36 先を行くもの
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ああ、先生、と言ったのは部屋に入ってきた幸坂先輩だった。
驚いているような口調だったが、表情も変わらないし動きも止まらない。流れるような動作でやってくる。
藤吉先生も「お邪魔しているよ」と普通にしている。幸坂先輩の製図台を勝手にすることを藤吉先輩は許されているというが分かる光景だ。
「どれくらい進んでる?」
藤吉先生のいきなりの質問に、抱えていた紙袋をローテーブルに置いた幸坂先輩が答える。
「まだ全然です。あの魔力回路の実現化は難しいですよ。手間と時間をかけて刻んでも、微調整が煩雑になりすぎます」
「きみならできると思って任せているわけだから、できるでしょう。うまく合理化と最適化のアイディアを出してね」
「無理は無理ですよ。先生の期待が大きすぎるかもしれません」
幸坂先輩は製図台のそばへ来て、俺に小さな指の動きで紙袋を示した。整理してくれ、ということだ。俺は無言で頷いて、その場を離れた。しかし耳は製図台のそばで交わされる藤吉先生と幸坂先輩のやり取りに集中していた。
「期待が大きすぎるってことはないよ。私がそう思っているわけだし。幸坂くんの実力ならなんとかなるって」
「評価が過大です。これでも僕は、卒業後は大学に入る予定なんですよ」
「医者になるって話、本気なんだぁ。てっきり、幸坂くんなりの冗談だと思っていたよ」
「かなり本気ですけどね。今でも毎日、遅くまで参考書に挑んでます」
「きみの能力なら医大に入るなんて朝飯前でしょう? そもそも魔法技専のカリキュラムに組み込まれている医学、医療系、薬学系の講義や講座は医大志望者の通う予備校以上の内容なんだし」
二人の会話は進路の話題に終始しているけれど、それが本題ではない感触である。
幸坂先輩の持ってきた紙袋の中に入っていたゼリー飲料を冷蔵庫に入れつつ、俺は考えていた。
もしかして俺は邪魔だろうか。二人の会話を妨げているかもしれない。何か理由をつけて部屋を出るべきか。
ゼリー飲料は袋にいっぱいに入っていて二十個以上あった。誰が口にするのか? 半分以上はあの人物が一人で飲み込んでしまうだろう。
幸坂先輩に藤吉先生が言葉を続ける。
「きみの進路選択は専門の役目の職員に任せるけど、まぁ、本気だというのなら私から書類を用意してあげるよ。だけど、私がお願いした仕事がうまくいかないなら、書かないかもしれない」
「妙な恫喝はやめてください、先生。それでも教師ですか」
「あなたこそ、それでも管理者候補生なの? 医者になりたいなんて」
「だから、そういう変な発言は良くないですよ。生徒の自由を制限しないでください」
「責任というものが才能の持ち主にはあるってこと。私だって何の因果か、魔法技専の教師をしなくちゃならないのか、誰か、教えて欲しいわよ」
なにやら話が迷走しているが、やっぱり俺は邪魔なのだろうか……。
「先生、さては退屈してますね? 先生の持ってきた魔力回路の基礎デザインについて、話しましょう」
冷蔵庫を閉じて紙袋を畳んでいると、不意に話が専門的なものに変わった。
それから二人はひとしきり、俺にはわからない話をしていた。魔力回路の最大出力時の誤差、適正出力と出力を安定させる新手法、副回路の形成、行使者への物理的負担の軽減策、魔力回路に適合する試作魔法杖に求められる様々な性能。
退室するタイミングを逸して全て聞いていた俺にわかったのは、二人が検討してる魔力回路がかなり大出力の魔力波動を前提にしているということくらいだ。
理由は幸坂先輩が「特殊な体質の人間じゃないと、発動と同時に失神します」と言ったからだ。
「まあまあ私の思った通りの展開かな」ベビーシューの最後の一個を食べ終わり、空き袋が藤吉先生から幸坂先輩に手渡される。「もうちょっと詰めて、実現性をチェックしてみて。現状では実際に試験するには危なすぎるでしょうから」
「そもそもが危ない設計の魔力回路ですよ。人間相手にはとても使えない」
「使えるようにするのがきみの仕事だよ。それにいずれは人間相手で試したいという部分は譲れない」
「そんな無茶な。人体実験をするつもりですか」
「魔法技専でやっていることの半分以上は人体実験だって知っているでしょう?」
唸るような声を発したものの、幸坂先輩は反論しなかった。受け入れざるをえない、抵抗や反論を諦めたということだろうか。
ぐっとコーヒーを飲み干した藤吉先生はマグカップを手にこちらへやってきた。俺は我に帰って離れたところに突っ立っている自分を発見した。
やや慌てたが、藤吉先生は俺にはあまり興味がないようだ。俺に近づいてきたのも、空のマグカップを渡すためだった。
そのまま帰るかと思った藤吉先生が製図台の方を振り返る。
「そういえば幸坂くん、潤ちゃんは少しはやる気があるようかな?」
俺が反射的に幸坂先輩を見ると、幸坂先輩は少し黙ってから「みたいですよ」と少し苦い調子で答えた。
これには俺が困惑してしまった。
山崎先輩にやる気があるとは、何のことだろう。幸坂先輩と藤吉先生がやっていることに山崎先輩のも関わっているのだろうか?
藤吉先生は、少し笑ったようだった。楽しそうな笑い方だ。
「それはいい傾向だ。じゃ、幸坂くん、また来るから」
そう言ってから、藤吉先生は俺の顔を覗き込むようにして見た。身長差があるので、自然とそうなる。
「ハチもまたね。稽古、頑張って。あまり上級生に憎まれないようにね」
ポンと背伸びまでして軽く肩を叩くと、藤吉先生は颯爽と第十六グループの実習室を出て行ってしまった。
俺はドアが閉まって自動でロックされるのを見てから、幸坂先輩を振り返った。
「先生と先輩は何をしているんですか?」
ちょっと直線的すぎる問いかけだったせいか、幸坂先輩は言葉を探すようなそぶりをした。
「ハチくんにわかるようにいえば、新しい魔力回路の構築だよ。まだ試験には程遠い。あ、このことはあまり他言しないでね。ハチくんが理解している程度のことが漏洩しても問題ないけど、トラブルは避けたい」
俺にできるのは、はぁ、と答えるだけだ。新しい魔力回路というワードがどこかでトラブルになるとは思えない。それなら、新しい魔力回路を構築している、という事実そのものが漏れるのが問題なのか。
世間話をする相手も多くないけれど、黙っているとしよう。
「藤吉先生って、実はすごい先生ですか?」
ちょっと方向性を変えてみる。幸坂先輩は困ったような顔をした。
「それはね、凄いよ。十五歳で魔法技専に入学して、ストレートで卒業した後、すぐに魔法技専の教官になったわけだから」
「え?」ちょっと絶句してしまう俺を誰が責められるだろう。「若いとは思っていましたけど……、本当に若いんですね」
「年齢で人を判断することとか、見た目を重視するのはどうかと思うけど、見た目以上に若いよ、藤吉先生は」
よほど俺の様子が可笑しかったのか、くすくすと笑いながら製図台の機能をスリープにした幸坂先輩がこちらに来る。コーヒーを用意したいのだとわかったので「俺が用意します」と名乗り出る。頷いた先輩は礼を言って先にソファに腰を下ろした。
俺は自分の分のコーヒーも用意して、幸坂先輩にマグカップを渡してから向かいのソファに腰を下ろす。
いつになく幸坂先輩が気を緩めているようだし、俺の好奇心も高まっていたので質問が自然とできた。
「それで、幸坂先輩は最初から藤吉先生の指導を受けたんですか?」
幸坂先輩はコーヒーを一口飲んでから答えてくれる。
「第十六グループの顧問が藤吉先生でね。大滝先生の指導も受けたけど、主に藤吉先生がアドバイスしてくれた。それは潤も悠理もそうだね。僕と潤と悠理のチームは先輩のフォローも受けたけど、藤吉先生がどういうわけか、いろいろと教えてくれたんだよ」
一瞬、幸坂先輩が遠くを見る目つきをして、急に顔を俯けた。陰になって、表情が見えなくなる。
「悠理がハチくんと石森さんに協力することがあれば、と思ったりもするけど、無理だろうな」
マグカップを口元に運びながら、無意識にだろう、幸坂先輩が苦しげにそう言った時、俺は何か、幸坂先輩の心の深いところにあるものが覗いた気がした。
幸坂先輩自身も、俺や満月に力を貸したいと思うことがあるんだろう。
でもそれを幸坂先輩自身が、決して許さない。
それが自責の念なのか、激しい後悔のせいなのかは、俺には知る術がない。
俺が黙っていると、そんな俺に気付いたようで幸坂先輩は普段通りの穏やかな雰囲気に戻った。
「ハチくんの方からも悠理にアクションを起こしてみてもいいんじゃないかな」
話の向きが変わったけど、俺は逆らわなかった。
「加賀原先輩は、実習室に顔を出しませんよね? それって何か事情があるんですか?」
「大した理由じゃないと思う。読みたい資料にすぐアクセスしたいだけじゃないかな、彼がいつも地下にいる理由は。そうやってここを避けている、というのもないわけじゃないだろうけど。最近は、僕や潤とも頻繁に会うわけじゃないし」
もう少し三人の話を聞きたいと思ったその時、ドアのロックが外れる音がした。
俺と幸坂先輩が見る前でドアを開けて入ってきたのは、満月だった。かなり苛立っている様子で、俺と幸坂先輩に気づくと「お疲れ様です」と平板な声で言って、つかつかと流し台の方へ向かっていく。
いつになく満月には迫力があった。凄みがある、というか。
「どうしたんだ? いったい」
俺が問いかけると、満月が極端に尖った目つきで俺を見た。
「加賀原先輩が見つからなかった」
タイミングがいいことに、満月の口から加賀原先輩について話を聞けそうだ。ただ、露骨に満月が腹を立てているので話題にするのは躊躇われた。
さりげなく幸坂先輩を見ると、笑いを堪える顔をしていた。俺は藤吉先生が言っていた言葉を思い出した。意地っ張りで破天荒。もしかしたら満月とは相性が悪いかもしれない。
満月はどちらかといえば真っ直ぐで、正直だ。
「一息入れて考えよう」
そう幸坂先輩が実に適切な言葉をかけると、そうですね、と満月が幾分、柔らかくなった声で答えた。
俺もホッとしながら、ソファから立ち上がって冷蔵庫へ向かった。ベビーシューがもう一袋くらいなくても、山崎先輩なら気にしないだろう。
しかし今日は山崎先輩も遅いな。何をしているのだろう?
(続く)




