20 問い
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山崎先輩が視線を幸坂先輩に向けた。かなり強い視線だった。サングラスがなければ怯むような。
「あなたの知り合い?」
いいや、と幸坂先輩が普段より引き締まった顔つきになっている。
「もしかしたら、きみの知り合いかもしれない」
即座に幸坂先輩が指摘したけど、山崎先輩は鼻で笑った。
「私の知り合いはここに訪ねてこない。そういう知り合いしか私にはいない」
確かめるとしよう、と幸坂先輩が席を立ち、扉のロックを外した。
ゆっくりと、かすかに軋みながらドアが開く。
通路に立っている生徒の顔を見て、山崎先輩がプイとそっぽを向いた。
そこにいるのは、俺の知っている相手だった。それに、山崎先輩も、幸坂先輩も知っている。
「満月?」
俺の声に、俯かせていた顔を上げた満月がこちらを見る。ちょうど幸坂先輩がこちらを振り返っていたので、俺と満月の視線が直接にぶつかった。幸坂先輩はといえば山崎先輩の方に笑みを見せてから、どうぞ、と満月を招き入れていた。
満月は躊躇いがちに歩を進めて、第十六グループの実習室に入ってきたが不安を隠しきれていない。
そんな満月の気持ちをほぐすためか、幸坂先輩は普段通りの柔らかい口調で山崎先輩に声をかける。
「ほら、潤、彼女のために場所を空けて。だらしない姿勢もやめて」
山崎先輩は、まったく反応しなかった。ソファに寝そべったまま、ハンバーガーを口に運んでいる。幸坂先輩のことも、満月のことも完全に無視である。
しかしそれも幸坂先輩には通じなかった。
「僕の知り合いだけど、きみの知り合いでもあったね、潤」
「……私は知らないわ」
そんなやり取りに、何故か満月は身を縮めるようにした。怯えているようにも見えた。何がそんなに強いのか、俺にはわからない。山崎先輩の態度はかなり強気というか、強圧的だけど、まさか暴力を振るわれるわけでもないのに。
「ほら、潤、場所を」
幸坂先輩がさらに促すのに、うるさいなぁ、と言いながらも山崎先輩は場所を譲り、満月が座る場所を用意した。山崎先輩の横に満月は緩慢な動作で腰を下ろした。しかしそれでも二人の間には微妙なスペースがあった。
「石森さんは何か飲むかな」
そう幸坂先輩に声をかけられても、満月はすぐには何も言わなかった。山崎先輩が露骨な舌打ちをして、大口を開けてハンバーガーにかじりつく。いったいこの人は、いくつ食べるつもりだろう?
「満月も第十六グループの志望か?」
助け舟を出すつもりで俺がそう質問すると、斜め前方から顔面にハンバーガーの包み紙を丸めたものが飛んできた。至近距離なので避けることもはね除けることもできず、額に衝突する。意外に痛い。
「何するんですか」
山崎先輩が強烈な視線をサングラス越しに突き刺してくる。
「勝手に話を進めないで。私は反対よ」
落ち着いて、落ち着いて、となだめるように言いながら幸坂先輩が席を立ち、電気ポッドへ向かう。山崎先輩はまだムッとした顔のままでハンバーガーをどんどん齧り取っていく。人の食事の風景というより、紙がシュレッダーに飲み込まれていく光景を想起させる。
「コーヒーでいいかな?」
なんとか空気を平穏に保っているような幸坂先輩の確認にかぶせるように「あの!」と満月が声を上げた。ひっくり返ったような、素っ頓狂な声ではあったが。
それに幸坂先輩が流し台のそばに立ったまま視線を向け、山崎先輩はサングラスの奥で目を細めたように見えた。しかし山崎先輩はハンバーガーを食べるのは止めなかった。
短い沈黙の中で、満月は二人の先輩を交互に見た。
「事故について、知りたいんです」
満月の言葉に対する答えは、ない。
しかし、事故? 事故ってなんだ? まさか俺の交通事故ではあるまい。
黙っているべきだと空気でわかったので、俺は口をつぐんで様子を見ることに決めた。
どうやら、事故とやらに二人の先輩は何か思い当たる節があるようでもあった。
短い満月の問いかけに対して、幸坂先輩も山崎先輩も答えようとしたのは、側から見ていてわかる。しかし二人ともが示し合わせたように、即答しなかった。ただ二人の視線はまっすぐに満月に向いていた。
山崎先輩は不愉快そうで、幸坂先輩の目は、俺の位置からはよく見えなかった。
その二人に、先ほどまではどこか萎縮していた様子だった満月が、急に強い口調で言った。緊張の糸が切れて、逆に制限を失ったようにも見えた。
「あの事故は、意図的に起こされたんですか?」
今度はすぐに山崎先輩が反応した。ハンバーガーを音がするほど一気に飲み込み、隣に座る新入生に向き直ってまっすぐに見たのだ。
そしてはっきりとした、聞き間違えようのない声で言った。
「あなた、それ、本気で言っている?」
俺が初めて聞く静かな口調だったが、それが逆に真剣さを示していたし、どこか切実でもあった。
満月が小さくアッと声を漏らし、わずかにのけ反った。
向かいに座る俺でも、山崎先輩の心にある何かを感じ取れた。
それが何かはわからないとしても、短い問いかけは、山崎先輩の心の内と直線で結ばれていたのだ。
山崎先輩から目には見えない、しかし確かに存在する何かが放射されていた。
でもきっと、それは山崎先輩にとって意図しないものだっただろう。
次の瞬間には、正体不明の感情のようなものは消え去った。入れ替わるように、普段通りの強気で、豪胆な山崎先輩が戻ってきていた。
そして堂々と、山崎先輩が言葉を口にする。その音はやはり静かなのに、先ほどまでとは別人の声のようで。
一方で、静かでも正反対の、大音声のように空気を激しく震わせるような調子だった。
「私が意図的にやったと、そう言いたいの?」
沈黙が、やってきた。
その沈黙の中で、い、いえ……、と満月が聞こえるか聞こえないかの小さな声で、明確に言い淀んだ。
そこで不意ににっこりと山崎先輩が笑みを見せた。少なくとも唇は笑みを浮かべていた。
「なら、答えは出たわね。唯一の答えが」
上目遣いで隣に座る山崎先輩を満月が見る。すぐに目元は伏せられるが、もう一度、持ち上がり、また伏せられた。
山崎先輩はこの時、いつも俺に見せるような苛立ちや、そっぽを向くような態度を見せなかった。
正面から満月を見たのだ。満月の視線を、山崎先輩は正面から繰り返し受け止め、しっかりと返した。
ついに俯いたままになったけれど、でも、と絞り出すように満月が言葉にした。
「周りの人は、山崎先輩のことを、その……」
「酷い人間だと見ているでしょうね」
先ほどまでとは違い、突き放すような言葉なのに、山崎先輩の口調には何故か晴れやかなものが含まれているのが俺には聞き取れた。勘違いだろうか、いや、そんなはずはない。
何が、山崎先輩を満足させたのか。
自分で自分を酷い人間だと言ったはずなのに。
それが望んだ結果であるかのようだった。
それにしても、二人は何の話をしているんだろう。事故というのも分からなければ、山崎先輩が自分のことを酷い人間という理由も俺には分からない。まだ短い付き合いだけれど、山崎先輩は気性が荒いし乱暴な言葉を使ったりもするけど、酷い人間と表現するのは違う気もした。
俺が知らないことを、満月は知っているということになる。
俺の知らないことを知っているから、怯えているのか。
さすがに我慢できず、割って入ろうとした。俺も知っておくべきことがあるように思えたからだ。
ただ一歩遅かった。
「帰ります」
いきなり言うなり、満月がすっくと立ち上がった。山崎先輩が、どうぞ、とは言わずに、ただ無言のまま身振りだけで通路に通じるドアを示す。
満月は小さく一礼すると、そちらへ早足に歩いて行った。この部屋のドアは厳重なロックが施されているが、よくできたもので部屋の内側からノブを捻ると全部が一斉に外れるようになっている。
少しの躊躇いもなくドアを開け、もう満月は振り返ることなく実習室を出て行った。幸坂先輩は立ったままそれを見送り、山崎先輩もソファから動かなかった。俺ももちろん、動かなかった。いや、動けなかった。
ゆっくりとドアが閉まり、自動でロックされる音が重なって響く。
室内は急に静かになった。
居心地の悪いものを感じたが、それは山崎先輩にサングラスの奥から睨まれたり、舌打ちされるものとは少し違う。幸坂先輩は先ほどから立ったままで、山崎先輩はどこか疲れたようにソファにもたれかかっていた。
俺に何ができるか、さっぱり分からない。
でも、黙っているわけにもいかない。黙っていたら、もっと悪い空気になりそうだ。
「あのぉ」
とりあえず言葉にするが、先が続かない。幸坂先輩は両手にマグカップを持って立ったままうつむき、山崎先輩も俺を見ようとしない。
「事故って、なんですか?」
口走ってから、しまった、と思ったけれど想像した反応はなかった。
山崎先輩は答えないどころか反応もしなかったし、幸坂先輩は無言で床を見ている。
まるで俺の質問が聞こえなかったようだ。助かった、としておこう。
「じゃ、聞かないでおきます」
即座にそう言葉を続けると、山崎先輩が小さく吹き出し、笑い出した。それに合わせて幸坂先輩も動きを取り戻し、マグカップを流しに置くと、こちらに笑みを見せた。普段より力ない笑みに見えたけど、少しは普段通りに戻ったようだ。
「まったく」山崎先輩が言葉にする。「新入生のわりに、聞き分けがいいこと」
これが普通です、と答えながら内心、どうしたらいいのか、俺は迷っていた。
聞かないでおく、とは言ったものの、知らないでおく、というわけにいくだろうか。
自分が知らないことがあるというのが、やや負担に思えた。かといって、その負担を減らすために知ってしまうことも何か怖く感じた。秘密の正体を知らないのに恐怖を感じるというのもおかしいが。
俺が恐れているのは、秘密そのものではなく、秘密を知るということ、ということか。
「幸坂先輩」
声をかけると、うん? と幸坂先輩が少し首を傾げた。
「そのコーヒー、もらえますか? 捨てるのはもったいないですし」
いいよ、と一度置いたマグカップを取り直して、こちらに幸坂先輩がやってくる。その様子はすでに全くの普段通りに戻っていた。山崎先輩はまた新しいハンバーガーに手を伸ばしていた。
満月と話をしてみる、か。
いや、それも今はまだ、早いのか。
第十六グループ、二人の先輩に何があったのだろう。
満月は知っていて、俺は知らない。
そして満月と俺では、第十六グループへの認識が違いすぎる。
このズレは、許されるものだろうか。
いずれ知ること、なのだろうか。
知っても、俺はここに来ることがあるだろうか。
(続く)




