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75 制御

       ◆



 いつかも利用した実験室へ移動しすると、ハチの方から確認してきた。

「的を用意するのか?」

 実験室の言わば試射室に相当する空間には常にいくつもの的が用意されている。高さ、幅、厚み、素材、構造は多岐にわたる。目的に応じて使い分けるのである。

 ハチが発言したのは私や幅沢先輩では的を設置するのに時間がかかると考えたのだろうが、ハチも魔力回路を使えないのではちょっと腕力がある程度に過ぎない。

 応じた幅沢先輩は冷淡だ。

「的は必要ない。試しに魔力波動があなたの周りにどう分布するかを知りたいだけ。それにあなたが的を破壊するデータは前のものもあるから、今はいい」

 早速、幅沢先輩は机を用意して自らのラップトップ型端末を広げていた。

 観測室ではなく実験室で様子を見つつもりらしい。

 私もただ見ているわけにはいかないので、駆け寄って準備を手伝う。部屋に用意されている別の端末なども持ってきて、観測態勢を整える。

「これをつけて」

 幅沢先輩が言葉とともにチョーカーのような物体をハチに投げた。

 危なげなく受け取ったハチが装置を確認している。幅沢先輩は端末の起動と連携を進めながら、簡潔に説明する

「それがブレーカーの役目を肩代わりしてくれる。私の私物じゃなくて実験室の備品だから、壊さないように」

「壊れたら大変なことになるんじゃないですか?」

 恐る恐るというハチの言葉に、幅沢先輩は淡々としている。

「ブレーカーが壊れるほどの出力を出すなら、この部屋そのものが壊れる可能性がある。まず、私たちがここにいるのを忘れないように。もし実験室が大変なことになるほどの魔力波動が本気で直撃すれば、私たちはひとたまりもない」

 無感情に幅沢さんが解説した内容は、私にも遅れて理解できた。

 私たち、とは、他でもない幅沢先輩と私だ。

 さすがに事故で死にたくはない。

 いや、事故というか、実験で、というべきか。

 小型のブレーカー代替装置をハチが首に巻きつけると幅沢先輩はそれが機能しているかどうか、自分の端末でチェックし始めた。

 私は私で実験室に備え付けの観測機器を全部立ち上げ、端末との接続が問題なくセッティングされているかチェックした。

 良さそうだ。再確認して、頷く。

「こちらはオーケーです、幅沢先輩」

「じゃ、始めましょうか」一度、私に視線を送ってから幅沢さんが端末に向き直った。「八角くん、魔力回路を十パーセント程度の感触で起動してみて。ブレーカーは気にしないでいい」

 私も席に落ち着き、端末の映像と数値を凝視した。隣では幅沢先輩も同じようにしているが、表情は普段より少し硬いか。

 ハチの魔力回路が起動し、稼働を始める。

 魔力が彼の体内で増幅されていくのが数値でわかってくる。と言っても、まだ出力が弱いので魔力回路の稼働率程度しか数値化されない。

 現時点では魔力波動はハチの体内に留まり、放射されていない段階だった。

「稼働率を三十パーセント程度にして」

 幅沢先輩の指示に、ハチは特に反応しない。

 だが端末の中では魔力回路の稼働率が四十パーセント近くまで上昇していた。

 同時に、彼の周囲を撮影している特殊なカメラからの映像が変化し始めた。

 ハチの周囲で、ゆらめきが観測されているのだ。カメラを通さないとそれは見えない。私の肉眼では目視できない。

 そのゆらめきを観測しているカメラからの情報を解析すると、別のウインドウには薄い青の靄のようなものがハチの周りを漂っているように表示された。

 青い靄は、魔力波動だ。

 今、魔力波動がハチの身体から発散されていることがわかる。

「稼働率を六十パーセントに」

 私が緊張しているのに対して、幅沢先輩は全く冷静だった。

 事故が起こったらどうするのか、と思ってしまう私とは幅沢先輩の感覚はまるで違うらしい。

 魔力回路の稼働率が六十五パーセントほどに上がったハチだが、やっぱり身じろぎもしない。

 事故が起こった時、ハチは両手に模擬魔法杖を持っていた。

 あれにも細工がされていたのは既に判明している。安全装置が緩められていたのだ。些細な、しかし重大な細工だ。

 あの模擬魔法杖は再使用を禁じられているので、今はハチが使える魔法杖は何の手も入れていない初期状態の模擬魔法杖しかない。

 今はその模擬魔法杖さえも使っていないので、ハチの魔力波動の増幅能力は全力とは程遠いほど弱い。

 なのに彼の周囲にはかなり濃い青の表示が見え始めた。

 それが意味するところは、魔力波動は制御されているとも言えるし、完全な制御ではないとも言えた。

 私の横にいる幅沢先輩はしばらく黙っていた。

 じっと端末に視線を落とすその様子は何かを待っているようだけど、何も起こらないまま時間が過ぎる。私の方が緊張して、額に汗が滲んできた。

 ハチの魔力回路の稼働率は六十五パーセントでおおよそ維持されて、安定している。

「じゃ、次の段階に行こう」

 何でもないように沈黙を破って、幅沢先輩が新しい指示を出す。

「魔力波動を少し開放して、さっき言っていた、制御できるという奴を試してみて」

「どれくらい開放すればいいですか」

 即座にハチが確認するあたり、彼も焦れていたのかもしれない。幅沢先輩だけが落ち着いているようなものだ。

 言葉も普段通り、平板である。

「少しは少し。あなたに任せる。ただ、開放してから放射した魔力波動を、制御してみせて」

「曖昧な感覚なんですよ? できる確信はありませんけど……」

「こちらの観測機器が全部見ている。とにかく、任せます」

 まっすぐに立っていたハチが、頭に手をやって髪の毛をかき回すようにすると、またまっすぐに立った。

 どういう意味があったのか、足元を確かめるように足の位置を調整して少し首を振った。

「じゃ、やりますよ」

 何でもないようにハチは言うが、口調が言外に、何が起こっても知らないぞ、というものになっている。

 正直、私は恐怖を感じていた。感じてはいたけれど、何も言わないようにぐっと口元に力を込めた。

 私の横で幅沢先輩は何も言わないままだ。本当に、怖くないのだろうか、

 ハチの方をもう一度、確認するとハチがこちらを見ている。

 何も考えず、私はハチに親指を立てて見せていた。

 ハチが破顔し、私から視線を外す。

 その時に起こったことをどう表現すればいいか。

 何か、私の体に見えないものが吹き寄せてきたようだった。

 なのに別に私の髪の毛が揺れたとか、そういうことはまったくない。

 物理的な力ではない何かが私に触れるというのは、ある種、神秘的なものを感じさせた。

 肉眼では何も見えないし、体で感じたものも既に消えている。

 それはしかし、カメラのセンサーには捉えられていた。

 端末を見て、私は息を飲んだ。

 青い濃い靄がハチの周囲を覆っている。

 過去の映像ではない、今もそれはハチの周りにある。

 しかも、無秩序に漂っているわけではない。

 全てではないが、一部が明らかに意図的に動いていた。

 濃い青が弧を描いて、ぐるぐるとハチの周りを流れて行く。薄い青は少しずつ薄れて消えていくが、濃い青の方はどんどん濃くなる。

 明確に円を描き始めた流れに、青い靄が収束していく様が見て取れた。

 思わず隣の幅沢先輩を見ると、珍しく眉間にしわを寄せて先輩は難しげな顔で端末を凝視していた。

「先輩……?」

 少し震えている私に呼びかけに、うん、と幅沢先輩はいつも通りに一度、頷く。

 そして冷静に、次の指示を出した。

「魔力波動を、拡散させられる?」

 これには私は絶句していた。

 魔力波動を拡散させて、もしそれが物理力を持っていればどうなるか。

 私や幅沢先輩が吹っ飛ぶのではないか。

 冷や汗をかいている私を気にした様子もなく、いいですよ、とハチが気軽に答える。

 端末の表示にはまたもすぐに変化が起きた。

 ハチの周囲を回り続けていた青い帯が一瞬で消えてしまったのだ。

 それと同時に、ハチの周囲にわずかに残っていた薄い青の靄も消え去っていた。

「ハチ、魔力回路はオフにしないで。魔力波動が消えているよ」

 私が思わずに口を挟むと、ハチが胡乱げな顔になった。

 魔力回路を切って魔力波動の発生をゼロにしたんじゃないのか?

 隣の幅沢先輩を確認すると、先輩は手元の端末のモニターをトントンと指でつついて示す。

 私は手元の端末を見る。

 そこに示された数値を見て、私は本当に言葉を失ってしまった。

 魔力回路の稼働率は、六十五パーセントで安定している。

 それが意味するのは、今もハチの魔力回路は稼働を継続しているということか?

 それなのに、魔力波動が検知されていない?

「何か問題があるか?」

 どこか落ち着かなげにハチが私に問いかけてきて、答えに困った。私の思考に何の結論も浮かばないのを助けるように、幅沢先輩が横から指示を追加した。

「今度は魔力波動を集めてみて。そう、自分の前方に、壁みたいなイメージで」

 はあ、などと気の無い返事をするハチにはやや腹が立つけど、私は見守るしかない。

 ハチには何が起こっているのか、正確にはわかっていないようだが、それは私も同じだ。

 目では見えない。

 それがセンサーを通して見ればわかる。

 私は目を疑ったし、次にはカメラの不具合、端末の不具合を疑った。

 しかし、目の前の表示は不具合ではないようだ。

 今、ハチの前方には青い壁が出来上がっていた。

 これが意味するところは、なんだろう……。

 論理的には理解できていないけど、形の上でははっきりしている。

 明確すぎるほど明確だ。

 ハチは自分の体から発散された魔力波動や、放出した魔力波動を、とりあえずは操れるということだ。

 こんな魔力波動の制御が、どうやったら可能なのだろうか。

 どんな理屈がそこにあるのだろうか。

 これは常識なのか。誰かが研究したりしているのだろうか。

 私が唸ってしまう横で、幅沢先輩も椅子の背もたれに寄りかかり、何かを考えている風だった。

 ハチだけが、何が起こっているかまだわからないままで、私たちの方を不審そうに見ていた。






(続く)

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