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57 逃走

       ◆



 緩慢な動作で山崎先輩が壁から離れて、こちらに歩み寄ってきた。

 その歩調が少しずつ早くなっていく。

「彼はどうなったって?」

 幸坂先輩が問いかけたのは、八一郎のことかと私は思った。

 しかし山崎先輩が口元に嫌悪感を浮かべたので、違うとわかった。

「あいつは魔法管理法違反で即退学。そのまま警察に連行された」

 そうか、と応じる幸坂先輩は別に驚いているようではない。納得した、当然の展開だ、という態度に見えた。

「馬場先輩のことですか」

 私が確認すると、幸坂先輩は頷くだけ。山崎先輩がはっきりと舌打ちした。

「どこかの間抜けな管理者候補生も、何の咎も受けないとは幸運だこと」

 見えない刃物が差し込まれたような、鋭い痛みが胸に走った。

 体の痛みではなく、心の痛み。

 すみません、という私の声は弱々しすぎて、二人には届かなかったかもしれない。

「ハチくんはどうしている?」

 普段通りに戻っている幸坂先輩の言葉にも、山崎先輩は苛立ちを隠せないようだった。

「治療室を出て寝台の上で眠りこけている。傷は適切に処置されたし、魔力も少しずつ回復しているから死にはしないでしょ」

「石森さんを案内してあげてくれるかな」

「なんで私が?」

「僕はこれから出頭するところがいくつかある。第十六グループの責任者だからね。藤吉先生が動いてくれているから、大した手間じゃないだろうと思う。夕方には戻るよ」

 そうやって押し付けないでよ、と答えた山崎先輩がそっぽを向くのに構わず、よろしく、とだけ言って幸坂先輩は私たちに背中を向けた。

 しばらく、私と山崎先輩はその場に立ち尽くして幸坂先輩の背中を見送ることになった。

 どちらも無言で、視線を交わすこともない。

 私はどうしたらいいかわからず、山崎先輩は私を無視したいと雰囲気でわかる。

 それでも結局、私が動こうとしなかったからだろう、山崎先輩は髪の毛をかき回すようなそぶりをすると、ついて来い、とだけ低く短く言った。

 乱暴な歩き方で先輩が病院の玄関の方へ歩き出すのに少し遅れて、私はその背中についていった。

 病院内は静かだった。他では感じることのない、独特の静けさがある。

 魔法技専では管理者候補生が医者の仕事を引き受けることが多いので、相当の重傷か、専門的な治療が必要な場合に病院が利用される傾向がある。

 山崎先輩は受付など見向きもせず、ずかずかと一階のエントランスを横断し、エレベータの前に立った。不機嫌そのままに八つ当たりするようにボタンを何度も押している。

 私にはそれさえも私を責めているような気がして、見ていられなかった。

 エレベータが来て、二人きりで乗り込む。

 四階に着くまでの間に、山崎先輩が恫喝するような声で言った。

「犯罪の片棒を担いだようなものだ。調子に乗って、騙されて」

 やっぱり私は、どうとも答えることはできなかった。

 辛辣な言葉も、今は適切に思えた。

 どれだけ責められても、私はその言葉を向けられるのが相応の行動をしていたのだ。

 エレベータが止まり、扉が開ききらないうちに山崎先輩は滑り出ていく。私は小走りのようになって後を追った。

 部屋はすぐだった。ドアの脇のプレートに手書きで「八角八一郎」と書かれている。

 山崎先輩はそのドアの前に立ち、こちらを見た。

「入りたければ、勝手に入りな」

 一緒に入るのではと思っていたので、私は先輩の顔を見た。

 山崎先輩は顎をしゃくるようにしてドアを示す。

「私はもう帰る。ハチの顔はもうウンザリするほど見ているし、ここ一日、寮にも戻らず、病室に詰めていたんでね。腹も減っているし、とにかく眠い」

 一方的に告げる山崎先輩は今もサングラスをかけているので、表情が読みづらい。

 怒っていて、不機嫌なのは間違いない。

 その怒りも苛立ちも、私のせいか。

 強いが平板な声が私に向けられた。

「ハチにも謝っておけ。それでどうなるものでもないけれど」

 言い終わると、また舌打ちしてから山崎先輩は私の横をすり抜けて、廊下を離れていってしまう。

 引き留めたかった。

 一人で病室に入るなんて、出来そうもない。

 でも私は動けなかったし、声も出せなかった。

 山崎先輩はズンズンとエレベータの方に戻っていき、廊下の角を折れて姿が見えなくなった。

 廊下にひとりきりで、私はドアを横目に見た。

 逃げ出したい。

 八一郎の顔を見るのは、無理だ。

 怖い。

 とにかく怖い。

 そう思っているのに、手がゆっくりと持ち上がってドアについてるバーを握っているのは何故なのか。

 最後に残った、責任感がそうさせるのだろうか。

 それともこれが、贖罪になると思っているのか。

 自分が何をしたのか、その結果として何が起こったのか、知るべきだと思っているのか。

 答えは出ているのに。

 ついに私はそのバーを握り、力を込めてゆっくりとドアを横にスライドさせていた。

 薬品の匂いが鼻先を掠める。

 一歩だけ、部屋に踏み込んだ。

 ベッドに寝ているのは、八一郎だった。

 点滴のパックが吊るされていて、その管は薄手の布団の下に消えている。右腕は肩のあたりまで、ギプスのようなものに覆われて一回り太くなっている。

 顔が見えた。

 眠っている。

 頬は少し痩せているだろうか。いつになく血の気がない肌は青白いようにも見えた。

 私は、全身が強張って動けなくなった。

 私のせいだ。

 私のせいで、八一郎の今がある。

 進むことも引くこともできず、私は立ち竦む。

 病室には何の音もせず、動きもない。

 世界が死んでいるようだった。

 何もかもがここで終わり、二度と動き出さないという幻想。

 かすかな音が不意にすぐそばでして、私の全てが再び動き出した。

 通路に看護師が来ていて、どこか不安そうな顔でこちらを見ていた。

 声をかけられたと思うけど、聞き取れなかったし、私は答えなかった。

 もしかしたら腕に触れられてかもしれない。

 全部が曖昧なのは、私が身を翻して逃げ出したからだ。

 走って廊下を抜け、エレベータを待てずに階段に飛び込み、駆け降りていた。

 途中で段を踏み外して転倒して踊り場に倒れこんでも、すぐに起き上がって、また階段を降りた。

 次に気付いた時には学校の敷地を走っていた。

 自分でもどこへ向かっているか、わからなかった。

 どこでもいい。

 ここではないどこかへ行きたかった。

 現実ではないどこかへ。

 何も追ってこないところまで行きたかった。

 息が上がっても全身が痛んでも、私は走り続けた。


       ●


 誰かの声がした気がして、俺は目が覚めた。

 ここがどこで、今が何日で、何時なのか、何もわからなかった。

 ただ室内が明るく、寮の部屋ではなく、薬品の匂いがしている。

 やけに長く眠っていた気がする。

 眠る前に俺は何をしていた?

 どこにいただろう……。

 記憶が少しずつ繋がっていく。

 試合をしていた。

 模擬戦。

 負けると思った。

 魔力が制御できなくなって。

 暴走した。

 山崎先輩が見えて。

 次に俺は意識を失った?

 ここは、病院か。

「八角さん?」

 声がする。

 満月の声に聞こえたが、そちらを見るとまるで違う看護師だった。聞き間違えか。

「これから先生が来ます。気分は悪くないですか。どこか、痛むところはありますか?」

 首を振ろうとして、できなかった。看護師の方へ首を捻った時は動かせたのに、今はできない。体のどこにも力が入らない感じだった。

 俺は一度、目を閉じた。

 眠ることはできそうもない。全身の怠さ、不自然さ、違和感が強いこともあるけれど、それよりも自分が最後に見た光景が気になった。

 相手の行使者候補生は、どうなったんだ?

 俺は、何をしてしまったのだろう。




(続く)

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