60 支え
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幸坂先輩はゆっくりと言葉にしていく。
後悔と懺悔を、胸の奥から引き上げているような話し方だった。
「あとほんの少し、僕の考えが深ければ、起こりうることの想定の範囲を広げておけば、あの事故は起こらなかった。潤も、悠理も、自分の失敗だと考えているだけど、それは僕とは関係ないことだ。僕は、全てが僕の失敗だと認識している」
わずかに顔が伏せられても、言葉は止まらなかった。
「僕は、一人の人間の未来を変えてしまった。夢を破壊し、希望を奪い、何もかもを歪めてしまった。その責任は誰かが負わなくちゃいけない。どういう形であれ、償う必要がある。一ノ瀬さんは、そんなことをする必要はないとおっしゃっていたけど、僕はそうはいかないと思っているよ」
顔を上げた時、幸坂先輩はいつもの幸坂先輩に戻っていた。
どこか仮面のようだと、俺には思えた。
幸坂先輩の普通の表情の方こそ、実は仮面なのかもしれない。
本当の幸坂先輩を、俺は知らないのではないか。
先輩は言う。
その言葉は、先輩の本当の声だ。
「きみが背負う十字架は、僕のそれとは違う。でも背負うものがあるのは変わらない。変な巡り合わせだけど、第十六グループは呪われているね」
いえ、と言葉に詰まり、それ以上は何も出なかった。
そんな俺に幸坂先輩は、少し口元に笑みを浮かべる。自嘲気味な笑みである。
「僕たちを恨んでもいい。でも、自分の運命を呪うのはやめたほうがいい。僕たちはそのせいで、どこへも行けていない。長い間、立ち止まっている。二年前から一歩も離れられないでいる」
でも、と続いた幸坂先輩の声はほんの少し、震えていた気がする。
「でも、きみたちがいることで、僕たちも変われたかもしれない。まだ少しだけど、変わっていける気がするよ。僕たちはきみたちを見て、自分というものを知り始めたのかもね」
意外な言葉だった。
「そんなこと、ありますか? 俺たちは、何もできていませんよ」
何が可笑しかったのか、短く幸坂先輩が声を漏らした。
「そこは黙って受け入れるところじゃないかな? 人のふり見て我がふり直せ、という言葉があるじゃないか、そういうことだよ、僕が言いたいのは」
「それは、その、たぶん正しい使い方じゃないと思いますよ」
いいじゃないか、と幸坂先輩は口元を緩める。
「ハチくん。仲間を頼りなさい。潤と悠里と僕の三人は、三人だからこそ今まで立ち続けられた。きみには、石森さんがいる」
「そこは、僕たち三人も仲間だ、というようなことを言って俺を励ます場面だと思いますけど?」
それは格好良すぎる、と幸坂先輩が笑う。
「もう少し実力をつけてからじゃないと、僕たちはきみたちを認めないよ。認めさせてやる、という姿勢で頑張りなさい。それでも僕たちもそばにいることだし、お互いに協力はすることになるだろう」
遠回しに、仲間に加えてもらえているらしい、とわかった。
そういえば、満月は姿を見せないが、どこにいるのだろう?
「あの、先輩、満月はどこにいるんですか? もしかして、何かトラブルですか?」
「え?」急に幸坂先輩の顔色が変わった気がした。「まぁ、ちょっと辛くあたりすぎたかもね」
どういうことですか? と問いかける俺に、そんな怖い顔をしないで、と先輩は応じた。
「ま、ちょっと僕も潤も、お説教をしすぎた、ということ」
どうやら満月は先輩に叱られたらしい。それが幸坂先輩としても気まずいのか。
「その、お説教をしたというのは、満月が管理者候補生だからですか?」
「そうだね。彼女は全てを事前に察知することができる可能性があったし、それが管理者候補生の役目の一つだ。彼女の責任はきみよりも重い。そう思った。僕も潤もね」
「それは、そうかもしれませんけど……」
満月の責任が重いとしても、満月だけの責任ではないはずだ。
そうは考えても、どう言葉を続けていいかわからなかったから、俺は黙って食事に戻った。幸坂先輩も食事に戻っている。
しばらく左手でもどかしく食事をしながら、思考を巡らせていた。
説明もされたし、満月が管理者候補生として重要な役割を背負い、それを全うできなかったことは分かっている。
でもやっぱり、彼女だけの責任じゃない。俺だってどこかで気付けたかもしれない。
例えば、事故が起こった試合の開始直前には違和感があった。あそこで何がおかしいと気づけた可能性はある。
もっと言えば、模擬戦の前に、繰り返し魔力回路を試験して、魔力回路の限界を確認していれば、設計と結果の間にギャップが生じたりして、そこから疑問が生じたかもしれない。
俺は馬場先輩が加わってからも、加わる前も、満月に意見したことがなかった。
それは自分が魔法を行使する立場だからと、魔力回路の管理やその設計に口出しせずになるに任せていたということだ。
俺だって無責任だった。そして知識がなく、経験もなかった。
もっと言えば、人として未熟だった。
考えが進むうちに耐えられなくなり、ちょっとすみません、と断ってから俺は食事を中断して携帯端末を取り出そうとした。
そうして携帯端末が手元にないことを思い出した。そもそも制服ではないことも忘れていたので、ありもしないポケットに手を突っ込もうとしてしまった。どうも思考に没頭しすぎたようだ。
「どうしたの?」
俺の奇行に不思議そうな顔をしている幸坂先輩に、俺の携帯端末はどこにありますか、と反射的に確認していた。誤魔化そうとしたと思ったかもしれないが、幸坂先輩は何も触れずに答えてくれる。
「きみの携帯端末は管理課が解析したはずだから、まだ管理課にあると思うけど」
「すぐに回収できますか?」
「ああ、そういうことか」幸坂先輩の表情に納得の色が浮かぶ。「石森さんに連絡したいんだね? 僕の端末を使えば?」
どうもこういうところ、幸坂先輩は気が回らなかったりするから普段と変なギャップがある。
「考えすぎかもしれませんけど、満月は幸坂先輩からのメッセージを読みたいとは思わないんじゃないですか?」
「え? 僕、そんなに嫌われているかな」
「本気で嫌われてはいないでしょうけど、今は読まないだろう、ということです」
理解の遅さに焦れったいものを感じたけど、幸坂先輩もやっと悟ったようだった。
「なら、きみの端末から連絡するしかないね。管理課は一応、二十四時間、開いているはずだけどすぐに端末を返してくれるかな。食事が終わったら、行ってみようか」
「ならさっさと食べましょうか」
俺は食事の手を早めて、まず残り少なかった肉うどんを片付け、次に大盛りの牛丼をスプーンでガツガツとかき込んだ。ドリアもどんどん食べる。熱かったら大変だっただろうけど、長く話していたせいでとっくに冷めていた。
さすがに全部を胃に収めると腹がパンパンだった。億劫だが、動けないほどではない。
「じゃ、行きましょう」
まだカレーを食べている幸坂先輩を急かして、しかしいかにも遅いので、俺は先に食器をまとめたお盆を手に席を立った。
「管理課の場所はわかる?」
まだ席についている幸坂先輩に確認されて、俺は何も言えなかった。わからない。
「案内するよ?」
「なら早く食べてください!」
幸坂先輩は少し悲しげな顔になる。
僕も威厳がないな、などと呟きながらカレーを口へ運ぶ速度を二割り増しくらいにして食べきると、先輩はやっと立ち上がった。
二人で食堂を出て管理課の入っている建物の前に着いた頃にはすでに日は完全に暮れていて、建物も明かりはついていても人気はかすかだ。
玄関から中に入り、受付で事情を話す。そこにいた事務員が何か書類をプリントアウトしてきて、俺に署名を求めた。冷静な声で説明が始まる。
「あなたはまだ取り調べを受けていないので、端末は返還できても、その通信内容や記録された情報は改めて確認されますが、よろしいですか?」
「構いません」
俺が即答して受け取ったペンを左手でとって、かなり下手くそな字で署名するのを事務員も幸坂先輩も黙って見ていた。
その幸坂先輩に、事務員がやはり署名を求めた。いろいろなことの証明のために必要だったらしい。幸坂先輩は事務員の説明を真剣な様子で聞き、それから全く自然に署名してくれた。
こうして俺の携帯端末が手元に戻ってきて、俺は管理棟を出たところで早速、路上に立ったまま満月にメッセージを送った。
左手しか使えなこともあり、本当に短い内容だ。
送信が完了し、しばらく待つ。
返事はこない。既読にもなならない。
時計を確認すると、二十一時くらいだった。意外に時間を浪費してしまった。
満月はもう寝ているだろうか。簡単に寝ていられる精神状態でもないだろうが、人は疲れると意外に眠れるものだ。
俺は返事を待ち続けたが、返事がないどころか、メッセージは未読のまま変わらない。
メッセージをさらに送ることはしなかった。それは満月の負担になる気がした。
メッセージに気づいていて、見たくもないということだろうかと考えた。
それでも俺は、待ち続けた。
周囲はいつの間にか極端な静けさに包まれている。
空気には不自然な熱気が残っていて不快だった。
幸坂先輩はすぐそばで黙って、空を見上げている。
俺は携帯端末を手に、意味もなく地面を見ていた。
街灯の明かりに、影がかすかに浮かんでいて微動だにしない。
何も変化しないのに、時間だけが流れていく。
(続く)




