64 本当の顔
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実習室へ戻ると、ドアの前で取調官が待ち構えていた。
最初はそこに立っている背広の男性二人組が取調官だとわからなかったが、他に可能性がなかったし、その眼光からして他の職員などとは違う。
俺は怯んでいたが、幸坂先輩は気圧されたようでもなく「今、開けますよ」と取調官が口を開く前に声をかけた。
取調官はどちらも口を開かない。朝食は食べましたか、と確認したい気もしたが、それは俺が空腹だからだろう。
どういうわけか、事故の後は普段以上に腹が減る気がする。
早くサンドイッチを食べたいが、もうしばらく先になりそうだ。
実習室に入り、取調官は一つのソファに並んで座った。二人では窮屈だが、彼らが自分からその席に着いたのだから、こちらが気にする必要はないか。
同席するつもりはないという姿勢の幸坂先輩は、退室はせずに製図台の前の椅子に座っている。視線こそ向けていないが、声は聞き取れる距離だ。
それが取調官は気になるようだけど、幸坂先輩は黙っているし、俺も知らん顔をした。
妥協があったのかなかったのか、そのまま取り調べという名の事実確認が始まった。
長くなることを覚悟していた俺の予想とは違い、ほんの三十分ほどで終わった。
「調査結果は後日、通知します」
そんなありきたりのことを口にして、取調官は去って行った。
どちらも端末に何かを入力したり、メモのようなものを書いたりもしなかった、と後で気づいたけど、別に懐にレコーダーでも忍ばせてこっそり録音すればいいだけのことか。
天下の管理課の取調官なのだから、それくらいのことはしても誰も咎めてこないのは想像がつく。彼らに楯突いて得などないのは俺でもわかる。
「さて、朝ご飯にしよう。僕はもう腹ペコだ」
おどけた調子で言うと幸坂先輩が製図台の前を離れてソファへ移動してきた。
とっさに僕が片手でコーヒーを何とか用意しようとするのに、きみは座っていなさい、と幸坂先輩が制止する。俺の手つきが危うかったせいか、効率的じゃないからか。
まったく、片腕しか使えないのはやっぱり不便だ。片手ではインスタントコーヒーを用意することもできない。
おとなしくソファに座り、コーヒーが用意されてからサンドイッチを手にした。
最初の一つの具はエビとアボカドだ。実にオーソドックス、クラシックなサンドイッチである。他にはハムと卵や、ベーコンとレタスとトマトもある。異色なのはフルーツと生クリームで、この四つが俺の取り分で、残り一つは幸坂先輩のものになる。
もりもりとサンドイッチを食べ終わった頃に、ドアのロックが解除される音の後にドアが開き、眠そうな顔で山崎先輩がどこか頼りない足取りで入ってきた。
もうサンドイッチは一つも残っていなかったけれど、匂いで気付いたようだ。いきなり山崎先輩の目つきが厳しいものになる。
「私に隠れて二人で何を食べていたわけ? 臭いからすると、サンドイッチかな。当たっている?」
「大正解。でも朝ごはんなんだよ。さっきまで取調官がここに来ていた」
幸坂先輩に、それはそれは、と大仰に答えながら山崎先輩は俺の横にどっかり腰を下ろすと肘でぐっと脇腹をついてきた。
「もうこれ以上、迷惑をかけないでよ。私は連中の背広姿を見るとジンマシンが出る」
「冗談ですよね?」
「本気よ。どちらもね」
くすくす笑いながら幸坂先輩が素早くコーヒーを用意して、山崎先輩に手渡す。
三人でマグカップを手に黙り込む形になった。
俺としては特に言うべきこともない、という感じだったけれど、山崎先輩は珍しくどこか落ち着かない様子だ。幸坂先輩はといえば、また眠そうな目つきをしている。俺の病院に付き合って普段以上に早起きだったせいだと思う。
「ねぇ、ハチ」山崎先輩がコーヒーを啜ってからこちらを横目で見た。「本当に石森ちゃんはここへ来るわけ?」
「え?」俺は危うくコーヒーをこぼしそうになった。「いつ、その話を聞いたんですか?」
山崎先輩は少し眼を細める。
「ついさっき、葉太がメッセージをくれたのよ。気づいていなかったの?」
反射的に幸坂先輩を振り向くと無言で肩をすくめる動作が返っていた。
取調官とやりとりしている時に連絡を取ったとすれば、大胆だし、かなりな早業だ。取調官に察知されたら少し揉めたんじゃないか。
「で、来るの?」
山崎先輩に問い詰められても、僕もまだ起きていない未来のことは知らない。
「来るんじゃないですか?」
他人事みたいに、と山崎先輩が忌々しげに呟いた時、ドアのロックが解除される音が響いた。
ぎょっとしたように山崎先輩がドアの方を見た。幸坂先輩も目を見開いてそちらを見ている。
俺だけはゆっくりとそちらに視線を送った。
ドアが開き、女子生徒が入ってきた。
「おはよう、満月」
俺のその言葉以外、室内には声はなかった。
黙ったまま、制服姿の満月が部屋に入ってきて、後手にドアを閉めた。ガチャガチャと鍵がかかる。
「で、話ってなんだ?」
沈黙も気まずいだろうとすぐにこちらから質問を向ける。
それに満月は顔を上げ、俺を真っ直ぐに見た。見た、というより、見据えたという目つきだった。
満月の目元が赤く、少し腫れている。
それだけで昨夜の彼女がわかろうというものだ。
満月はすぐ言葉を口にしない。
だから俺は待った。山崎先輩も幸坂先輩も黙る作戦らしい。
俺をしばらく睨んでから満月が口を開く。
「ごめん、ハチ」
低い声で言うと、満月は深く頭を下げた。
言葉が、ゆっくりと、はっきりと彼女から発せられる。
「私が悪かった。取り返しのつかないことをして、私が全部悪い。ごめん」
俺が返事ができなかったのは、満月がどこか変わったような気がしたからだ。
彼女にいったい、何があったのだろう。想像もつかない。
しゃべり方も違うし、俺をハチと呼んだ。しかし、えーっと、今まではなんと呼んでいたか。咄嗟には思い出せないな。
それはこの際、どうでもいいか。
「過ぎたことだよ。もう謝らなくていい」
俺の返事に満月が顔を上げる。
その顔に笑みが、ほんの少しだけじんわりと滲んだところへ、山崎先輩の声が飛んだ。
「逃げなかったのは、まぁ、認めてもいい。逃げたら二度とこの部屋に入れなかったのに」
満月の表情が凍りついた。
と思った次に、それが解けた。代わりに強気な笑みが浮かんだ。
見たことのない表情に、俺はまた驚いた。
「山崎先輩も先日はやけに私を強く詰ってくれましたけど、いわば同じ穴の狢じゃないですか。自分が先に失敗したからって、大きな顔をしないでくれますか?」
今度こそ、山崎先輩は呆気に取られていた。それは俺も変わらない。幸坂先輩もだ。
こんな暴言を口にする人間だっただろう?
満月は、山崎先輩から幸坂先輩にキッと視線を移した。
「幸坂先輩もですよ」
「ぼ、僕も?」
いつになく狼狽した声を幸坂先輩が漏らした。俺が幸坂先輩の立場でも、今の満月の視線と喋り方、表情を前にすれば、似たような具合だっただろう。
「かなり強く私を叱りつけてきて、あれって憂さ晴らしでしたか? 第十六グループの責任者として面倒になって、私に八つ当たりでもしてくれちゃいましたか?」
完全に幸坂先輩は面食らっていた。
「そ、そういうわけじゃないけど……。っていうか、それはすごい解釈の仕方じゃないかな……。悪く捉え過ぎというか……」
「もうちょっと優しい言葉でもかけてくれて良かったんじゃないですか? 私が何の責任も感じていないなんて、普通、思いませんよね? 私がそんな当たり前の感受性もないように見えましたか? 正直、失礼ですよ」
そうだね、と完全に幸坂先輩は満月の意見を肯定し始めていた。
俺は堪えていたが、限界を超えてしまい思わず笑い声が漏れてしまった。
変な現象ではあるが、満月はちょっと、いや、だいぶ人格が変わったようだ。
開き直ったとも言えるけれど、今の彼女の方が本来の彼女のような気がする。今まで自分の立場を考えたり、先輩たちに対してどこか遠慮しているような態度は、封じ込めていたものがあったのだろう。
俺は笑いながら、満月をなだめることにした。
「それくらいでいいだろう、満月。先輩たちも困っている」
「これくらいの仕返しは許されるんじゃない?」
「そういう態度を取っていると、反省していない、って思われるぞ?」
「先輩たちも同じことでしょう」
俺は笑うしかなかった。涙が出るほど可笑しかった。
満月はなかなか面白い奴だと、初めて気づけた。
一方的にやり込められた形の幸坂先輩はため息を吐き、山崎先輩はさすがに苛立ちを抑えかねたようで、反撃を試みた。
「あんたねぇ、誰に向かって口を聞いているわけ?」
「山崎潤先輩ですよ?」
ズバリとやり返されて、山崎先輩が言葉に詰まる。
どうも、満月は激変しすぎたな。これじゃあ、逆にすれ違ってしまう。
「もうそれくらいにしよう。喧嘩になりそうだ。さすがに満月も山崎先輩と殴り合いじゃ勝てないだろ?」
そう助け舟を出した俺に、今度は山崎先輩がものすごい視線を向けてくる。
「ハチ、これでも私は暴力を肯定しない。口喧嘩で終わらせる自信がある」
「それはそれでずれてますけど、そういうことにしておきましょう」
調子に乗って! と口走ると、山崎先輩の肘打ちが俺のわき腹に突き刺さった。かなり強烈でサンドイッチと再会しそうだった。
っていうか、暴力を肯定しないと言ったばかりじゃないか?
痛みに耐えつつ、俺は満月に確認した。
「満月、先に聞いておきたいことがあるんだけど、この先、まだ出来ることがあるんだよな?」
何気ない問いかけ方、少し曖昧な言葉を選んだ問いをしてみたが、正確に俺の言いたいことを受け取ったようで、満月はまず無言で頷いた。
そして、さっきとは違って冷静な声を発した。
「たぶん。でもすぐにはできない。それでいい?」
まだ俺と満月には可能性がある、ということがわかった。
もちろん待つよ、と俺が頷くと、満月の顔に淡い笑みが浮かんだ。
柔らかい、優しい笑顔である。
そういう顔もできるのだ。これも新発見の一つだ。
どうやら俺たちはこれからもパートナーとしてやっていける。今、俺と満月は改めて同じ方向を見て、同じ目的地を見つけ、歩調が揃ったのかもしれない。
ただちょっと、満月の手綱を握るのは大変になりそうだった。
(続く)




