19 怒りの矛先
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そんなこともありながら、俺はやっとギプスを外してもらい、四日目にして第十六グループの実習室の畳で、筋トレをしているのだった。
それくらいは許される関係はできているのがありがたい。何せ、この学校での俺の知り合いはまだ全然いないも同然だ。
「そんな訓練をいつもしているわけ?」
ハンバーガーをむしゃむしゃと食べながら、山崎先輩が声をかけてきた。ちょっとした気まぐれだろうし、俺にさほどの興味はないだろう。
それでも俺はゆっくりと体を倒し、右腕を使わないように注意しながら両足を畳に下ろした。靴と一緒に靴下を脱いでいるので、足裏の感触で畳がちょっと埃っぽいのがわかる。
まずは畳の上に座り込んで、山崎先輩に答える。
「今までもたまにはやりましたけど、やっぱり変ですか?」
「いいや、別に変でもないけど。行使者候補生でやる奴はやるかもとも思う」
なんだ、珍しくもないのか。
「先輩の目から見て俺に合っていない、ということですか?」
「合っていないのは体型とトレーニング内容かな。あなた、もしかしてすごく着痩せするタイプ?」
思わず苦笑いしてしまう。よく言われる内容だからだ。俺の笑いに気付いたようで、山崎先輩が視線を鋭くさせる。怒らせてしまった、と反省しつつ、ちょっと背筋を伸ばす。この人は常にサングラスをかけているけど、見えない目元が見える気がするほど感情が解りやすい。
「私、何かおかしいこと、言った?」
凄むような問いかけに、俺は首を小さく振った。
「いいえ。ただ、同じことで中学生の時に同級生に笑われました」
「あなたの体が見た目とまるで違うから?」
「そうだと思いますけど」
答えながら思い出した同級生の顔には、変に懐かしさがある。また会うことはあるのだろうか。故郷にはそばに高校がないせいで、中学を卒業した後は、みんなあの山奥を離れることになる。それでももしかしたら長期休暇には会えるかもしれない。
俺の中の感慨など知るわけもなく、山崎先輩はまだ不機嫌そのものだ。
ただ、不意に口元に笑みが浮かんだ。
「私が脱げと言ったら、脱ぐ?」
珍しく山崎先輩が冗談を口にしている。初めてかもしれない。
俺も悪乗りして即座に制服のシャツのボタンを外してみせるが、二つ外したところで、いらん、というように山崎先輩が手を振ったのでそれくらいにしておく。
「しかしなんで、あんたみたいな奴を、葉太の奴は放り出さないのかしら」
嘆かわしげに山崎先輩が呟いた。
今、実習室に幸坂先輩はいなかった。ちょっと買い物に行ってくると言って、俺の肩の様子を見てから出て行ってしまったのだ。当人がいないから、山崎先輩も言いたい放題だ。
「ちょっと上背があるくらいで、これといって特別な新入生にも見えないけど。まさか葉太に限って同情でグループに招き入れるなんてことはしないと思うけど、そのまさかが起こったのかしらねぇ。葉太の目も曇ったか。あるいはあの年で耄碌したか」
「目は曇っていないし、耄碌もしていないと思いますけど……」
「じゃあ、気が違ったか、遠回りな自殺でもしようとしているのか」
さすがに言い過ぎだろうと思ったけど、こういう時にはどう反応すればいいのやら。
「いつも何か食べてますけど」俺はちょっと強引に話題を変える試みに走ってみた。「よく太りませんね」
馬鹿言っちゃいけませんよ、と変な調子で山崎先輩が応じた。
「私が太ろうと思ったら、魔法技専の中央食堂は昼過ぎには何も提供できなくなるんじゃないかしらね。試してみたことはないけど」
「そうなったら、大勢の生徒に恨まれますよ」
すでに恨まれているようなものよ、と返事をしながらもハンバーガーを一つ食べ終わり、次の一つに手を伸ばしている。手元が高速で動いてあっという間に包み紙を剥がして、ポンと丸められた包み紙が宙に飛んだかと思うとゴミ箱に吸い込まれていった。
この調子で話題の方向性を維持しようと、俺は質問を継続した。
「話がずれてますよ。太ろうとしていないなら、単純に腹が減るってことですか? ここで食べるのが唯一の食事じゃないですよね?」
しつこいなぁ、とハンバーガーにかじりつきながら山崎先輩は応じる。どうやら話題に乗ってくれたようだ。
「行使者候補生はいろんな魔力回路を体に刻むからね、それはそれは十人十色の反動があるものなの。目が良くなったり、感覚が鋭敏になるとかも、場合によっては反動の一つでもある。そもそも、魔力回路は反動を制御する技術と捉える向きもある」
「反動ですか? それって、幸坂先輩が俺に言っていた、副作用のようなものですか? 魔力が枯渇してしまうというような?」
「副作用って、あんたがしばらく動けなくなるようになるかもしれなかったとか、あれのことを言ってる? ああいうのは私が言っている反動とは少し違う。日常や普通の活動に影響するような反動が起こる魔力回路を行使者候補生に刻む管理者候補生は普通じゃないし、そんな魔力回路を設計する探求者候補生は能無しかな」
むぅ、と思わず唸ってしまった。
どうも、山崎先輩は幸坂先輩に不満があるようだ。俺と関わることとは別に、俺に刻んだ魔力回路にも不満があるのか。
まだ魔法技専らしい授業が始まっていないので、俺は魔力回路や魔力波動に関しては特別に詳しいわけではない。入学試験でもそこはテストされないものだ。
そもそも魔法に関する技術、それも最先端の技術は厳密に管理され、民間で簡単に出回るものではない。
それでも魔法に関する一般的な知識は持っているつもりだった。
しかし魔法に関する現場では、想像以上に繊細な要素があるらしい。
魔法を使うと一口に言っても、行使者が自身の魔力波動を放射する、というような単純なものだけではないということなのだ。
「それで、先輩は反動で腹が減るってことですか?」
だね、とハンバーガーを飲み込みながら言う。あっという間に手元のハンバーガーが小さくなる。吸い込んでいるみたいだ。
「ざっくりと説明すると、代謝がいいし、カロリーの消費が普通じゃないのよ。朝昼晩をきっちり食べるけど、それでも足りない。お昼ご飯の前にも何かを食べるし、夕飯の前にも何か食べて、ついでに寝る前にも何かを食べる。それが私の日常」
「何というか、食費が大変そうですね。それでも魔法技専の物価なら余裕ですか」
食費としては世間一般的な額かな、と答えながら山崎先輩はまた一つ、ハンバーガーを完食していた。ローテーブルにはまだまだ大量にハンバーガーが積まれている。
俺も魔法技専で生活していて実感し始めたことの一つとして、魔法技専は全ての物価が低く抑えられていることが挙げられる。
食堂で出される料理もそうだし、ラウンジで提供される飲み物や軽食もかなり安価だ。それは敷地に点在するものすごいバリエーションのある全ての店にも言えて、いつか俺の立場を勘違いした先輩に誘われていった喫茶店もかなり安い支払いで済んだ。ミルクティーが一〇〇円もしないのだから価格破壊と言ってもいい。当然、寮の地下にあるコンビニもかなり低い価格で提供される。ちなみに寮の地下二階にはコインランドリーがあるが、それは無料みたいな値段設定だ。
もう少し質問を向けようかと思った時、ドアのロックが外れる音が聞こえて幸坂先輩が戻ってきた。部屋に入ってきた先輩は手に紙袋を持っている。食事を買ってきたわけではないらしく、平たく薄い紙袋だった。
「ハチくん、そんなところに座っていないでソファに行きなよ。潤、彼にもポテトくらいあげたら?」
穏やかに言った幸坂先輩は紙袋を製図台のそばへ置くと、電気ポットのある流し台の方へ移動していく。露骨に舌打ちした山崎先輩が、幸坂先輩が背中を向けている間にこちらへフライドポテトを一本だけ、投げつけてきた。
どういう技能か、一直線に顔面に飛んできたそれを反射的に受け止めるけれど、勢い余って手の中で握り潰してしまった。
振り返った幸坂先輩は、俺が手を拭っているのを不思議そうに見ている。
「ほら、コーヒーでも飲みな」
俺の分のコーヒーも用意してもらえたので立ち上がり、素足のままソファに歩み寄る。一応、床はそれなりに綺麗そうだと足裏でわかった。稼働しているところは見たことがないが、部屋の隅には掃除ロボットがあることにはある。
それにしても、ソファに近づくというのは山崎先輩に近づくということで、どことなくどこかに繋がれている猛犬に近づくような感じがする。
俺が恐る恐る歩を進めるのとは違ってすでにソファに幸坂先輩が座っていて、身振りで隣を示してくれる。俺がそこに腰を落ち着けると、寝そべったまま不自然な動作で山崎先輩がポテトを押し出してくる。
どうも、と礼を言って一本を摘んだ。まぁ、普通のフライドポテトである。
「それで、ハチくんは組む相手は見つかった?」
マグカップ片手の自然な幸坂先輩の問いかけに、急に山崎先輩が勢いよく起き上がった。そして本当に猛犬が吠え掛かるように、幸坂先輩に食ってかかった。
「葉太、私がわざわざ指摘してあげますけど、第十六グループに入るとなれば、彼と組む管理者候補生も、探求者候補生もいない、ということになるのが自然ですけど、違うのかしら? 私の勘違い? どうもそうとは思えないけど?」
「まぁ、その通りだけどね。潤の見立ては正しいよ」
「それじゃあ、あなたが彼の管理者候補生にはならないわよね? それは正しい見立て?」
うん、と葉太は即座に頷いた。
「それはありえない。僕は彼の管理者候補生にはならない」
はっきりと否定されて、俺は自分のことが話題になっているのに笑ってしまった。目の前で山崎先輩も口元で笑っているが、俺が笑うしかなくて笑ったのに対して、山崎先輩のそれは嘲りに近い。
「ハチ、あなたの学校生活がかかっているのよ。本気で考えなさい」
「ええ、はい……、わかりました……。でも、幸坂先輩があまりに明言するから、可笑しくて……」
「笑っている場合じゃないわ。自分のことなのよ」
いつの間にか幸坂先輩にではなく俺に怒っているらしい山崎先輩が、プリプリした動作でハンバーガーの最後のひとかけを口に押し込み、次に手を伸ばしている。
どうも山崎先輩は本気で怒っているようだとその動作でわかる。
その怒りは俺の将来を心配していることの裏返しにも思えた。
いつも通りに穏やかにコーヒーをすすってから幸坂先輩が何か言おうとしたけど、山崎先輩がさっと身振りでそれを止めた。山崎先輩の口から言葉が出なかったのは、口がハンバーガーを咀嚼している最中のせいだろう。
二人が変に沈黙し、幸坂先輩がマグカップの中身を飲み干し、山崎先輩が口の中のものを飲みこんだところでやっと両者が言葉を再開させようとした、その時。
ドアが軽くノックされた。
(続く)




