39 魔力回路
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六月になる前に、授業の中でチームを組んで参加するものが増えてきた。
一年生だけの授業だけど、場合によっては上級生も参加する。チームの構成によっては一年生と上級生が組んでいるからだ。
行使者候補生と管理者候補生の二人組での参加もあって、俺と満月がそうだったが少数派だ。管理者候補生と探求者候補生の二人組、管理者候補生と探求者候補生の二人組もいないわけではないが、やはり少数派である。
最初の授業では魔力回路の刻み方が確認されたけれど、俺はテキストでは知っていても、実際は知らない。
魔力回路を刻むのは管理者候補生が主に受け持つ要素だ。満月が技法や論理を分かっているようだからよしとした。俺が口出しする理由はない。
ただ、授業の流れが試しに魔力回路を体に刻む、となった時はさすがに緊張した。
なにせ、満月はつい数ヶ月前まで中学生だったのだ。
それが魔力を回路を刻む、しかも俺に刻むわけだから、完全に冷静ではいられない。
「自信はある感じ?」
無意識にそう聞いてしまった俺の気持ちを察したのか、満月は「努力する」とやや硬い口調で答えた。出来るとか出来ないとか言わず、努力する、とは謙虚なことである。安心はできないが、諦めはついた。
教室のそこここで作業が始まった。それぞれが行使者候補生に管理者候補生と探求者候補生の二人がかりで初歩的な魔力回路を刻んでいく。
短い悲鳴や笑い声が飛び交うが、俺の前にいる満月は集中しきった顔で器具を手にして一言も発さない。俺も似た顔つきだっただろう。
満月はペンを手にしている。これは間違いなく本物のペンだ。サインペンのようであるが少し特殊ではあるらしい。
俺が前に出した右腕に満月がペンで線を描いていく。途中で間違ったのか、消しゴムを取り出して擦ると線は綺麗に消えた。またペンが線を引き、何度も間違いながら文様が出来上がっていく。
この準備段階であまりに間違うので、本番が不安になる。
こんなことで大丈夫なのかよ……。
教室を何人かの教官が歩き回って生徒の様子を見て、時には助言を与えているが、俺と満月のところに来た教官は何も言わなかった。問題ない、ということか。
第一段階の作業が終わったらしく、ペンを机に置いた満月がハンカチで額の汗を拭い、今度は金属製のペンのようなものを手に取った。
それはペンに見えるが、その先は金属製で、針のようになっている。いや、針より細いかもしれない。ただ、鍼灸の鍼ほどは細くないように見えた。しならないのだ。
前も見たことのある、魔力回路を刻む道具だが、今は変な狂気のように見える。
行くよ、という緊張した声の後、満月はその針の先を俺の腕に当てた。
ペン先は腕に書かれた線の上を移動していく。
かすかな痛みととも、ペンがなぞった後にポツポツと血の滴ができていく。
おいおい、と思いはしたが、下手に満月に声をかけると余計に失敗するかもしれないと思い直して、黙っていた。
痛みは耐え難いほどではない。満月の手はゆっくりと、しかし確かにペンで腕に書かれた下書きをたどっていった。
俺の方も緊張していたようで、時間の流れがわからなくなり、満月の操る針が俺の腕から離れた時、まるで何時間も姿勢を固定して息を詰めていたような感覚がった。
ともかく針が腕を離れたことで俺は安堵し、満月も深く息を吐くと、少しだけ息を吸い、またそれを吐いた。
「痛みはある?」
問いかけられて、やっと俺は痛みを思い出した。
「だいぶね」
ごめん、と謝った満月は消毒液を俺の腕にふりかけ、ガーゼで拭って様子を観察し始めた。俺の腕をなぞった針の先は所々で血がにじむような傷を作ったようだけど、ほとんどのところでは少し引っかいたような赤い痕が残っているだけだ。
これは意外に、満月は器用なのではないか。初めてにしては上出来なのでは?
「さっきは痛むような気がしたけど、ほとんど痛まないぞ」訂正しながら、念のために確認得る。「これは何の魔力回路なんだ?」
俺の質問に、腕の様子をまだ観察しながら顔を上げずに満月が答える。
「神経系の反応速度と、感覚の底上げ、少しの瞬発力の上昇、かな」
ペラペラと説明された内容に、すぐには答えられなかった。
「これだけのことで、そんなに効果があるのか?」
そう、と満月は頷き、まだしきりにガーゼで腕を擦っている。出血はもうほとんど止まっていた。
信じがたい。満月の様子を眺めながら、俺は別のことを考えていた。
満月が俺の腕に刻んだ模様、魔力回路は手首の辺りから前腕の半分にも達していないし、腕をぐるりと巡っているわけでもない。ほんの小さな魔力回路なのだ。
もし、もっと広い範囲に、大きく、精緻な魔力回路を刻めばどうなるのだろう?
「何か違和感はある?」
やっと顔を上げた満月の俺を見る目は少し血走っていた。短い時間だったが、かなり集中していたんだろう。
「違和感? 何もないよ」
「魔力を回路に流し込んでみて。何も特別なことじゃない。ちょっと回路を意識するだけでいいから
言われるがままに回路を意識する。
ここまでの授業での両手のひらに刻まれた基礎的な魔力回路の扱いで、回路を意識するという曖昧で観念的なものにも慣れてきている。
だから俺は、満月が刻んだばかりの魔力回路をすぐに意識できた。
魔力を流すというのは、どこかスイッチを入れるのに似ている。魔法技専に入るまでは想像もしなかったが、意識にスイッチがあるというわけだ。
俺の魔力が、刻まれたばかりの魔力回路をに走った。
一瞬、肌がチリチリと痺れる気がして、何故か強烈な耳鳴りがして耳が痛くなった。視界にあるものがすべて、ほんの短い間だけ停滞したようにも見えた。
ただ全部が一瞬のことで、すぐに元に戻る。
「どう?」
満月が不安げに問いかけてくる。
その様子がいやに鮮明に見えた気がした。文字通り鮮明にだ。視界の彩度というか、画素数が極端に向上したような感じである。ついでに声の調子も今までと少し違うようだ。
これが、感覚の底上げっていう奴なのか。
「目は良くなったかもな。あと耳の聞こえも変わった」
「敏感になったのね。それなら予定通りだけど、この魔力回路なら周囲の情報から余計な情報を選別できるはず。それはできそう?」
「いきなり無茶を言うなよ。もう少し慣れないと、加減できそうにない」
「それもそうか。ごめん、ちょっと気が張っていて……」
こちらこそすまん、と言いながら、俺は魔力回路をまだ確認していた。
回路に流す魔力の量を加減することで機能を制御できそうだと直感したが、うまくいかない。魔力回路の効果を選り分けるのは時間がかかりそうだ。
普段から魔力回路を起動させる行使者候補生はいないので、俺も例にならって魔力回路を意識から切り離し、オフにしておく。
「この魔力回路はどこで勉強したんだ?」
さりげなく聞いてみると、少しムッとした顔を満月が浮かべた。
そういう顔を見せるようになったということは、それだけ親しくなれたということだろう。信頼関係はこういうところから始まるとしたい。
その不機嫌顔の満月が答える。
「テキストの内容と、他に資料を自分で調べて構築したの」
「勉強したんだな。ありがたい」
正直な感想だったが、それも満月の癇に障ったようだ。褒めたつもりだったが、通じなかった。
「探求者候補生ならすぐにでも思いつく、というレベルの魔力回路なのよ。褒められたものじゃない」
「満月は管理者候補生じゃないか」
「でも探求者候補生の領域を学んじゃいけない理由はない」
まだつっけんどんな満月をなだめる言葉が浮かばないので、流れで質問を続ける。
「探求者候補生と管理者候補生は、まるで違う、ということか?」
「もちろん。まったく違うと言ってもいいかも。探求者候補生と行使者候補生をつなぐのが管理者候補生の役目の一つでもある、って感じ。管理者候補生が魔力回路をデザインするのは、上策じゃない」
そうか、としか俺は言えなかった。
難しい顔を変えないまま、満月が言う。
「探求者候補生がいないから、しばらくは基礎的な訓練で我慢して」
「いいよ、それくらい」
俺の言葉に満月は納得できない顔で、無言で頷き返した。
俺があまりに聞き分けが良すぎるのも、満月には癪にさわるか。
教官が、そろそろ授業も終わるぞ、きりがいいところで終わりにしてくれ、と声をかけ始めていた。
(続く)




