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44 疎外感

       ●


 俺と満月、馬場先輩は校舎の一つにある処置室を借りて、俺の体に魔力回路を刻むことになった。

 馬場先輩は例の食事会で言っていた通り、俺に都合のいい魔力回路をすでにほぼ完成させていたようだった。

 ほぼ、というのは俺に対する微調整が施されていないという程度のことが理由で、完成ではない、という意味に過ぎない。そして完成された魔力回路は存在しない。魔力回路はアップデートを続けるものだ。

 魔力回路を設計することが専門である探求者候補生の用意した新規の魔力回路を、実際的な魔力回路に落とし込み、俺に実際に刻むのが管理者候補生である満月の役目になる。

 当の満月が言うには、馬場先輩の魔力回路の完成度はすでにかなり高く、ほとんど手を加えることなく俺の体に刻めるということだった。

 処置室の寝台にうつ伏せに寝た俺の背中を、満月がまずペンでなぞっていく。下書きだ。時折、馬場先輩は横から助言をしているのが俺にも聞こえた。満月もそれに応じ、時折、消しゴムで俺の背中を擦る。

 予定では魔力回路は俺の背中の半分ほどに刻まれることになっている。

 かなりな大きさで、管理者候補生の満月だけでは構築不可能な規模だった。ということは、満月にとっても初めての大きさの魔力回路を刻む作業がこれから始まる。

 俺としても不安がないわけではない。

 今後、魔力回路を予定通りに使いこなせるかも不安なら、魔力回路が俺をどう変えてしまうのかも気になる。

 それに、まず満月が処置で間違えないかも気がかりだ。

「オーケー。それでいいよ」

 俺には見えないところで馬場先輩が言う。満月はいつの間にか俺の背中からペンを離していたようで、感触が消えていた。

「リラックスして、石森さん。少し複雑ではあるけれど練習通りにやればいい。落ち着いていこう」

 馬場先輩が満月に励ましの声をかけているのは、俺にも聞かせて俺を落ち着かせる意図もありそうだ。

 いや、あまり満月を必死に励まされると、俺は逆に不安になっていくのだが……。

 調子に乗ってミスをしませんようにと祈っておく。

「じゃあ、やってみよう。集中、集中」

 はい、と掠れた声で満月が答えた。

 しばらく何も起こらなかった。

 チクリと肩甲骨の辺りに痛みが走ったことで、魔力回路が刻まれ始めたのに気づいた。下手に体を動かすと問題になるので、じっとしていようと決めた。

 何度か痛みが走る瞬間もあったものの、順調に作業は進んだらしい。しかし作業時間は一時間近くかかった。

 不意にすっと冷たい感触が背中から離れて、次に何か液体が背中に吹きかけられた。そして柔らかい感触が背中全体を拭っていく。液体が気化していくせいだろう、ひんやりとした感じが広がっていく。

 それが作業の終わりだった。

 ただうつ伏せになって体をピクリとも動かさないでいる俺も、作業の終わりには強い疲労を感じた。

 ポンと小さな手が背中を叩いてくる。

「もういいよ、終わった」

 満月のややハリのない声に、そうか、と応じて体を起こす。関節が軋むような感覚。

 床に降りてからなんとなく肩を回して、体をひねって脇腹の凝りをほぐした。馬場先輩がそんな俺に手鏡を差し出した。

「背中を見てみるといい」

 鏡を受け取り、部屋の一角へ向かう。そこだけは壁に鏡が貼られているのだ。俺はその大きな鏡に背を向けて、自分の前には手鏡を掲げて背後の鏡を映す。

 それで手鏡の中の壁の鏡の中で、俺の背中がよく見えた。

 かなり細かな文様が背中に赤い線で描かれている。刺青としても通用しそうに見える、ある種の意匠のようだ。

 これは俺には専門外なのでわからないが、優れた魔力回路ほど美しい、などと言われることもあるらしい。

 近づいてきた馬場先輩が声をかけてきた。

「すぐに魔力を流すのはやめた方がいい。まだ定着が不完全で、事故が起こるかもしれない。魔力回路が落ち着くまでは試さないのがセオリーだ。魔力回路を定着しない状態で稼働させると、回路自体が壊れてしまうこともある。試すのは今日は無理だな。明日の夕方にはちょっとは稼働させられるはずだよ」

 馬場先輩が上機嫌で説明してくれる向こうで、作業を終えた満月は椅子に腰掛けて飲み物を飲んでいた。作業前より痩せたというか、やつれた印象を受けた。

 馬場先輩のレクチャーは続く。

「今回は例外的に、一回で大きな魔力回路を刻んだから、最初は制御が難しくなると思う。本来、魔力回路は小さなものから始めて、徐々に大きくさせていくものなんだ。そうすることで、魔力波動の扱いを小規模な段階から始め、慣れに合わせて徐々に大きくさせるわけだ。でも今回は時間がないせいで最初期の状態からいきなりある程度の大きさの魔力回路に発展しているから、僕の経験的にもいきなり完全に使いこなせる行使者候補生はそういないと思う。しばらくは大変になるよ」

 そうですか、と言いながら、俺は内心、首を傾げるしかない。

 魔力回路というのはやっぱり不思議なものだ。ただ細い針で皮膚をなぞるだけで、超常的な力が行使できるようになるとは、不自然が過ぎる。

 なんでも、管理者候補生が魔力回路を刻むのに使う針は、ただの純粋な針ではなく、特殊な物質がその先端にあるらしい。だから針でなぞられる時にできる傷にはその物質が痕跡として残る。

 傷跡が魔法を実現させているのではなく、その物質が俺と超常の力を結びつけているという仕組みだけれど、それだって不思議なものだ。

 よし、と馬場先輩が手を叩く。

「明日の夕方には新しい魔力回路の性能実験をしよう。時期的に混んでいると思うけど、実験棟の部屋を一つ、予約できるか試してみるよ」

「よろしくお願いします」

 俺が礼を言うのに、満月も続く。馬場先輩はからかう口調で満月に言った。

「石森さんはまだやることがあるよ。模擬魔法杖を改造しないといけない。さすがに次の模擬戦までに試作魔法杖を作る時間はないから、今回はそれで誤魔化すんだ。模擬魔法杖でもうまく改良すれば、手をつけていない状態と比べるとまるで別の性能を発揮できると思う」

「今からですか? 間に合いますか?」

 不安げな満月に、馬場先輩が力強く頷く。

「工作室を手配してあるよ。少し休んだら、行くとしよう。僕も助言するよ。僕が作った魔力回路だから僕の中に魔法杖に関するアイディアもある。ハチはどうする?」

「ついていきますよ。どんなことをするのか、気になりますから」

 俺は手鏡を馬場先輩に返して、脱いでいたシャツを着ていく。馬場先輩は何度も満足そうに頷いていた。

「ちょっと忙しいけど、文句は言っていられない。あと二週間で全てが整って、そのあとの一週間で万全に魔力回路も模擬魔法杖も扱えるようにしたい。それで模擬戦にはギリギリ滑り込める」

 そうですね、と満月が笑う。

 その顔を見たとき、何かが俺に違和感を抱かせた。

 何がそうさせたのかを確認しようとしたが、すでに違和感は消えいていた。満月が立ち上がり、自分の仕事道具をまとめ始める。

 早速、移動か。休む暇もないとはこのことだ。

 この日はかなり遅い時間まで工作室で馬場先輩と満月はああでもないこうでもないと話しながら、二本の模擬魔法杖を改造していた。もし俺の魔力回路が安定していれば、実際に模擬魔法杖に実際の魔力を流したり、魔力回路との接続も確認できただろうけど、まだ出来ない。

 何も出来ないことに、二人には申し訳ない思いがした。

 俺にできることは食べ物や飲み物を調達して差し入れるくらいだったけど、二人は食事の間も休憩の間も、模擬魔法杖について話し続けていた。

 今度は、いつになく満月が生き生きしているように見えた。

 その表情や喋りかた、雰囲気は知り合ってから、見たことのない様子だ。議論する相手がいて、助言してくれる相手がいて、嬉しいのだろうか。

 どちらも俺にはできない役目だった。

 疎外感を感じるほどではないが、何か距離は感じた。

 チームというのは、こういうものなのだろうか。

 あまり考えたことはないが、俺も誰かに必要とされる存在になりたいと無意識に思っているのか。

 でも、どうすれば、どうなれば、必要とされるだろう。

 身近にいる行使者候補生は山崎先輩しかいない。

 教えては、くれないだろうなぁ……。

 俺は馬場先輩と満月が議論し、作業するのを椅子に腰掛けて眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。





(続く)

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