45 力
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魔法技専の敷地には様々な種類の施設があるが、実験棟もその一つだ。
この建物は半地下になっていて、外部から見ると巨大な平屋に見える。入ってみると天井が高いのが印象に残るので、最初は外観と内部の間にギャップを感じる。
実験棟の内部は幾つかに区切られていて、どの部屋の壁も床も天井も、かなり頑丈に作られている。
それでも全ての部屋に傷や補修の跡がはっきりと残っていて、室内で行使された魔法の威力が知れるというものである。
そんな実験棟の中の一室で、俺は模擬魔法杖を両手で握りしめ、標的と向かい合っていた。
模擬魔法杖からはコードが伸びていて、それは床を這って満月と馬場先輩の前にある端末に繋がっている。他にも俺の腕や肩、背中には電極のようなものが貼り付けられていた。そちらは無線で端末に繋がっている。
馬場先輩が呼びかけてくる。
「よし、こっちの準備はバッチリだ。ハチ、ちょっと魔力回路を活性化させてくれ」
了解です、と答えて、俺は意識を切り替えた。
俺の内にある魔力が走り、背中の魔力回路に流れ込む。
同時に、魔力は模擬魔法杖に到達して変質を始めていく。
唐突に感覚が鋭敏になって何もかもがクリアに見えた気がした。
同時に体が軽くなり、しかし頼りない感じはまったくしない。
「魔力回路の稼働率は五十パーセントだよ。試しに七十まで上げられるかな」
馬場先輩が穏やかな声で言うのが聞こえる。
俺は答えることができないまま、集中を深めて自分の魔力をコントロールしようとした。
その魔力の制御も、今までより繊細に扱える感覚があった。両手の模擬魔法杖の機能だろう。
魔力の流れを調整することで、背中の魔力回路の出力を上げていく。
馬場先輩と満月は端末を見ているから数字で理解できるだろうけれど、俺には数字は見えない。
完全に感覚、体感に頼るしかなかった。
魔力の制御は授業で散々やっているものの、今はこれまでと全く違うと言っていい感触だった。
不安を押し込めて、恐る恐る力を強くしていく。
背中が少しずつ熱くなってきた。痛みも走り始めた。魔力回路がやけどのようにも感じられる。
いいぞ、と馬場先輩の声がする。
やけに遠くで聞こえると思った俺だが、それよりも別のことが気になっていた。
何か、靄のようなものが周囲に重なって見える。
室内で霧がいきなり発生するだろうか。魔法の影響か?
思わず周囲を見回すが、靄らしきものは濃くなったり薄くなったりし続けて、そこに留まっている。
馬場先輩が端末から顔を上げてこちらを見た。馬場先輩は首を傾げている。
「どうした? ハチ。何か不具合か?」
「この部屋、霧が出てませんか……?」
「霧? なんのことだ?」
馬場先輩が隣の別の端末へ移動する。端末を操作して、ちょっと眉がひそめられた。
「室温は変わっていないし、湿度も変わっていない。霧じゃないな。詳しく説明できるか?」
説明は、出来そうもない。
そんな俺の様子を察したようで、先に進もう、と馬場先輩は言った。その横で自分の端末に向かっていた満月が、え、と声を漏らす。
「確認しないんですか? 霧が見えるって、私には見えませんけど……」
「大丈夫だろう」
馬場先輩は端末を操作しながら満月を見ずに応じる。
「数値の上では魔力回路は安定しているし、放出されている魔力量も安全な数値の範囲内だ。何か、感覚にノイズが走っているのかもしれない。試験を進めるうちに見えてくることもあるだろう。続行だ」
満月が俺の方を見て、俺も満月の方を見た。
満月はすぐに視線で肯定の意思を示し、端末に向き直った。馬場先輩を信用する、ということか。
俺は満月の意見を聞きたかったが、彼女は馬場先輩を前にこれ以上の意見は言えないか。
結局、俺は前に向き直った。
的がそこにある。
今日の目的は魔力回路を活性化させ、その的を破壊することである。
「稼働率は六十五を少し超えている程度だけど、今はそれでいいだろう。試験開始だ」
馬場先輩の宣言に、俺は構えを取る。
的までの距離はきっちり一メートルになっている。
踏み出しながら拳を突き出せば、あるいは届くかどうかという距離である。
「加減しなくていいよ。大した出力じゃない。やってくれ」
馬場先輩が軽い調子でそう言って、俺は一度、唾を飲んだ。
ついにこの時が来たのだ。
「行きます」
俺は宣言して、軽く踏み込みながら右の拳を突き出した。
的までは、何もない空間が残されている。
拳は的に届いていない。
しかし繰り出した瞬間に、腕が捻れるような錯覚があった。
背中の方から腕へ目に見えない力が走り、力は手から握り込んだ模擬魔法杖へ流れ込む。
魔法杖という道具は、必ず魔力を打ち出す起点になるわけではない。
行使者候補生は、自身の体の中で魔力を巡らせ、増幅させたり変質させたりするのだが、魔法杖はそれを効率的に行うための道具なのである。
ただ、魔法杖の魔力増幅機能を利用してより強い魔力波動を放射するために、魔法杖を魔力波動の起点とすることが多いのも事実だ。
魔法杖と体の間で魔力を循環させて高めるのは一種の高等テクニックである。
仮に魔法杖ではないところから魔力波動を放射するとすると、相応の魔力の激流を行使者の肉体で制御する必要があるので、これもまたテクニックがいる。
俺は模擬魔法杖に魔力を流し込み、増幅された魔力をそのまま一直線に魔力波動に変換した。
強烈な魔力波動の奔流が、模擬魔法杖を握る右の拳から前方へ走った。
拳が届いていない的が一瞬だけ歪み、次の瞬間にはバラバラになって吹き飛んだ。
何が起こったのか、俺自身が分からなかった。
何故なら今回使用した的は、以前に魔法の授業で使った的とはまるで違う。
今回の的は複合素材製で、しかもはるかに分厚くて重いために、設置するのも俺と馬場先輩の二人がかりで用意したのだ。
それが、バラバラになる?
俺は的が揺れるくらいを想像していたのだが、的が粉砕されるなんて、どれだけの力があればそんな結果が出る?
平然とした馬場先輩の声が聞こえてくる。
「オーケー、魔力波動の出力は予定値に少し届かないが、模擬魔法杖も魔力回路も問題なく機能しているようだ」
的があった辺りに漂う濃い霧に視線が吸い寄せられていたが、なんでもないように言った馬場先輩を思わずを振り返る。
先輩はもう俺を見ておらず、端末に目を落として操作していた。言葉だけが飛んでくる。
「出力がまだまだ物足りないけれど、先に中距離を試そう。二番目の標的を引っ張り上げてくれ」
「え? 一人でですか?」
思わず確認するのに、そうだよ、と馬場先輩は当然のように答える。
二番目の標的はさっき粉々に破壊した的と同じものだ。今は五メートル離れたところに寝かされている。
重量は十キロや二十キロなんてものじゃない。それを一人で引っ張り上げろというのか。
「無理ですよ。手伝ってください」
俺の言葉に馬場先輩が顔をあげて、困ったような顔になる。
「いいや、ハチ、今のきみなら出来るよ。筋力も強化されている。力を出そうと思えば、体の魔力回路を活性化すればいい。それで標的を起こすくらいなんでもない」
俺がじっと見つめると、馬場先輩がはっきりと頷いた。
俺はその場を移動して、まだうっすらと漂っている霧を手で払いながら、倒れている標的に歩み寄って身を屈めた。
取っ手がつけられているが、さすがに重い。
無理です、とは言えないので、俺は言われた通りに魔力回路を意識した。
背中が熱を発し始める。取っ手に力を込め、引っ張りあげる。わずかに標的が持ち上がった。歯を食いしばり、腰を落とすようにして、全身で標的を起こそうとする。
ゆっくりゆっくり、標的は起き上がっていった。
そしてついに標的は直立し、俺は一息つきながら標的を床に固定する金具を足で操作した。
どこか芝居じみた動作で馬場先輩が拍手してくる。
「上出来だよ、ハチ。魔力回路の稼働率はおおよそ七十パーセントに達して安定している。当初の予定はクリアしたってことだね。さて、中距離の様子を見よう。定位置についてくれ」
了解、と答えて、まだ俺にまとわりつく霧に閉口しながら元の場所へ戻った。
まっすぐに立ってから、構えを取り直す。
馬場先輩はもう黙っているし、満月も声を発さない。
的はかなり遠く感じられた。五メートルがこんなに遠く感じることも珍しい。
励ますような馬場先輩の声が届いた。
「いつでもいいぞ、ハチ。こっちでは全部モニタしている。でも無理はしないように」
はい、答える俺は、一度全身の力を抜いて、改めて構えを取り直し、魔力回路を意識して魔力を流し込む。
魔力の流れが徐々に強く、速くなっていく。それに合わせて全身に痺れが走る。
背中は燃えるように熱い。火でも背負っているような気分だ。
右の拳を引きつけるようにする。
すでに腕が見えない力で捻じ切れそうだった。
魔力波動が俺の腕で収束していく。
それでもまだ力が足りないと思い、さらに強力な波動を練り上げていく。
ここだ、と思ったことに理由はない。
自分を取り巻く力に耐えられなくなっただけだ。
拳を突き出した。
靄でも霧でもなく、真っ白い波が的へ走った。
ほとんどまっすぐに白い波頭は進んだ。
的に到達するまで、瞬きする間もない。
波動は的に衝突し、的には亀裂が入った。
亀裂はあっという間に全体に蜘蛛の巣状に広がり、的はバラバラに砕けた。
破片が盛大に床に散らばり。
俺はそんな様子を白い霧の中心で見ていた。
こんなことが、あり得るのか。
自分の起こした現象が、やはり信じられない。
俺はつい先日まで、魔法らしい魔法も使えなかった。使えるとしても、弱い力に過ぎなかった。
それが今、桁違いと言ってもいい力を行使している。
「オーケー、ハチ。十分だ」
馬場先輩の言葉に俺はまた振り返った。馬場先輩はこちらに親指を立てた拳を突き出している。
「どこか不具合があるか? こちらの端末には異常の示す数値は出てないけど、どうかな?」
俺は意味もなく自分の体を観察していた。どこにもおかしなところはない。ただ背中に熱の残滓があるだけだった。
「問題は、ないと思います」
「よし。石森さん、念のためにハチの状態を確認してくれ。体の状態と、魔力回路の状態をチェックするのは絶対だ。僕は部屋を先に片付けておこう」
馬場先輩と満月が立ち上がり、満月はこちらへ小走りでやってくる。馬場先輩は掃除用具の方へ向かっていた。
俺はもう一度、視線を的があった方に向けた。
的は、跡形もない。
複合素材の標的が、原型をとどめていないとは……。
あれを、俺がやったのか……。
(続く)




