31 変化
●
山崎先輩と対峙してから二日が過ぎたものの、俺の中にあるしこりは消えることがなかった。
学校の授業では格闘技の枠が増え、俺は総合格闘技を選択した。他には剣道と居合道、柔術と合気道、キックボクシングなどの枠があったものの、カリキュラムの流れとしては三年生以降は全てが統一されると告知されている。
三年生以降の、全部の格闘技というかがごった煮になった授業がどうなるかはわからないものの、総合格闘技が自分に合っているのは分かっている。
まだ投げ業、絞め技の知識は乏しいし、蹴り技もあまり好きではないのも、なんとかフォローできるかもしれない。
格闘技の授業では、二年生までは学年混合で授業を受ける。男子と女子の区別はこの段階では設けられているものの、やはり三年生以降は性別の差はなくなる。
魔法技専は学校だが、まさか卒業後の実際の現場で、行使者が女性だからと周りから手加減される理由はない。女子生徒にとっては二年目が終わるまでに男子と遜色ない体力と技術を身につけるのが使命、というになる。
総合格闘技の授業では、ヘッドギアはつけることが許される。グローブは指抜きである。
魔法技専に入ってくる行使者候補生は総じて体格がいい。俺の身長は一年生の中では少し目立つが、二年生も含めるとさほどの高身長でもない。十六歳になる歳で入学し、一年間も十分な訓練と支援を受ければ身長などある程度は伸びていく。それに元々、素質があるから入学できているとも言える。
総合格闘技の授業を受け持つ教官は、やけに細身の男性だった。
その点は魔法の実技を異様に体格のいい教官が受け持っているのとは対照的だ。
しかしこの細身の教官が最初の授業の冒頭で、適当に選んだ二年生生徒をあっさりと組み敷いて見せたのは印象に残るというより、ショッキングだった。
寝技は体格がものを言うのではなく、テクニック次第で体力から来る不利は克服できる、ということを実際に見せられた形だ。新入生はみんな、言葉を失って沈黙してしまっていた。
授業の内容は、最初はひたすらフルコンタクトで殴り合いをさせられた。
教官曰く、ちょっとの負傷はつきものだから遠慮はするな、とのことで少しずつ手加減する生徒はいなくなった。
俺はといえば、当然、全力で相手にぶつかっていった。
一年生だろうが、二年生だろうが、構わずにだ。
授業の最初から自分が変な目で見られているのはわかっていた。俺に向けられる雰囲気は、いつだったか、満月といた時に遭遇した名前も知らない上級生たちが向けてきたものに酷似している。
俺には何の自覚もないが、満月と俺に共通する要素と言えば、一つしかない。
どうも第十六グループの一員であることに、偏見があるようだ。
面と向かっては言われないが、それらしいことを聞こえよがしに口にしている奴もいた。
それと、俺の入試の実技での結果もどこからか噂として広まっているらしい。
どれもこれも、俺には関係なかった。
魔法技専は勝つことが全てで、勝つために授業があるのだ。授業以外の時間さえも、勝利のためにあると言ってもいい。
そのことを思う度に山崎先輩のことを思い出した。
胸が苦しくなり、顎に力が入って噛み締めた歯が僅かに軋む。
負けた。
何もできずに、負けた。
歯が立たないという表現が通用しないほど、山崎先輩は圧倒的だった。
おそらく魔法、魔力回路が作用したのは間違いない。一般人にできる運動ではなかった。
でもそれは言い訳だ。
全ての技術は弱者のために、弱者が強者を倒すために存在する。
俺は自分に、少しは力があると思っていた。
それは思い上がりだったようだ。
俺は弱いし、何も知らない。
負けたことがないわけではないし、記憶を振り返れば、負けた記憶の方がはるかに多い。
ただ、あんな負け方は初めてだった。一方的に叩き伏せられた経験はあっても、手加減された上に相手の力量の全てが見えなかったような事態は、経験したことがない。
山崎潤という生徒は、俺にとって最大の未知となった。あの人に何が可能なのか、全く見えない。どこまでの力があり、どこまでの余裕があるのか。
俺はつい最近、満月に余裕ということについて持論を向けていた。
恥ずかしかった。
余裕がないという心理を、俺は人生で初めて自覚した。
少しずつ認識が及んで行ったのは、実は山崎先輩だけが特別に強いわけではない、ということだ。
魔法技専の上級生はあそこまでではなくても、誰もが相応の使い手なのだ。何年でも、一流の教官の指導を受け、最先端の魔法技術を身につけ、ただただ戦うことに全てを注ぎ込んでいる。
そうして生まれる行使者候補生とは、魔法回路をその身に宿し、戦闘技術を骨の髄まで叩き込まれ、魔法さえも極めた、まさしく一騎当千となる使い手たちである。
女子生徒が二年間で男子生徒に追いつくことが求められるように、模擬戦の場では何年生であろうと勝つことが求められる。
どんな場面でも、どんな要素でも、言い訳なんてできないのが魔法技専であり、勝負の世界だ。
総合格闘技の授業で、俺は稽古の相手を打ちのめしたものの、何かが満たされるわけでもなかった。
相手に馬乗りになって殴りつけても、自分が強いとか、有利とも思えなかった。
相手は両手で顔面を守り、そこを俺はさらに拳をぶつけていった。
途中で教官が止めるまでそれを続けても、勝利したという実感はない。
授業が始まって数回は同級生が相手で、そのうち二年生が俺の相手をするようになった。
それも打ちのめすと、教官が直々に俺の相手をした。さすがに教官を倒すことはできない。どれだけ拳をぶつけても防がれ、腕を取られて投げられるか、絞め技に持って行かれる。そうなれば相手の腕をタップして見せるしかない。
俺はやはり弱い。まったく弱い。
「八角くん、もっと冷静になりなさい」
俺の心の内を知ってか知らずか、教官は笑いながら余裕たっぷりに言う。
「攻撃が雑で、力任せすぎる。相手が相手ならそれでいいかもしれないけど、今は通用してもそのうちに壁にぶつかるよ。今から正しい道を選んだほうがいい」
正しい道。
戦いの経過や結果に正しいも間違いもないのではないか。
勝てばいい、と思うのは傲慢だろうか。
教官の言うことはわからないわけではない。
初心者に毛が生えたような戦い方では、技術を身につけた相手には勝てなくなるということだ。
言ってみれば、もっと理詰めで、狡猾に戦えということか。
俺の胸の中で渦巻いている不快な感覚、落ち着かなくさせる感覚が、教官の言葉を一緒になって渦を巻いて、俺はますます深いところへ沈み込んでいく。
山崎先輩は俺を力で負かしたわけじゃない。
洗練された技術によって、俺を負かした。
もしかしたら俺はその芸術的なまでの技術を、力で強引に破ってやろうとムキになっているのかもしれないと、深く沈んだその闇の中でぼんやりと思った。
力では勝てない。
技術では、勝てるだろうか。
技術は一朝一夕で身につくものではないし、指導者の存在も不可欠だ。
俺は自分を何度も投げ飛ばし、首を絞めたり、腕や足の関節を極めてくる教官のことを、授業の回数が十回になろうかという時になって、やっと注目し始めた。その時には一緒に授業を受ける大概の二年生も一年生も、俺を嫌厭し始めていた。恐れられた、と言ってもいいか。
そんな生徒たちとは違い、手加減抜きの教官は俺のスパーリングの相手がいないせいか、かなりの時間を一緒にいてくれた。
まさしく手取り足取り、細かなことを指導してくれる。
言葉でのやりとりこそ少なかったけれど、教官も俺が基本的な格闘技術を全部すっ飛ばして、喧嘩のような殴り合いのロジックで動いていると察したらしかった。
基礎の基礎である相手との間合いの取り方から始まり、防御のテクニックや、相手の攻撃を見切るコツが、理屈と実際の攻防で俺に伝えられた。
同じ一年生の一部は俺のことを素人と陰で嘲笑っていたようだが、教官はそんなことは一度も言わない。
むしろ教官の方でも、俺を指導するのを面白がっているような感じさえあった。
「こんな初心者が魔法技専に入れるあたりに、面白い可能性があるね」
ある日の授業の最後に、息切れして動けずにいる俺に教官はそんなことを言った。教官はちょっと汗ばむくらいで、平然としていた。
初心者という表現は素人と言いたいところをマイルドに言い換えた、といったところだろうなと考えながら、俺は息を整えるのに必死だった。
俺は早朝と放課後にランニングすることも決めた。
体力には自信があったが、何もかもが魔法技専では通用しないような気がしたからだ。
普段から念入りなストレッチをする習慣は作っていたから、朝はかなり早い時間に起きることになる。でもそれは苦ではなかった。自分の中のモヤモヤを晴らすためなら、何でもやるつもりだったから。
食事も工夫したけれど、これはすぐには結果は出そうになかった。授業の中で栄養学に関する講義があり、テキストも参照して食事を選ぶようになった。
そうしてみると、魔法技専の学食のメニューの幅広さはうまく栄養素を調整できるようにできていると気づけた。
飽きないように、適切なバランスで食事ができるのは正直、ありがたい。寮には共用のキッチンがあるとはいえ、さすがに料理まで自分でやるのでは時間が足りなくなる。
いずれにせよ、俺の意識は山崎先輩との実習室でのあの一瞬の交錯でまるでドミノの最初の一枚が倒れるように、変わりだしたのだった。
怒りのようなもの、不満のようなものが常に付きまとい、一方でストイックに、貪欲になった。
余裕を失い、逆によく考えるようになった。
それがいいのか悪いのかは、俺には判断がつかない。それこそ結果が出てから、修正するのなら修正し、続けるのなら続けることになる。
時間は無情に流れていく。五月も下旬に差し掛かり、第一期の模擬戦がある六月が近づいていた。
まだ俺と満月と組む探求者は見つかっていない。満月が俺に刻む魔法回路を模索しているが、設計は専門ではないから、と彼女は彼女でいつも難しい顔をしていた。
何が起こっても、六月下旬には最初の実戦がある。
時間が足りない。
何もかもが足りない。
それでもその時は近づいている。
(続く)




