70 承諾
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ああ、と思わず声が漏れてしまった。
「まったく気づきませんでした」
思考がだだ漏れでそんなことを口にする私に、幅沢先輩は少しムッとしたようだった。
「あなた、普段から相手の顔を見ていないの?」
「み、見ていますよ。ただあの時は、突然でしたし、夜でしたから」
言い訳しかできない私に、幅沢先輩は口をへの字にしていた。
幅沢先輩とは確かに一度、会ったことがあった。話をしたこともある。
あれは馬場先輩が参加したことをきっかけに開かれた食事会の日だった。
解散になった後、山崎先輩と私で寮へ向かっている時、声をかけてきた知り合いでもない女子生徒がいて、馬場先輩について警告してきたことがあった。
あの時の女子生徒が今、目の前にいる。
キャップをかぶっている時は全く気づかなかったけど、キャップを外すとすぐに気づけるのは不思議だ。
なるほど、私は本当には相手の顔をしっかり見ていないのかもしれない。
「あの、幅沢先輩はいつから私のことを知っていたんですか?」
素直に問いかけを向けてみると、先輩は表情を変えないまま、冷淡と言ってもいい口調で応じる。
「入学式の直後の懇親会で、あなたとあなたの相棒が話題になっていて、そこで知った」
「そんなに早くにですか? それがどうして、私に警告を発するところまで至るのか、想像もつかないのですが」
幅沢先輩はそれに、少し身を乗り出して答えた。
「私はくだらない人間が魔法技師の評判を落とすのが気に食わなかった。でも、あなたに警告する程度では足りなかったようだけど」
すみません、と反射的に謝ると、謝る必要はない、とピシャリと返されてしまった。
「そろそろ本題に入りましょう」元の姿勢に戻り、幅沢先輩が淡々と話す。「石森さん、あなたからの公共メッセージは読みましたし、それに返事をしたのに応えてあなたがここへ来てくれたことには感謝します」
軽く頭を下げられて、ちょっと慌ててしまった。
「先輩、頭を下げないでください。頭を下げるのはこちらの方です」
「勝手に質問攻めにして、あなたという人について知ろうと思ったけど、こんな短い時間じゃ無理だと思い知った。見通しが甘かった」
それは、つまり……?
「私たちとは組めない、っていうことですか?」
「逆に質問するけど、あなたたちはどうして私を選んだの?」
選んだ理由か。
適当な嘘を口にすることはできる。でもそれでは信頼関係は築けない。
言える限りのことは、打ち明けるか。
「実は、顧問の藤吉星羅先生が、あなたのことを教えてくれました」
「なんですって? 教師や教官がグループへの生徒の勧誘に関与するのは禁止行為のはずだけど?」
「ええ、まあ、そうなんですけど……、それが事実でして……」
他に言いようもない私が上目遣いに幅沢先輩を確認すると、幅沢先輩は嘆かわしげに首を振っていた。あまり感情表現が豊かではない人物だと思っていたので、その首を振る動作はちょっと意外だ。
でもわかりやすいし、ギャップがあってちょっとかわいらしい。
そんなことを思っている私に、幅沢先輩が鋭い視線を向け直すので、私は背筋を伸ばした。
「第十六グループっていうのは色々な意味でデタラメみたいね」
「内側にいても、そう思います。ことあるごとに」
「それは、大変そう。犯罪者が食い混んできて事故は起こるし、それで怪我人も出るし、デタラメが過ぎる」
「あまりその話はしないでください」ちょっと私も声が低くなってしまった。「割り切ろうとはしていますが、まだ生々しいので。それとも先輩の忠告を無視したことを根に持ってますか?」
かもね、と幅沢先輩は答え、ちょっと笑った。
その笑みも初めて見る。
ここだ、と思ったので、私は提案をぶつけてみた。ズバリと、一番の提案をだ。
「幅沢先輩、私たちと組んでもらえませんか?」
幅沢先輩はすぐに答えなかった。私は言葉を続けて、なんとか説得を試みた。
「難しいことになるのは分かっています。私は未熟な管理者候補生だし、行使者候補生は体に出来損ないの魔力回路が残っています。すぐに結果が出せるかはわかりません。もしかしたら、ずっとうまくいかない可能性もあります」
それで、と幅沢先輩が言葉を返してくる。
「私が入ることであなたたちにどんなメリットがあると思っている? ただでさえ第十六グループは特別視されているのに。それもかなり悪い意味で」
「先輩にメリットはあまりない、もしかしたら少しもないかもしれません。それでも、私たちには探求者候補生が必要なんです。次のステップに上がるために。そのためには、できれば有能な探求者候補生が必要なんです」
私がまくし立てるのに、幅沢先輩がちょっとだけ首を斜めにした。
「私はとても有能とは思えないけど? ここまでの経歴を調べたでしょう。それとも藤吉先生が私を評価した、ってこと?」
答えづらい質問だ。でもここでも正直を守るべきだろう。
「藤吉先生が先輩のことを教えてくれたということもありますが、山崎先輩と幸坂先輩も、先輩を評価しています。二年前の模擬戦の結果を見て、ですが」
「あれは私一人で出した結果じゃないし、私からすれば大昔のこと」
「なら」
ここしかないと何故か思えた。
ここで攻め立てるしかない。
「それなら、私たちと一緒に二年前より上の結果を出すことに挑戦しませんか?」
幅沢先輩はすぐに返事をしようとしない。
ぼそりと彼女が何かを呟いたので、私は、なんですか? と身を乗り出した。
幅沢先輩が私を正面に見た。
「理由はいくつかあるけれど、協力してもいい。でも、あまり期待はしないで」
「協力してもいいって」舌がもつれそうだった。「チームに加わってくれるんですか?」
そう、とやっと聞こえるほどの小さなことを言って、幅沢先輩がかすかに顎を引いた。
私は素早く手を伸ばして、幅沢先輩の手を取ろうとした。が、先輩がさっと手を引いたので私の手は空を切っただけだった。
「じゃあ、私の連絡先を教えておくから」幅沢先輩は携帯端末を取り出しながら言う。「集まりがあるときは連絡して。先輩たちとの顔合わせもあるんでしょう?」
不自然な姿勢から元の姿勢に戻って、私は携帯端末をポケットから引っ張り出す。
「もちろんです。あ、歓迎会もしましょうか」
「試験期間が終わった頃なら」
どうやら幅沢先輩は生真面目なようだ。山崎先輩や幸坂先輩とどうなるかはわからないけど、いざとなれば私がうまく調整しよう。
連絡先を交換して、私はもう行くわ、と幅沢先輩が席を立った。
私は礼儀だろうと判断して立ち上がって頭を下げる。
「これから、よろしくお願いします」
「そんなにしゃちほこばる必要はないよ」
頭を下げた私にそう言ってから、幅沢先輩が思い出したように付け加えた。
「加賀原先輩とは会ったことがある?」
「え?」
意外な人物の名前が出てきた。でも、加賀原先輩と幅沢先輩は同じ探求者候補生だ。
「加賀原先輩ですか? 会ったことも話したこともありますよ」
そう、と短く答えた時、幅沢先輩の口元にはっきりと笑みが浮かんだのが見えた。
確認しようとした時にはそれは消えていて、じゃあねという言葉を残して今度こそ幅沢先輩は去って行った。
さっきの笑みは、いったい、何の笑みだったんだろう。
席に戻って、とりあえず私はタコライスの残りに取り掛かった。
幅沢先輩は、きっとチームに加わってくれる。
そう思うと、ガッツポーズしたくなる。しないけど。一人になったらするかも。
こうして想定より早い段階で探求者候補生が加わってくれたのは、嬉しい反面、実際にはちょっとだけ不安でもある。
それは一度、裏切られているからかもしれない。
幅沢先輩は裏切るはずがない。それでも、どうしても嫌な展開を思ってしまう。
この苦しみはどこまでもまとわりついてきそうだ。
無視して、食事に集中する。
まずは一歩前進したのだ。それでよしとしよう。
この一歩は正しい一歩のはずだ。
(続く)




