59 独白
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「いったい、これは何の嫌がらせですか」
俺の真剣な声に、そういう言い方は良くないよ、と幸坂先輩が笑い混じりに答える。
しかし俺の意見は間違っていないだろう。
幸坂先輩が用意した服というのは、タンクトップと、ドクロが背中に大きく白で描かれた黒いパーカー、そして黒いデニムだった。
サイズが合っているわけもなく、タンクトップはパツパツで、パーカーは明らかに袖も裾も丈が足りない。デニムに至っては今にも弾けそうだった、足首がまるまる覗いている。
靴はさすがにサイズが合わないことを予見したのか、サンダルが用意されていた。しかしそのサンダルも明らかに小さかった。
俺の服装はどこからどう見ても珍妙そのものだ。珍妙という言葉を具体化された服装とも言える。
「まぁ、似合っているとは言えない」
言いながら俺の様子を見た幸坂先輩が、さりげなく視線を外した。直視すると笑ってしまうというそぶりだ。
「先輩は常に制服を着ているな、とは思っていましたが、私服をまったく持ってないということですか」
「それはね、魔法技専にいると制服だけ着ていれば済むから、よくあることだね。そう言うハチくんは私服を何着も持っているの? それはいつ、どこで着るわけ?」
答えづらい問いかけだ。なるほど、俺も私服が充実しているとは言い難い。それに着る場面もなく、大抵は制服か学校指定のジャージで過ごしている。
これをいい機会として、少しは服装に気を配ろう。
幸坂先輩は俺が病院を出た途端に好奇の目をいろいろな意味で向けられているのに気づいるはずなのに、堂々と先へ進んでいく。
今日が何日かはいい加減、曖昧なままだけれど、まだ模擬戦の期間中らしい。学校に漂う雰囲気がそんな感じだ。本戦の一次リーグの最中というところか。
通りを行く生徒は、誰もが楽しそうに見える。
勝とうが負けようが、模擬戦というのはそういうものなんだろう。
そんな空気に自分が水を差しているようで、後ろめたいが、過ぎたるは及ばざるが如し、ということになる。
俺はそうやって勝手に割り切っているが、幸坂先輩はどうなのか。
大きくも小さくもない背中を見るだけではわからなかった。
その幸坂先輩は迷いなく食堂へ向かっていき、堂々と中へ入っていった。
「混んでいるんじゃないですか?」
さすがに建物に入ったところで確認するが、気にしないでいい、とすぐに返事がある。
「きみは量を食べる必要があるし、ここなら裏技で席を用意できる」
裏技?
意味のわからない幸坂先輩の言葉に、半分は納得し、半分は不思議だった。どういう方法で席を用意できるというのか?
食堂の中に入ってみると、熱気が吹き寄せるように迫ってきた。大勢の生徒が飲食して、騒いでいる。普段以上の喧騒、かなりな賑やかさだった。
それが俺たちが入ったところで、近いところから静かになる。
それは俺と幸坂先輩が進むその周りに伝わっていき、静寂の波が俺たちを中心に広がっていくようだった。
俺と幸坂先輩の周りだけが、不自然な空気に置き換えられていった。
俺は出来るだけ前だけを見たけれど、肩に力が入って、やや右腕が痛んだ。
これから俺も、ずっとこういう視線を向けられることになるのだと、確信した。
その苦痛に耐える覚悟が、心のどこかで用意されていた。
「片手でも食べやすいものがいいね。麺類かな。いや、そうでもないか」幸坂先輩がいつも通りの態度で言う。「そういえばハチくんは携帯端末を返してもらっていないだろう? 管理課が回収しているままのはずだ。ここは僕が支払うとしよう。少し早いけれど、回復祝いだ」
よろしくお願いします、と答える俺の声は無意識に細くなっていた。
どれだけ覚悟を決めても、今の空気の中で平然とするのは難しい。
券売機で幸坂先輩はかなりな量の料理を注文した。俺は山崎先輩ほど食べられないぞ、と思ったけど、幸坂先輩に何か深謀遠慮があるのかもしれない。
カウンターで待つと、次々と料理が用意された。肉うどん、牛丼、ドリア、全部が大盛りだ。幸坂先輩は自分の分としてカレーライスを注文しているから、他のものは全部、俺が食べることになるのか。
先輩は俺の料理と自分の料理をまとめてお盆に乗せ、それを両手でいっぺんに保持した。意外に力があると感心してしまう。
しかし座る席がないだろう、と思ったら、幸坂先輩は適当に近くの席のところへ行ってしまう。
席と言っても、空席ではないし、それどころか席について何人もの生徒が食事しながら話をしていた。幸坂先輩と俺に気づくと雰囲気が変わったが、まだ料理も残っている。
幸坂先輩が足を止めて、その見知らぬ生徒たちのすぐそばで周囲を見回し始めた。少しも動かず、ただ周りを見ている。
俺は何をしているのか、幸坂先輩を見守った。
先輩は何もしなかった。
しかしどうだろう、席に座っていた数人が嫌そうな顔に変わったかと思うと、何か耳打ちをし始め、急いだ様子で料理を片付けるとそそくさと席を立った。
つまり、空席ができた、ということだ。
相手が離れていくのに、どうもありがとう、などと声をかけて幸坂先輩が空いた席に悪びれた様子もなく座る。テーブルを布巾で拭きさえした。
俺は失笑しつつ、空いた席に着く。
「嫌われ者の席の取り方、という感じですね」
正直なところを言うと、心外だな、と向かいの席の幸坂先輩が言う。
「別に僕たちがそばにいて誰かの害になったりはしない。勝手にそう思い込んでいるだけだよ。こうして座れたんだから文句は言わずに、さあ、食べよう」
さっさとカレーライスを食べ始めている幸坂先輩に呆れつつ、俺も食事を始めた。
肉うどんは失敗だったな。右利きだから、左手では箸が使いづらい。そう思った時、よく見てみるとお盆の上にスプーンと一緒にフォークがあった。ありがたくフォークを使わせてもらうことにする。
「きみが寝ている間に、何があったのかをおおよそ伝えておくよ」
そう切り出して、食事をしながら幸坂先輩は説明を始めた。俺も食事を進めながら、周囲に満ちる喧騒で聞き逃さないように幸坂先輩の言葉に集中した。
事故は、馬場先輩が魔法回路に仕込んだ罠によるもので、人為的な事態、事件であること。
馬場先輩はすでに取り調べの結果、全てを自白して、即座に退学になった上で警察に逮捕されたこと。
満月も責任を問われる立場だけれど、そこは藤吉先生がうまく立ち回ってくれているということ。
そして、俺の対戦相手の行使者候補生は重傷を負って、まだ入院していること。ただ幸運にも、今後に影響があるような事態にはならなかったこと。
「きみも明日以降、取り調べを受けるけど、それに関して僕から助言することはない。知っていること、事実をそのまま話せばいい。僕の時はそうしたよ」
それは、と俺はうどんを口へ運んでいたフォークを止めた。
「それは、山崎先輩の事故の時のことですか?」
「そうだよ」
いかにも幸坂先輩は素っ気なかった。
カレーに突っ込もうとしていたスプーンを止めて、宙で先をゆらゆらと揺らしながら何かを思い出そうとしている顔つきだった。
「あの時はあの時で、大変だった。今回とは違って悪い奴がいなかったからね。みんながみんな、力不足で、同時にそんな自分たちに気づいていなかった。何でもできる、誰にも負けない、そういう虚像に支配されていた」
俺は手を止めて、幸坂先輩を見ていた。
対して、幸坂先輩はまだここではないどこかを見ている。
その声も、ここではないどこかから響いでくるようだった。
「二年生の時、僕も潤も悠理も、自分たちが無敵だと証明した。一年間、一度も負けずに模擬戦を制覇した。魔法技専の歴史の中で初めてのことではなかったけど、間違いなく最強の証明だった。僕は少なくとも有頂天だったよ。自分が最優秀管理者候補生で、この学校の誰よりも優れていると思えた。潤も悠理も僕と大差なかったはずだ。今になればそれが勘違いだとわかるけれど、あの時はそんな風には思えなかった。何も、見えていなかった」
ふぅっと幸坂先輩が細く息を吐く。
表情は現実へ戻っていた。
「あの時も今と似た感じだった。僕たちは詳細に取り調べを受けて、事故かどうか、どういう性質の事故なのか、事故の原因は何か、検証が重ねられた。結果、偶発的な事故だと証明された。責任は僕と悠里にあったんだ。でも責任の所在なんてことはどうでもいい。僕たちの場合は、一人の行使者候補生が片腕を失い、魔法技専にはいられなくなった。彼は今、普通の大学に通っているけどね、それで僕が自分を許せるわけもない」
今まで、幸坂先輩がこれほど自分たちについて語ったことはなかった。
幸坂先輩と山崎先輩、加賀原先輩に起こったことは三人だけの秘密で、俺や満月はそれを知る権利はないと思っていた。
それを教えてくれるということは、どういうことなのか。
俺を励ます、いや、導くためなのか。
俺や満月が置かれている状況から引っ張り上げるために、手を貸してくれているのか。
幸坂先輩が、聞こえるか聞こえないのかの声で、ボツリと言う。
「今でも、僕は後悔しているよ」
その幸坂先輩の言葉は、苦しげだった。言葉にするのも、考えるのも苦しいことを、先輩は言葉にしている。
俺のために。
あるいは自分のため、仲間のために。
そうでなければ未来のために。
俺は料理の存在を忘れて、ただ目の前の青年に集中した。
(続く)




