74 検討
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試験がすべて終わって最後のレポートを提出し終えたところで、狙い澄ましたように幅沢先輩から連絡が来た。
ハチの身体に刻まれている魔力回路の確認をしよう、という内容だった。
魔法技専はもう間もなく、夏休みになる。
正式には八月一日からだ。
幅沢先輩やハチに夏休みの予定は聞いていないけれど、少なくとも幅沢先輩は時間を無駄にするつもりはないらしい。
了解のメッセージを送ると、すぐに返事が来て時間と場所が指定された。時間は翌日の朝からで、場所は実験棟の部屋の一つである。
幅沢先輩は私の返事を待つまでもなく、すでに実験室を押さえていたらしい。
実験室は行使者候補生が魔力回路の起動と魔力波動の簡単な試射ができる施設だが、同時に魔力回路の解析に関する設備も整っている。それは実験室での試験の結果をすぐに分析、解析するためにある。
ハチを呼ぶのかどうか確認したけれど、幅沢先輩はもう連絡をとっていて、ハチは遅れてくるらしいとメッセージが届いた。
幅沢先輩は仕事が早いというより、だいぶせっかちかもしれない。
翌日、私が実験棟の指定された部屋に入ると、すでに幅沢先輩が魔力回路を検証するための端末の前で、腕を組んで待ち構えていた。
き、気まずい。
本能的に時間を確認しそうになり、慌てて動きを中止した。それはそれで癪にさわるだろう。
「おはよう、石森さん」
静かな調子には凄みがある。自覚しているだろうか。
「お、おはようございます、幅沢先輩、その、早いですね」
気圧された私の返事に、幅沢先輩の表情は少しも変わらない。
「少し早く来ただけ。あなたは時間ぴったりに来たわね」
怒っている。間違いなく。
「さ、石森さん、データを見せて」
余計なことを言わないあたりが余計に怖いけど、下手な態度は取れない。
私は出来るだけ急いでラップトップ型の端末を取り出して起動すると、部屋に備え付けの端末と無線で接続した。
部屋の端末はビリヤード台のような形状で、かなり広い上部がそのままディスプレイになっている。枠のような部分に様々なスイッチや操作パネルが並んで設けられていた。
私が自分の端末を操作すると、巨大なディスプレイにハチに刻んだ魔力回路が表示される。
そこへ幅沢先輩が身を乗り出すようにして、魔力回路の詳細を確認し始めた。
行使者候補生は体に魔力回路を刻むが、行使者候補生の体は人間だから体型に変化がある。
一番多い可能性は痩せたり太ったりすることなわけだけど、それだけでも体に刻まれた魔力回路に誤差が生じるのは避けられない。
もっともそれくらいは微調整でどうとでもなるが、そんな理由で行使者候補生は大きな体型の変化が許されない。下手な増量や減量は避ける傾向にある。
魔力回路はそれほど繊細なもので、わずかな誤差でも重大な問題が生じることがあるということも言える。
ハチの事故は意図的な魔力回路への細工から起こったけれど、行使者候補生の小さな事故は頻発しているようだ。
問題にならない程度の小さな事故だとしても、その小さな事故は決して見逃せない、重大な事態として認識される。
探求者候補生にとっては自分の設計ミスであり、管理者候補生としては自分の施術の失敗を意味する。
「悪くない設計だと思うけど、ここが管理課が示した修正箇所?」
しばらくディスプレイに見入っていた幅沢先輩が魔力回路の一部を指差していた。そこだけ赤く色が変わっているので目立つ。
「そうです。そこにあるように追加で処置をすれば、この魔力回路の安全性が確保されると教えてもらえました」
管理課はハチの魔力回路を解析、検証した結果として答えを出してきた。ただ、その通りしなくてはいけないわけではない。
学生が別の解決策を探し、考案し、実行することも教育の一環とみられている。
「それにしては、すごく小さな処置ね。本当にこれだけで大丈夫なの?」
提案された処置を疑っている幅沢先輩の態度は慎重そのものだ。確かに、管理課が提示した補正部分は全体からすれば小さなものだと私も思う。
私は端末に表示されている管理課からの指示書を見ながら答える。
「実際にやらないとはっきりしませんけど、この処置である種のブレーカーのようなものが組み込まれるそうです。ただ、この処置をしてしまうと、模擬戦の実戦にそのまま出すのは難しいかもしれません」
でしょうね、と幅沢先輩が小さく頷く。
「魔力波動が一定以上の強度になると回路が勝手に停止して、戦いどころじゃないってことか……」
「そうなりそうです。実際に試射しないと、どれくらいの出力が許されるかは私たちにもわからないですが」
さすがに管理課が模擬戦での戦い方を考慮してくれるとも思えない。管理課は安全第一に考えるだろうことは疑いの余地はない。
何度か頷きながら、幅沢先輩が自分の考えを言葉にする。
「いくら試射したところで、魔力回路を全開にして本気で魔力波動を最大出力まで上げるシチュエーションは、さすがに模擬戦くらいしかないでしょう。まさか模擬戦の場で試してみる、なんてことは許されないか」
ですね、と私が答えるのに、すっとディスプレイの一部を幅沢先輩が指差した。そこも赤い色に変わっている。
「この辺りが魔力波動の増幅を司っているようだけれど、この魔力波動を増幅させるアイディアは今後に流用したい、と私は思っている。でも追加の処置の対象になっている、なんとか出来ないかな」
「何とかって、幅沢先輩、そこにこそ管理課の制約の本質があるわけで、さすがに難しいんじゃないですか?」
私が律儀に答えても、幅沢先輩は納得しなかった。
「結果的に魔力波動を放射する時の出力を上手くコントロールできれば、魔力波動の増幅機能それ自体は問題にならないはず。別の問題として、八角くんの身体が内包して制御しなくてはいけない魔力波動はこれまでと桁違いに大きくなるから、それはなんとかしないといけなくなる」
幅沢先輩は喋りながら、また魔力回路を仔細に確認し始めた。言葉はさらに続く。
「八角くんの魔力波動の制御力がどれくらいか、それが気になる。私も模擬戦の映像はチェックしているけど、詳細な情報はあなたの手元にあるんでしょ?」
「あります。表示しますか?」
「見せて欲しいけど、後でもいい。情報があると分かれば今はそれでいい。それで、石森さんから見て八角くんの制御力には余裕があった? 事故の前、だけど」
記憶を辿りながら、それでもと手元では端末で実際の数値化されたデータを検索している。
手を動かしつつ答える。
「私から見て、隙はなかったように思います。正確に、魔力波動を制御していたようでした。試合の後にもいくつかの数値をチェックしましたけど、これっといって問題はありませんでした」
私の言葉に幅沢先輩は、ふぅん、などと相槌を打って、またじっとディスプレイに見入っている。
そこへドアが軽くノックされた。私が返事をすると、ハチが一人で入ってきたが眠そうな顔をしている。
どこか弛緩した声がその口から漏れる。
「お疲れ様です。二人とも、もう試験はないんですか?」
そんなことを言いながらハチは手に提げていた袋から缶ジュースを取り出して、一つは私に、一つは幅沢先輩に渡す。
どうも、と受け取った幅沢先輩が銘柄を確かめ、封を切った。なんで銘柄を見たんだろう? こだわりがあるのだろうか。
「今、二人で話していたんだけど」
そう切り出して幅沢先輩がいくつかの事項をハチに確認し始めた。
魔力波動の制御に関するハチの感覚を問うものだった。数値ではなく、あくまで感覚の話をしている。
行使者候補生は数値的に魔力波動を理解するものではなく、むしろ数値以上に直感でより正確に理解する、ということは私も授業の中で聞いている。
直感的に魔力波動の強弱を理解し、コントロールするのが行使者候補生の普通なのだ。
私は指示されたわけではないが、その場でハチと幅沢先輩の会話を端末に入力した。何か、今後についてのヒントがあるように思ったから。
だから、その話題は幅沢先輩の数ある確認のうちの一つに過ぎなかった
幅沢先輩がこう問いかけたのだ。
「魔力波動の制御は、魔力波動を放射する段階ではできないわけでしょう?」
対して、ハチは何でもないように答えた。
「やろうと思えば出来る気もしますよ」
「どういうこと? 魔力波動を放射すれば、それはもうあなたの手を離れるわけでしょう?」
「離れますけど、自分の周囲の魔力波動を認識できるんですから、放射しても理解できるのは当たり前じゃないんですか。理解できるなら、制御も出来そうな気がします。自分の魔力波動はなおのこと、理解できますし」
そう、と幅沢先輩が答え、黙り込む。
ハチも質問が途切れたので、不可解な顔をしている。
幅沢先輩が何かを検討している横で、私もハチの発言を不自然に思った。
魔力波動の放射は行使者候補生の技能の基礎中の基礎だ。
ただ、大抵は打ちっ放しである。
例えば、事故が起きた時の対戦相手の行使者候補生は、試作魔法杖で遠隔攻撃を仕掛けてきた。
あの時は行使者候補生自身と魔法杖の間で接続があったと言うことができる。
接続があれば、それは打ちっ放しとは少し違う。
行使者と魔法杖が魔力波動でつながれば、そこに魔力の循環が生じるわけで、魔力波動を手放しているようで手放してはいないという形なのだ。
打ちっ放しの魔力波動は放射した後に軌道を制御することは可能でも、基本的には行使者の制御を離れてしまう。どことも繋がっていないのだから、そうなる。
それなのに、ハチは魔力波動を打ち出した後、それを認識し、制御できると言い出したのだから、それは原則に反するとも取れる。
ハチが言語表現を間違えたのだろうか。
私は幅原先輩を見て、幅沢先輩も顔を上げて私を見た。二人で視線をしばらく向けあったけれど、答えは出ない。
今、私たちが検討していることは同じ理屈のはずだけれど、ハチが言っていることが何を意味するのか私には想像もつかなかったし、幅沢先輩にもわからないようだった。
「どうした? え? 何かおかしなことを言ったかな」
二人共が何も言わないのに困惑しているハチに、幅沢先輩は静かに告げた。
「ちょっと試射してみましょう」
これには私が慌てた。
「ちょ、ちょっと、先輩、それは禁止されています」
思わず声を発する私に、幅沢先輩は表情を変えない。
まだハチの魔力回路は手を加えておらず、管理課から求められた処置が少しも済んでいないのだ。現状での魔力回路の稼働は厳密に禁止されている。
幅沢先輩は無感情に応じた。
「ブレーカーの機能を果たす装置が実験棟には用意されている。それを借りてくれば、問題ないでしょ」
そういう抜け道が許されるのだろうか。先日の実習室でのハチと山崎先輩のスパーリングの時と同じシチュエーションといえばそうだが、あまりにグレーゾーンすぎないか。
私は思わずハチを見た。ハチも私を見た。
お互いに探り合うような形になった。
「二人で見つめ合ってないで」
幅沢先輩が間をおかずに言った。思わず私とハチが視線を外したが、そこはどうでもいいか。
迷いを一刀両断するように幅沢先輩が決定した。
「さっさと実験室に行きましょう。時間が惜しい」
(続く)