33 地下の生徒
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私は幸坂先輩に言われるがままに、図書館に向かった。
地下にいる生徒が相談に乗ってくれる、というのだ。
その生徒の名前は教えてもらえなかったけど、「肝心なのは相手の興味を引くことだよ」と告げられ、その言葉で何か、相手の名前を教えられない理由がありそうなのは私でも理解できた。
図書館へ着いて地下へ向かう。図書館は地上六階地下二階の造りで、私は地下一階と二階を見ていったけど、それらしい人はいなかった。
地下一階も地下二階も書庫になっていて、電動式の書架がぎっしりと並んでいる。閲覧スペースは設けられていない構造だった。蔵書を読みたい生徒は上の階を利用する仕組みである。
何人かの生徒が出入りしていたけど、幸坂先輩の「地下にいる」という表現に適合するとは思えない。どの生徒も純粋に資料を求めてここに来ているだけだった。私が見ている間にすぐに地上へ戻っていく。
幸坂先輩は何か、頓知のようなものを私に求めているのだろうか。
しばらく地下に滞在したけれど、答えが出ないまま一度、地上へ戻ることにした。
一階のフロアでエレベータを降り、念のために壁に貼られている館内図をチェックする。もちろん、何の発見もない。地下のフロアに簡単には入れない場所があるようでもなかった。
隠し部屋でもあれば、などと思ったりしたけれど、あるわけがない。
それでもと図を凝視したが、どうしてもわからない。
自分でもおかしなことをしている自覚はあったが、最後の手段としてカウンターへ向かうことに決めた。司書の人なら何か知っているかもしれない。
対して待つことなく、私の順番が来た。穏やかな雰囲気の女性が私に笑みを見せる。
「どのようなご用ですか?」
考えていた荒唐無稽な問いかけは、口にするのにだいぶ勇気が求められた。
「地下にいる人に会いたいのですが……」
司書はキョトンとした顔で私をじっと見た。その視線に、失敗したか、と私は後悔した。
私が黙っていると、司書は少しだけ微笑んだ。
「地下一階と二階には、エレベーターで行けますけど、そういうことではなく?」
赤面している自覚があった。ただ、それもあって質問を重ねる恥は軽くなったかもしれない。
「そういうことじゃなくてですね……、その……」
言葉に詰まった時、予想外に司書の女性の方から確認された。
「誰を探しているのか、教えていただけますか?」
司書はどこまでも丁寧だったけれど、何か勘違いされているらしい。そのことにますます私は申し訳なくなった。
「名前は知らなくて、知り合いに地下にいる人に会うように、と言われて」
名前の知らない相手を探してくれなど、無理そのものだった。
もう立ち去ろうと思った時、またも予想外の確認があった。
「どなたがそのようなことをあなたにお話ししたのですか?」
さっさと解放してくれ、と思った私はもうやぶれかぶれだった。
「第十六グループの幸坂葉太先輩です」
返事は、すぐになかった。
第十六グループ、と司書が小さく声にして、何かを考えるそぶりをした。視線が斜め上に向き、ああ、と何かに気づいた顔になったかと思うと視線が私に戻ってきた。
その表情は先ほどより、柔らかかった。
「加賀原さんなら、四階にいるんじゃないかな」
……加賀原さん?
どこかで聞いた名前だけど、思い出せない。誰だったか、どこで聞いたのか……。
いずれにせよ、その人が目的の人物かはわからなくても、手がかりは手がかりだ。私はやや勢い込んで質問を向けた。
「四階って、上ですか? 地下ではなくて?」
「いいえ、地下四階ですよ」
地下四階……? 地下四階が存在するなんて、どこにも書いていなかったし私は知らない。エレベータには地下二階までしかボタンがない。階段も地下に階で終わっている。
しかし地下四階があるという。
わからないことだらけだった。
私が混乱して何から質問すればいいか、戸惑っているうちに、そんな心理を把握している様子で司書が静かに席を立った。
そして、こちらへ、とカウンターの内側へ私を招く。出入りしやすいようにカウンターの一部が開閉式になってるのだが、その小さな扉を開けられてしまって私は何がなんだがわからなまま、カウンターの内側に入っていた。
そうして司書と一緒にバックヤードと呼んでもいい場所へ進むむことになった。
司書が静かな調子で言う。
「加賀原さんは閉架にある本ばかり読みたがるから、本を手配するのに手間もかかるし、人手もないし、それで特別に地下に入る許可を出してあるんですよ」
地下にある本、閉架、ということは……。
やっと事情が飲み込めてきた。
「地下は何階まであるんですか?」
何か聞いてはいけないことを聞いているようで私は緊張したけれど、司書はまったく平然としていた。
「普通の生徒が入れるのは地下二階までで、その下に地下六階まであります。地下三階から地下六階は書庫になっています。閉架です。電子化されていない資料が収められています」
それを最初に教えてもらいたかった。
幸坂先輩も私を試すようなことをしないで、全部伝えてくれればよかったものを。
それとも、幸坂先輩なりに私のやる気、熱意を試す必要があったのだろうか。
詳細にはわかっていないものの、幸坂先輩の雰囲気から察するに、これから会う人物が私と八一郎に探求者を用意してくれるらしかった。
六月下旬から始まる模擬戦まで一ヶ月を切っている。
既に今からチームを作るにしても遅いと言える。それでも私は棄権するつもりはなかったし、八一郎もそんなようなことを言い出すことはなかった。
是非とも、そして可及的速やかに、行使者候補生を招き入れたい。
司書は奥の職員用のエレベータまで私を案内し、短く説明した。
「本当は地下三階より下には生徒を入れちゃいけないことになっていますから、長居しないでくださいね。そうですね、三十分くらいです。いいですね?」
「その、加賀原さんという方は、無制限なんですか?」
「加賀原さんは特別なんです」
どうしてその生徒は特別なんだろう? 私には男性か女性かもわかっていない。
問いかける前にエレベータが上がってきて、小さな音が鳴った。
扉が開き、無言で司書が乗り込むように促すので、私は一人で乗り込んだ。特に何かしらの手続きが必要なわけではなく、操作盤の地下四階を示すボタンを押すと扉がゆっくり閉まってゆっくりと降下が始まった。
すぐに小さな音がして、ドアが開く。
流れ込んできた地下の空気はやや乾いている。埃っぽい匂いはインクと紙の匂いの奥にかすかにある感じだ。
どことなく老舗の古本屋を連想させる。
私は通路に踏み出した。
通路と言っても、書棚の間が通路のような形になっているだけで、通路を設けたというよりは書棚を最低限の隙間を設けて並べた結果、形の上での通路が形成されているのだった。
書棚には本がぎっしりと並んでいる。
紙の本である。今時、ここまで紙の本が並ぶ空間は珍しい。
通路に本が積まれていないのが不思議に思えてくる。書棚に隙間がないことからくる印象だろう。床に本がないのは、生徒の要望に応じて職員が本を探す時に容易にするためか。
書棚というのは本を置くためにあるというより、本を整理して管理するためにあるのだと当たり前のことが再確認される。
人の気配を探しながら、私は通路を進み、折れ、また進む。
角を何度も折れたところで、不意に何かが動いたので、驚きで悲鳴が漏れそうになった。
ヒッ! と声が漏れた時、謎の物体がさらに動いてこちらに顔を向けた。
顔だ。振り向いたのだ。床に座っていた人物が。
「なんだ? 誰だ?」
相手が低い声、男性の声で言った。
上背はそれほどないが、やや太っている男性である。あぐらをかいて書棚に寄りかかるような姿勢で何かの書籍が手元にある。
なるほど、ずっと立っているわけにもいかないだろうし、椅子もないから床に座るしかないのか。だいぶ窮屈そうだけど。
いや、そうじゃなくて。
「あの……」
私の言葉に男性が眼鏡の向こうの眼を細める。鋭い眼光が発せられていた。
「あなたが、加賀原さんですか?」
「そうだけど」
この人か。
やっと出会えた。でも、あまり感動はない。それどころか、変な緊張が生じていた。
加賀原さんは、私が想像していた以上に不気味だ。
しかし、彼は何歳だろう? 十代にも見えるけど、二十代にも見える。
山崎先輩は若く見えるから脇へ置いておいて、幸坂先輩と目の前の男性を比べると幸坂先輩が年下に思える。でも幸坂先輩は五年生だから、目の前の男性もやはり五年生なのか。
「何? きみは誰? どうしてここにいる?」
加賀原さんが睨むような目つきで問いかけてくるのに、まずは名乗らなくては、と私は気を取り直した。
「えっと、幸坂先輩の紹介で……」
そこまで言ったところで、パタン、と男性の手元で音を立てて本が閉じられた。
そしてやっと私に興味が湧いたというように、加賀原さんは座った姿勢のまま体の向きを変えて、こちらをじっくりと見た。
「幸坂って、幸坂葉太のことか? 第十六グループの?」
「そ、そうです。その幸坂葉太先輩です」
「あいつときみはどういう関係なんだ?」
疑問そのものの声に、私は一度、唾を飲んだ。
「後輩です」
「それは見ればわかる。もしかして、後輩っていうのは単に下級生って意味じゃないのか?」
はい、と私もここに至って意気込んでいた。もう勢いで言ってしまえと、自暴自棄のように口早に告げた。
「私は、第十六グループに所属しているんです。一年生です」
すると、急に加賀原さんは黙り込んだ。
黙って私を見て、視線を手元の本に落とし、また私を見た。
そうして私をまた睨みつけてから、ぼそっと呟いた。
ありえない、と。
呟いて、やおら立ち上がると持っていた本を書架の隙間に戻した。唐突な動きに気を飲まれて立ち尽くす私は、腕組みをして書架に斜めに寄りかかった加賀原さんにさらに強い視線で射抜かれた。
何かがぶるっと私の奥で震える。本能的に、恐怖が呼び起こされているようだった。
静かな声が、投げかけられる。
「きみは、幸坂葉太の弟子なのか? 本当に?」
で、弟子……?
想像もしていなかった単語に、どう反応することもできなかった。
幸坂先輩の弟子と言えるほどの指導は受けていないし、まだ関係構築だって十分ではない。
だから、弟子ではない。
正直にそう言うべきだったかもしれない。でも、私は切羽詰まった精神状態と混乱が変に共鳴して、当たって砕けろという気分になっていた。
砕けちゃいけない気もしたけど、ここは押すべきだと私の中の何かが決定した。
「そうなると思います」
私の言葉はすぐに空間に反響して、消えた。
静寂。
加賀原さんはしばらく反応しなかった。書架に体を寄りかからせて私を観察して、黙っている。
私の喉が動いたものの何も飲み込めず。
首を左右に振って、無言のままの加賀原さんがただため息だけを吐いた。
失敗した、かな……。
(続く)




