手渡し、「接続しておいて」とそっけなく言うと、また戸棚の方へ行ってしまう。どうやらカメラが古すぎて、端末と有線で接続するしかないようだ。
私がコードを端末に繋ぎ、観測装置とリンクさせてセットアップさせている間に、加賀原先輩は幅原先輩とともに何か小さなパラボラアンテナような装置をハチを囲むように四基、設置した。
その装置からのコードは一つにまとめられ、やはり私の端末に接続された。端末の端子はもういっぱいだ。
「幸坂、こっちはいいぞ」
「こっちもいい。始めよう」
幸坂先輩と加賀原先輩が私の背後に回り、ディスプレイを覗き込んでくる。
「じゃ、始めるよ、ハチ。石森さん、記録を開始してくれ」
幸坂先輩が普段通りの声で指示が飛ぶ。
私は頷いて、全部のデータを記録し始めた。
「じゃあ、ハチ、魔力回路を稼働開始だ。四十パーセント程度を意識して」
了解です、とハチが答えた途端、端末のディスプレイに変化がある。
魔力回路稼働率を計測する装置、例のパラボラアンテナ状の装置からの情報でハチが魔力回路を稼働したとわかる。
実験室の機材ほど正確ではないので稼働率は五パーセント刻みで変化するものの、四十から四十五の間で落ち着く。
「オーケー」幸坂先輩は何でもないように指示を出す。「じゃあ、目の前のカメラみたいな装置を見て。見るだけじゃなくても、指差したりしてもいい。とにかく装置を意識してくれ」
ハチが短く返事をして、右手を持ち上げてカメラを指差した。
「そのまま、カメラに魔力波動を送り込むことを意識するんだ。カメラを壊しちゃけない。カメラに魔力波動を漂わせるイメージだ」
難しいですよ、と言ってハチが渋面を作るが、その間にもディスプレイの中の数値に変化があった。
センサーが魔力波動を検知している。
密度が数値化されているけれど、魔力波動はかなり強烈なものにならない限り視覚的には捉えられないので、今もカメラに向かって流れる魔力波動は肉眼では見えない。
魔力波動の数値は変動するが、幅は狭い。
「いいよ、ハチ。合図と同時に、魔力波動を引っ込めてくれ。センサーに当てないことをイメージして。でも魔力回路の稼働率は下げちゃいけない」
「引っ込めた魔力波動はどこへやればいいんですか?」
魔力波動をどこへやればいいのか、などという問いかけは、ややイレギュラーだ。
その不規則な問いかけを何でもないようにするハチに、幸坂先輩も平然と応じた。
「自分の周りにでも止めておけばいい。くれぐれも暴走させないように」
わかってます、と答えたハチが、わずかに息を止めた。
劇的な変化があった。
センサーが検知していた魔力波動がゼロになる。
全くのゼロ、センサーは魔力波動を検知していない。
加賀原先輩が身を乗り出してきて、端末を操作した。
魔力回路の稼働率には変化がないが、空間の魔力波動の濃度にも変化はない。
それが示すところは、魔力波動がセンサーだけを避けている、ということだろうか。
「よし、次だ」幸坂先輩は指示を続ける。「センサーに魔力波動を波を意識して当ててくれ」
「波、ですか?」
「そう。当てたり消したりを小刻みに繰り返してみて。リズムはまずは自由でいい。やってくれ」
はい、とハチが答える。
この時だけは集中しようとしたのか、ハチはちょっと目を細めた。
センサーの数値が動き始める。
魔力波動を検知して数字が上がったかと思うと、次にはほぼゼロになる。それが再び数値が上昇し、また下降して消えるを繰り返す。
「ハチ、ここからはリズムを指示するよ。僕の手拍子に合わせてやってくれ」
言うや否や、幸坂先輩が手を叩き始めた。
最初は間隔があったのが、徐々に小刻みになっていく。
ハチはしばらくそれに追従したようで、センサーが検知している魔力波動は手拍子に合わせて発生と消滅を繰り返していったけれど、最後にはうまくいかなくなった。
ほとんど魔力波動が検知され続ける形になった。まだ幸坂先輩は手を叩いている。
「出来ていますか?」
さすがにハチ自身も出来ていないとわかったのだろう、確認して来る。しかし意外なことに、幸坂先輩はデータとは全く違うことを言い始めた。
「出来ているよ。さあ、もうちょっとやってみよう」
手拍子はいよいよ早くなる。ハチはほとんどセンサーを睨みつけるようにしている。
端末上のデータが完全に乱れて数値が一定になっていたはずが、徐々に数値に再び差が生じてきた。
そのうちに一時的にリズムとピタリと合ったが、それも短いだけで、それ以降は再びまったく合わなくなった。
魔力波動はもう波ではなく、不規則に誤差と言ってもレベルの数値の変化があるだけだ。
それをしばらく見ていた幸坂先輩が打ち続けていた手を止めて、ハチに指示した。
「もういいよ。お疲れ様。欲しいデータは取れた」
ふぅっと、ハチが息を吐く。疲れた様子ではないが、緊張はしていたのだろう。
「あの、幸坂先輩。今のは……?」
私が問いかけた時、幅沢先輩も幸坂先輩の方を見ていた。
「先に機材を撤収しよう。話はそれからだ」
すでに加賀原先輩が動きだしているので、私たちも席を立ってそれに倣う。
片付けをしている間、早く疑問を解消して欲しい、ということだけが私の頭の中でぐるぐると巡っていた。
(続く)