56 断罪
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じゃ、後は任せる。
言って藤吉先生が幸坂先輩の肩を叩いた。
「手続きはこっちで済ませておくから。よろしくね」
「はい、先生。ご迷惑をおかけします」
「迷惑だよ、教師の仕事の中では一番やりたくない仕事だね。またね」
ひらひらと手を振って藤吉先生は跳ねるような歩調で通路を先に歩いて行った。よく見ると、今日は髪の毛は結ばずに背中におろしている。
場所を弁えた、ということか
私は、こちらもきっちりと制服を崩さずに身につけている幸坂先輩と、足を止めて藤吉先生を見送る形になった。
藤吉先生が建物の奥に向かい、角を曲がって見えなくなってから、やっと幸坂先輩が私の方に視線を向けた。
その眼差しは柔らかく、口調も優しかった。
「体調は? どこも問題はない?」
幸坂先輩に問われて、はい、と弱々しい声しか出ないのは、人間の優しさ、そうでなければ人間らしい人間と接することができたからか。
目元が潤み、力任せに手元を拭う。鼻水が出て、鼻をすすっても追いつかない。
幸坂先輩は、行くよ、と歩き出した。私は黙ってそれについていった。
エレベータで地上に降り、そのまま建物を出ることができた。
出入り口には警備員がいたし、それ以前に受付のような部屋があったから、許可なく勝手な出入りはできないはずだった。
それが止められることもなく外へ出られた。
私は本当に自由なのか。
藤吉先生が言っていた手続きというのが関係しているのか。
まだどこか頼りない思考は、夏といっても良い強い日差しを浴びたことで、一時的に中断した。
あまりの眩しさに、何も見えなくなる。
濃密な植物や土の香り、空気の匂い、ありとあらゆる大小の音が押し寄せて、自分がまるで蘇ったような感覚があった。
こんなに太陽を眩しく感じたことはない。光が体を焼くのがわかる。
様々な匂いや音は、普段は主張しなくてもこの世界を形作る大きな要素なのだ。
幸坂先輩が歩き続けるので、それに続きながら私は問わずにはいられなかった。
「八角さんは、無事ですか」
もちろん、と背中を向けたまま幸坂先輩は答えた。
「まだ入院しているけど、命に関わる状態ではなくなった」
それは、一時的には危険だった、ということだ。
その言葉にできない衝撃を受けた私を察したのか、補足するように幸坂先輩が言う。その声は冷淡だった。
「ハチくんは魔力回路の暴走で限界を超えて魔力を放射することになった。魔力の枯渇は深刻で、それが一番の問題だった。輸血のようなことは基本的にできないから、深刻で重篤な魔力の枯渇だけは現代医療でもどうすることができない。自然回復を待つしかない要素なんだ」
魔力の枯渇を招いたのは、魔力回路の暴走。
やっぱりそうなのか。
八一郎を殺しかけたのは、私ということだ。
「石森さん。きみが管理者候補生で、ハチくんの魔力回路を管理していた」
歩を進めながら、幸坂先輩は言葉を投げかけてくる。背中を追いながら私は彼の言葉に集中した。
「ハチくんが死にかけたのも、相手の行使者候補生に重傷を負わせたのも、全ては誤った魔力回路によるものだ。魔力回路の不備というより、そこに込められた悪意にきみは気づくべきだった。気づかなければいけなかった。しかしきみは気付かず、そのままにした。そのことの重大さを理解しなさい」
幸坂先輩の声は硬質で、鋭利で、私を断罪していた。
周囲は容赦ない日差しで眩しいほどに明るく緑の匂いが立ち込めているのに、私と幸坂先輩の周りだけは全てが冷え冷えとしている。
私は先輩に返す言葉がなかった。
事故の責任が私にあるのはわかっているし、それを逃れようとは思わない。
だけど、気になる部分があった。
魔力回路の悪意とは、なんだろう?
幸坂先輩は足を止めない。私も歩き続ける。
どこへ向かっているのだろう。私たちも、話の内容も。
これまで見たことのない態度で、幸坂先輩の氷点下の声は続く。
「石森さん。きみは本来の仕事、最も重要な仕事を疎かにしたんだ。それが今回の事故の最大の問題だ。きみは今回の事故を防げたし、防がなければいけなかった」
「せ、先輩……」
私の声に先輩が足を止め、私に向き直った。
いつも通りに笑っているように細まっている目の奥で、瞳が強い光を宿している。
幸坂先輩の発する圧力に、心が挫けそうになる。
それでも私は、問いかけなければいけなかった。
真実を知らなくては。
「私は、いったい何をしたんですか?」
小さく、幸坂先輩は息を吐いてから答えた。
「きみは馬場くんの魔力回路の検証を怠った。頭から信じて、自身でその魔力回路のもたらす結果を検証しなかった。違うかな」
「検証?」思考が何かに引っかかった。「検証は、しました」
「しかし事故は起きた。つまり検証は不完全だったと、管理課は結論を出した」
私は絶句していた。
管理課。
あまり普段は表に出てくる課ではない。
管理課が受け持っている仕事は、魔法関連技術全般に及ぶが一年生ではさほど接点はない。上級生になるほど、例えば新規の魔法技術などの特許を申請する時に管理課の出番が増えると聞いている。
その管理課は、魔力回路や試作魔法杖の実態について調査する権利を持つ。
管理課が私たちの魔力回路を解析した。
そして私の仕事の不備を発見したということは。
私の仕事に不備があったということ。
ありえないと言いたい。言いたいけれど、実際に事故は起こり、原因は魔力回路にあると判明した。
私が行った八一郎の魔力回路の検証が不完全だったなんてことが、あるだろうか。
技術不足、知識不足から来る見落としがあったのか。
私は自分がこれまでにしてきたことを思い返した。やはり思い当たる節がない。
検証にあたって複数の数値をいくつもの視点で検討し、安全性は確保されたはずだ。検証手法も複数の手法を行う形で、手を抜いてはいない。授業で教わったことを無視してもいない。
いや。
いや、検証の正確さはいい。
問題は別のところにある。
足が震えるのを感じながら、疑問を口にする。
「私が、馬場先輩の魔力回路の解析を怠ったことで事故が起こったということは、あの事故は、偶然ではないってことですか?」
「そうだ」
断言して頷く幸坂先輩を前に、私は本当に言葉を失ってしまった。
事故ではない。
偶然ではない。
魔力回路の暴走は、起こるべくして起きた。
いや、起こされたのか。
どこか遠くから幸坂先輩の声が降ってくる。
「馬場くんの魔力回路は暴走するように仕組まれていた。具体的に言えば彼の魔力回路は最初、ハチくんの意思に反してうまく機能しなかったはずだ。そこでハチくんは魔力を流し込み、魔力回路の稼働率を意識的に上昇させることで対応する。するとそれが呼び水になって、魔力回路はさらに魔力を貪欲に取り込み始め、極端に増幅し始める。そして魔力波動はハチくんの制御力を上回る。さらに言えば、一度制御が効かなくなれば、回路は魔力をどこまでも吸い上げる仕組みだった。全ては仕組まれていたんだ」
私は呆然とするしかない。
仕組まれていた?
魔力回路は文様の組み合わせに見えて、言うほど簡単には作れない。
機能や機能同士の関係、親和性などは極端に複雑で、想定通りの性能を発揮できずに失敗とされることは珍しいことではない。
私は失敗した上で、事故を起こす大失敗を重ねたということか。
だけど、私はやっと気づけた。
一日目の試合が全部終わり、それから馬場先輩は八一郎の魔力回路を調整すると言って、翌日には改良する部分を用意してきた。
そしてその魔力回路の修正は、私が施術した。そうして二日目に臨んだのだ。
あの時、修正したと思ったのは、暴走の仕組みを組み込んだのか。
「私は、そんなつもりは……」
思わず漏らすと幸坂先輩の目元がぴくりと震えた。
「石森さんは、勘違いしているようだ」
幸坂先輩の声は、硬質だ。
「今回の事故は、意図的な事故、むしろ事件だ」
「じ、事件……?」
「全部、馬場くんの陰謀なんだ」
私は何を言われているのか、確認するように無言で幸坂先輩を見た。先輩はそんな私に、淡々と言葉にする。
「馬場くんの魔力回路には最初から密かに事故を起こさせる部分が含まれていた。どうも初日にはそれが機能しないように隠蔽されていたらしいが、きみは最初から、欠陥品の魔力回路をハチくんに刻み、試験し、実践もして、さらには模擬戦に臨んだ。確認する時間がなかったわけではない。褒められたことではないが、馬場くんは逆に堂々としていたのだから、彼の方が上手だ。それどころか、彼は最初からこうなることを狙い、全てがうまくいっていたのに、最後の最後まで平然としていたとは恐れ入るね」
頭の中で幸坂先輩の言葉がぐるぐると回り、全てが溶け合っていく。
最初から、欠陥品だった。
信じられなかった。信じたくない。
私は馬場先輩が用意した魔力回路を誰よりも知っている。基礎設計を元に魔力回路に起こしたのは……私で……。
いいや、違う。
違った。
私たちは模擬戦まであまりにも時間がなかった。
馬場先輩と出会ってすぐ、彼は私たちに魔力回路の基礎設計を示したけど、あの時、魔力回路の基礎部分はすでに出来上がっていた。
だから私はそれをそのまま流用し、部分的に八一郎に合うように調整したのだ。
下敷きにした魔力回路に、細工がしてあったのなら、まさに私の怠慢が今回の事態の原因だ。
「石森さん。きみは、自分の愚かさを思い知るといい。きみが愚かだから、事故は起きた。それだけは忘れちゃいけない」
そう言うとすっと幸坂先輩は前に向き直り、歩き出した。
私は、思わずその背中を追うけれど、幸坂先輩の歩調は早い。
置いていかれてしまう気がして、私は必死に早足になる。
怖かった。
一人になりたくなかった。
私にのしかかるものは巨大で、重かった。
重すぎるほど、重い。
一人では支えられないほど。
すぐそこにいる幸坂先輩が助けてくれるのではないか。
そう思ったけど、幸坂先輩は振り返らず、歩き続ける。私はそれを追い続ける。
二人の間の距離は少しずつ開いていく。
待って、という言葉が、どうしても出なかった。
どこをどう歩いたのか、私たちは気づくと病院の前に立っていた。
その入り口で、サングラスをかけた女子生徒が壁に寄りかかっているのが見えた。
(続く)




