63 朝の光景の中で
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俺は幸坂先輩と病院を出た。
幸坂先輩の発案で無理やりに病院を退院したため、翌朝の早朝から顔を出すことになっていたのである。
まだ朝食時と言ってもいい早い時間なのに、すでに学校の敷地にはそこここに生徒が見えた。
幸坂先輩に言わせると、模擬戦の最中では普通の光景、とのことだ。
今日は模擬戦の期間中でも休息日に当たる日だった。本戦一次リーグの中日だ。
予選の一日目と二日目の間の休息日もそうだったが、一部の授業は行われるようだけれど大半の授業は休みになる。
なので、早々に模擬戦を終えてしまった生徒からすれば、やることもなく、祝祭日と同じようなものだ。
こんなに暇でいいのかとも思うけれど、これも幸坂先輩に言わせると「夏休みの前借り」ということになる。
言い得て妙、という奴かなと俺は頭の中で処理しておいた。
それはそうと、病院がやけに早い時間に俺の診察時間を入れたことは疑問に思ってはいたけれど、今朝、医者と対面すると「記録の上では今朝の退院にしておきます」と言われてしまった。
どうやらそういう融通の利かせ方だったらしいけれど、医者は不機嫌そのもので「これで正式に退院ですね」と付け足してきて、さすがの俺もひきつった笑顔になってしまった。
ほとんど恫喝だ。二度と同じことをしようとは思えなかった。する場面もないだろうが。
これで昨夜に退院したのではなく、今日の朝に退院したことになったようだが、おそらく記録上では今朝まで俺はベッドで寝ていたことになっている。
管理課との兼ね合いはどうなったのか、それは少し気になった。厳密に調べられたら医者も困るだろう。あるいは医者の方が管理課よりも上位なのかもしれなかったが、そういう上下関係は俺には知ることはできない。
医者は俺が診察室を出る段になって思い出したように、「管理課の取調官がきみのところへ行くと思いますが、どこで話すことにしますか?」と質問してきた。
場所をこちらで指定できるのか、と確認すると、できるとのことだった。
少し考え、第十六グループの実習室でお願いします、と俺が答えると、医者は「そう伝えておきます」と淡々と応じていた。退院時期について何も言われないのは、そこは確認されない自信があるのだな、と俺は判断した。
ちなみに俺の横では幸坂先輩が嫌そうな顔をしていた。実習室を取り調べに使って欲しくないのが本音だろう。
そんな展開があって、俺に付き添ってくれた、というか、付き合わされた幸坂先輩はあくびなどをしながら「何か食べていこう」とすぐに気持ちを切り替えたようだった。
「今更ですけど、実習室で取り調べを受けちゃマズイですか?」
歩き出しながら念のために確認すると、幸坂先輩は実に自然に教えてくれた。
「マズイも何も、一昨日に管理課がうちの実習室を捜索していったよ。だから今更、マズイも何もないね」
捜索? その話は聞いていない。
「それって、俺が事故を起こしたからですか?」
「そうだね。きみたちは第十六グループの所属なわけだから、実習室を調べるのは当然だ」
「それは、その、迷惑をかけて、すみません」
正直に謝る俺に、幸坂先輩は小さく笑った。
「この程度の迷惑はたいしたことじゃないよ。捜索といっても実習室には調べるほどのものはなかったし。僕の製図台の中身くらいかな。あれはスタンドアロンで使っているから、データをその場で全部コピーされたよ。今頃はもう、解析も終わっただろうね」
「……それって、だいぶ悪いように思えますけど」
幸坂先輩の研究内容はあまり外に出したくないと俺は想像した。スタンドアロンで使っていたのも、そういう印象を補強する材料だ。
しかし、先輩はあっけらかんとしている。
「今回の一件に関係ないなら、問題ないさ。学校側も特許に関しては厳密だ。僕の開発したものがどこかへ流出するような事態はない。はずだ」
はずだ、って、俺としてはそこは断言して欲しかった。
何を食べたい? などと話題を転換しながら、幸坂先輩の足取りは軽い。
少し先を言っていた幸坂先輩が、その足運びを緩めてこちらを肩越しに見る。
「そういえば、昨日の夜はどうだった?」
どうも落ち着かないというか、居心地の悪い話題に、それでもついていく。うまく話題をずらそうと努力してみた。
「昨日の夜ですか? えーっと、一応、痛み止めを飲んで寝ましたけど。ぐっすり眠れました」
「それはさっき、診察室でも聞いた。そうじゃなくてさ。どうだった?」
どうやら幸坂先輩は話題のすり替えは許さないようだ。それでも最後の抵抗を選ぶ。
「だから、何がですか?」
俺が話がわからないふりをして首を傾げて見せると、幸坂先輩は、珍しく表情に稚気を見せた。ふざけた口調で問い詰めてくる。
「メッセージだよ。きみ、石森さんにメッセージを送っていただろう。返事はあったのかな」
「ああ、そのことですか」
妥当な言葉も見つからず、誤魔化す道筋もつかず、唸るしかない俺にクスクスと幸坂先輩は笑い出した。
「その様子だと、何か返事があったようだ。どうしてすぐに返事が来なかったんだって? 訊いた?」
さすがに俺としても観念した。
「まさか、訊きませんよ。それはデリカシーがない人間のすることです」
「おやおや、まるで僕がデリカシーがないみたいな言い方だけど、そういうことを言いたいの?」
どうも今日の幸坂先輩は変に絡んでくるな。
「そうじゃないですかね。この話はやめましょう。俺は朝ごはんは片手で食べられるものがいいです」
「片手ね。じゃあ、サンドイッチにでもするか。好きにカスタマイズできる店がすぐそばにある」
言いながら幸坂先輩は脇道に入っていく。まるで俺との会話をしながら同時に道を選ぶタイミングを計っていたようた。
実際には単に幸坂先輩が敷地内の脇道という脇道に精通しているだけか。
「それで、石森さんは何だって? その様子だど返事はあったんだろう?」
感心している俺に、また幸坂先輩が絡んでくる。
「その話はやめましょうって、言ったじゃないですか」
「グループの責任者として、聞いておく必要があるんだよ」
どうやら話さないと解放してもらえそうもない。
「ありましたよ」
それ以外に答えようがないので事実を簡潔に口にしたが、幸坂先輩は小さく下手くそな口笛を返してきた。
「そういうところもデリカシーがないんじゃないですか?」
やり返す俺に、幸坂先輩は神妙に応じた。それさえもふざけているような声音の作り方だ。
「難しい時代だよね。ちょっとしたことでも咎められる。石森さんからの返事の内容は教えてもらえないのかな?」
「教えてもいいですよ」
うん? とこの時ばかりは幸坂先輩が俺を意外そうな顔で見た。
俺が教えたくないというと思っていたのだろう。
先輩の驚きの顔に、俺はしてやったりと笑みを向けてた。
「今日、実習室へ来るそうです。メッセージの内容はそれだけですよ」
「それだけ? え? 他には?」
「本当にそれだけです。明日には実習室へ行く。それだけです。おかいいですか?」
まあねぇ、などと小さな声で言いながら幸坂先輩は口元を手で隠している。笑いが堪えきれないんだろうが、何がそんなに可笑しいのか。
こちらが仕返ししたはずが、何か失敗した気がする。
幸坂先輩は前に向き直り、その背中から声が届く。
「何か、二人の間で通じ合うものがあるらしい」
変な解釈に、今度は俺が笑いをこらえきれなかった。
「そんなロマンチックなものじゃないと思いますよ。考えすぎです」
隠しなさんな、などとまだ幸坂先輩は笑っていたけれど、もう質問するのはやめていた。
聞くべきことは聞いた、ということか。そうじゃなければ、やっと自分のデリカシーのなさに気づいた、とか。
サンドイッチの店はすぐに見つかった。生徒が数人、列を作っていたけれどどんどん消化されていく。
店内の席は埋まっていて、並んでいる生徒はテイクアウトの利用者の列だとわかった。俺と幸坂先輩もテイクアウトしたのだけれど、二人で五人前ほどを頼んだのは他と違った。
パンパンの紙袋を持った幸坂先輩は、実習室へ向かいながら思い出話をするように話し始めた。
事実、それは昔話だった。
「潤が事故を起こした時も、今と似たような場面があった気がするな。懐かしい」
「管理課の取り調べのことですか?」
「まさか。こうして大量のサンドイッチを買ったことがあった気がする。彼女が魔力の枯渇に悩まされていて、僕がちょっとおかしい量の料理を仕入れたりしないといけなくなった。恥ずかしいと感じるのは最初だけだという好例だ」
「え? えっと、山崎先輩は最初から食欲が、その、おかしかったんじゃないですか?」
違うよ、と幸坂先輩は言う。
「正確には、もともと少し食欲がおかしくはあったけど、あの事故以降に余計におかしくなったんだ。事故で魔力回路が体に焼き付いて、想定外の不具合が出たのさ」
そうですか、としか俺は言えなかった。
俺の困惑に気づいているのかいないのか、幸坂先輩は実習棟の方へ脇道へ入り、スタスタと歩いていく。
朝日の強い日差しが木々の枝葉の隙間から差し込み、地面に複雑な模様を作る。
鳥がどこかで鳴き交わしている。
そういう全ての下を、どこか頼りなく歩く先輩の背中を俺は見た。
不思議な人である。
でも、今までより少し、本当の姿を俺に見せてくれたような気がするのは、気のせいだろうか。
気のせいじゃないのなら、少し嬉しい。
(続く)




