62 疑問と解答の所在
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知らず知らずに食いしばった奥歯が、かすかに軋んだ。
「他に、できることが、ありません」
絞り出すような私に対して、加賀原先輩は視線を合わせずに実に軽い調子で応じる。
「あるさ。逃げない、ということができる」
「私は、もう無理です」
へぇ、と加賀原先輩が言う。
「放り出すのか? あいつ、なんて言ったかな、八角? とかいう行使者候補生を、お前は放り出すのか?」
胸の底が冷えた気がした。
八一郎を見捨てる。
逃げるとはそういうことだ。
でも。
でも……。
「私のせいで、彼は危うく、相手を殺しそうになりました」
「それなら過去に事故を起こした僕も同じ立場で、お前と同じ責任があるということになるな。事故の結果を比べれば、僕の方がより重い責任がある。違うか? どう思う?」
「二年前の事故のことを言っているのですか? 比較することは、できません」
「そうだな、比較はできない。しかし僕も幸坂も、潤の奴も、酷いことをしたのは事実だ。事故だったが、一人の行使者候補生の未来を奪った。お前はまだましだろうと僕は思う。相手は死んだとも、学校にいられないとも聞いていない。ま、そういう理屈でもないがな」
どうとも答えられない私に、加賀原先輩は言葉をぶつけてくる。
それはどこか、怒りをぶつけるようでもあった。静かな怒りだ。
「逃げるのは簡単だ。魔法技専は牢獄ではないし、絶海の孤島でもない。いつでも逃げようと思えば逃げられる。正面から逃げてもいいし、こっそり逃げてもいい。しかしな、それで失うことをよく考えろ。いや、考えるまでもないんだ」
私の視線は知らずに加賀原先輩に向いていたけれど、加賀原先輩は窓の外を見ているままだった。
彼の怒りの滲む言葉は私に向けられながら、ガラスに映る加賀原先輩自身に向かっているようでもあった。
「僕には幸坂がいたし、潤もいた。僕たちは三人で、狭い世界を作った。そうすることで、この世界、大きな世界から自分たちを守る防波堤を用意できた。助け合った、支え合った、なんて綺麗なものでもないな。必死だった。僕たちには、それぞれに目指すものがあったから」
加賀原先輩の口調には激情がないのに、その奥には強い熱があるように私には聞こえた。
「僕たちは、魔法技師になると決めていた。そのためには、ここで何もかもを投げ出すわけにはいかなかった。幸坂にも潤にも理由はあるが、僕はとにかく、この道の先を知りたい。両親が見ていた世界が本当にあるのか、僕の中の様々な疑問の答えがどこにあるのか、それを知りたいんだ。知ってどうしようというわけでもない。ただ知りたい。そのためには魔法技専が必要だ。だから僕たちは逃げ出さなかった。巨大なものを背負って、周囲からどんな態度を取られても、僕たちはここに残った」
視線が改めて、私に向く。
冷え冷えとした眼差しが、私の深いところへ突き刺さる。
「石森、お前は逃げて終わりにしていいのか? 八角の話をした時、お前の表情が少し変わった。お前には責任感が残っている、ということだ。八角が何を目指しているのか、お前が何を目指しているのか、それを僕は知らない。しかし、お前たちはお互いを支えられるはずだ。お前は八角にもたれていればいいんだよ。きっと八角だってお前にもたれるだろう。そうして、ただ自分の夢だけを見ていろ。それでしばらくはまっすぐに立っていられるはずだ。どうかな」
長い沈黙の後、わかりませんよ、と答える私に、だろうな、と平然と加賀原先輩は答えた。
「わからなくて当然だ。これからのことだからな。試しに魔法技専へ戻ってみろ。そこで答えを探せ。もし本当に終わりにしたいのなら、正式に技専を辞めればいい。まだ十五歳だか十六歳だろ。別にやり直しがきかない年齢でもない」
答えられないままの私をモノレールは静かに運んでいく。
車内アナウンスで次の駅に到着することが伝えられる。
加賀原先輩が顎をしゃくるようにする。
「降りるなら、降りろ。ま、僕の知ったこともないが」
ゆっくりとモノレールが減速していく。ついに車両は完全に止まり、ドアが開いた。
ホームが見える。
無人のホームだ。
「反対のホームに下りの終電がそのうち来るさ。行けよ」
穏やかな加賀原先輩の言葉に、私は立ち上がっていた。
足取りは重い。
重すぎる足取りでゆっくりと私は先へ進む。
ドアが閉まった。
閉まりかけて私を挟んだ。
ドアが改めて開いて、私はホームによろめいて転がり出た。膝からホームに落ちて、這ったような姿勢で私は車内を振り返った。
「魔法技専でまた会おう」
車内からそんな加賀原先輩の声が聞こえたけれど、すでにドアは閉まる寸前で、加賀原先輩の表情は読み取れなかった。
転落防止ドアも閉まり、モノレールが動き出す。
私は引きずっていた小さな荷物を抱え上げ、のろのろと立ち上がった。その時にはもうモノレールの車両は走り去って、ホームからは小さくなるその明かりがかすかに見える程度だった。
ゆっくりと駅舎を移動し、反対のホームに向かう。
そこもやっぱり無人だった。ベンチを見つけて腰を下ろし、重い息を吐く。
八一郎を、放り出すのか。
責任を、放り出すのか。
難しい問いかけだ。
私が罪を償うには、全てを投げ出すしかない気がする。
自分の人生を捨てること、全ての希望を打ち捨てることが謝罪のように思える。
それではいけないのだろうか。
背負うものを背負い、苦しみを正面から受け止めて、歯を食いしばって先へ進むことが、本当の贖罪であり、謝罪なのか。
私はきっと、これから幸福や楽しみを感じた時、その度に苦しみ、悩むだろう。
自分が幸せや楽しみを感じることが間違っていると、そう思ってしまうだろう。
その苦悩こそが、罰であり、償いか。
どれくらいをベンチに座って待っていたか、チャイムの後に車両の入線を告げる合成音声が流れ始めた。
顔を上げるとホームを照らす照明が、いやに眩しいのに気づくいて、また顔を俯けた。
その姿勢のまま、私は立ち上がり、荷物の入ったリュックサックを背負った。
こんな短い時間で、本当の覚悟なんて決まるわけがない。
私の絶望も、諦めも、無力感も、何も解決していない。
加賀原先輩の言葉が、私の中で解釈されていく。
全ての未解決に対する解答が、魔法技専にあるのではないか。
全てとは言えなくても、解答はあるかもしれない。
あるいは、八一郎に、あるのではないか。
私と同じ十字架を背負っている生徒の存在に。
私の、共犯者に。
ため息が漏れる。いったいどういう顔で、どういう態度で魔法技専に戻ればいいのだろう。
後ろめたいし、みっともない。
でも、戻ろう。
それ以外に、私が先へ進める方法はないんだろう。
私は管理者候補生で。
私にはするべきことがある。
モノレールが入線してきて、静かに停車した。転落防止ドアが開き、車両のドアも開く。
誰も降りてこない。
私はじっとその空間を見据え、今度はドアに挟まれずに乗り込んだ。
私は、魔法技専に戻る。
どんな罰を受けても、まだ何も答えを見つけていないから。
自分の人生の、自分の行いの結果を、まだ見ていないから。
ドアは閉まり、モノレールは走り出し、ゆっくりと加速していく。
窓の外の闇には、何も浮かび上がってこない。
何もかもが黒く塗り込められている。
漆黒の中へ、列車は突き進んでいく。
レールに沿って、迷うことなく。
頼りない私を乗せて。
(続く)




