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18 診察

      ●



 放課後、俺は第十六グループの実習室にいた。

 空間の半分に敷かれた畳の上で、制服姿のまま左腕一本で倒立して、さらに片腕で倒立した姿勢のままで腕を曲げ伸ばしする。古い漫画にありそうな光景だろう。しかし、実際にやっている光景を見た感想は、笑ってしまうか、気持ち悪いかのどちらかのはずだ。

 そんな俺をソファにだらしなく寝そべった山崎先輩がハンバーガーを片手に、サングラス越しに眺めていた。先輩は特に俺を笑いも気持ち悪がってもいないようだけれど、少なくとも愉快そうではなかった。

 ローテーブルの上にはさらに各種ハンバーガーが小さな山を作っており、それに山ほどのポテトが付属している。飲み物として二リットルのミネラルウォーターのペットボトルが置かれているのは、違和感というよりはちょっと気味が悪い。

 カロリーを気にしているようではあるが、普通、お茶とかの方が味の濃さや脂っこさを緩和できるのではないか。

 ともかく、俺は左腕しか使えない状況なので、とにかく左腕をいじめていたのだった。

 しかしすでに左肩のギプスは外されている。

 俺が第十六グループの実習室に来るのは、実は今回が四度目だった。

 一回目は嫌な顔をされ、二回目も嫌な顔をされた。三回目には舌打ちされ、今回は冷たい視線を向けられている。サングラスをかけていてもわかる視線だ。

 山崎先輩は俺をこの部屋に近づけたくなかったようだけど、もう一人の第十六グループの生徒である幸坂先輩は少し違っていた。

 そもそも俺が二回目に第十六グループの実習室へ来たのも、幸坂先輩に用事があったからだ。もしそれがなければ、俺はこの部屋に戻ってくることはなかっただろう。

 用事というのは他でもなく、俺の右肩の具合を幸坂先輩に見せる必要が生じたからだった。

 俺が勝手に決めたのではなく、魔法技専で働く医者、どうやら医官というのが正式名称らしいけど、その学校の医者が「魔力回路を刻んだ幸坂葉太くんの意見を聞くといい」と助言したのだ。

 最初、からかわれているのかと思ったし、あんたは医者じゃないのか、とも思ったけれど、魔法技専の医者だけあって、他とは一風変わっていた。

 その医者は平然と次のようなことを言った。

「この学校では医者なんてあまり求められないし、出番も少ないよ。管理者候補生の方が最新の魔法医療に精通しているぐらいでね。きみの左腕に刻まれた魔力回路もそう。実際に魔力回路をデザインしたわけではない僕が、きみの腕の魔力回路を細部まで理解できるわけではないし」

 そんな無責任な、とも思ったけど、医者は堂々としていたし、開き直っているようなことを言っているのに開き直っている態度にも見えなかった。

 というわけで、俺の左腕に魔力回路を刻んだ当人、幸坂先輩に怪我の所見に関して意見を聞く必要ができたのだった。医者はそのために俺の右肩の負傷に関する検査結果を全てまとめて渡してくれた。

 かなり気後れしたものの第十六グループの実習室を訪れると、意外にすんなりと幸坂先輩が出てきた。インターフォンは死んでいたのでドアをノックすることになった俺を見て、先輩はちょっと驚いたようだったけど、正直に話すと先輩は俺を室内に入れてくれたのである。

 その時も先に山崎先輩がいて、ソファに座ってお菓子か何かを食べていた。山崎先輩は俺を見て露骨に不快そうな顔つきになったけれど、彼女が何か言う前に幸坂先輩が「肩の様子を見るだけだよ」と言って何も言わせなかった。

 俺は幸坂先輩に肩の具合を確認してもらえたことに安堵した。さすがに変な後遺症が残ったりすると俺としても困る。医者が自分より幸坂先輩の方が頼りになると言っているのだから、幸坂先輩に無下にされると俺は困る。

 先輩は少し右肩の様子を見ただけで「悪くないと思うよ」と、より一層眉尻を下げる微笑みを浮かべて言った。

「これならあと三日程度でギプスは外せる。軽いものはすぐに持ってもいいかな。ただ、極端な負荷はまだやめたほうがいい。三日後にギプスを外して、そうだな、十日くらいで普通に戻そう。事故から全治一ヶ月というのは、僕の予定とほぼ合致している。ギプスが外れるのが予定より遅いけど、治り具合は想定内だ」

「そうなんですか?」

 思わず問いかける俺に、幸坂先輩は、そうだよ、となんでもないように答える。予定というのはいつ立てたのだろう、と俺は不思議だった。事故直後の俺の応急処置をした時にはすでにわかっていたのだろうか。それとももっと後か。

 行使者の肉体を管理する関係上、人体の構造や仕組み、現代的な一般医療から薬学、先進的な魔法を応用した生体工学にまで精通する管理者候補生は、医者の職域をフォローするとはいえ、一般的な医者のイメージとはかけ離れているようだ。

 学校の医者が管理者候補生を頼りにするのも、わかろうというものか。

 明日は予定があるから、明後日にまた来なよ、と幸坂先輩が言い出した時、さすがに山崎先輩が横から口を挟んだ。かなり強めの口調で、否定をそのまま声にした感じだった。

「葉太、もう面倒を見る必要もないでしょう? 医者に診察結果を伝えればそれでいいじゃない」

 棘があるどころか、棘そのものの意見だったけれど、でもね、と怯んだ様子もなく幸坂先輩が応じた。

「ハチくんを治療したのは僕と言ってもいいからね、僕が最後まで面倒を見るのが筋だ」

「治療って、ちょっとした応急処置でしょ。それも葉太の技術からしたら、たいして複雑でもない処置じゃない。それに最後っていつのことを言っているの?」

「潤、あまり問い詰めないように。きみは僕に無責任なことをしろって、そう言いたいの?」

 笑顔のまま反論する幸坂先輩の言葉に、山崎先輩がサングラスの奥から鋭い視線をぶつけるのが端から見ていてもわかった。

「葉太、今のは卑怯な言い方じゃないかしらね。私があなたを無責任な人間だと思ったことはないし、責任のある態度をとり続けると信じている」

「なら、その信用を裏切るようなことを僕にさせないでくれ。ね?」

 山崎先輩は口を閉ざして、じっと幸坂先輩を凝視した。その圧力を前にしても、幸坂先輩は穏やかな笑みを崩さなかった。

 しばらく二人は黙っていたが、結局、「勝手なこと」と小さく山崎先輩が口にしたのが、決着の場面だった。

 山崎先輩は乱暴に手掴みにしていたお菓子にかじりついて、口に詰め込むと大げさに顎を動かした。やっと何を食べているか俺にはわかった。どうもパウンドケーキのようだった。ただ、かなり分厚く切られている上に、ローテーブルの上にはまだ丸々一本分くらいが皿の上に鎮座している。

 あまりに大きいし、一人で食べる分量でもないので、本当にパウンドケーキか怪しい気もしてきた俺だった。

 いずれにせよ、こうして俺はその二日後にまた実習室を訪ねることになった。もっとも、この三回目の時にも山崎先輩の態度は以前と大差なかった。俺をなんとか幸坂先輩から遠ざけようとしているようでもあり、山崎先輩自身が俺を遠ざけたいようでもある。

 サングラスの奥の瞳から突き刺さってくる視線から先輩の思いを推察するに、幸坂先輩は俺を放り出す気がないようだから、俺の方から幸坂先輩に遠慮しろ、という迫っているようにも想像できた。

 その想像に従うこともできたけれど俺はちょっと我を通すつもりで、山崎先輩の、まさに目は口ほどに物を言うという、その目を意識的に無視した。

 幸坂先輩はそんな山崎先輩の態度や、言葉にしない主張に気づいているのか、知らん顔をしていたのか、山崎先輩を放っておいて俺の肩の様子を確認してくれた。そうすると無言の山崎先輩はいよいよ不機嫌の度を増していったが、幸坂先輩はどこまでも気にしない態度だった。

 そしていつもの笑顔で俺に言うのである。普段通り、落ち着いた態度で。

「オーケー、明日でギプスは最後だよ。明日の放課後にここへきて、最後の確認をするとしよう。あとは前に言った通り、十日くらいは辛抱。魔力回路による治癒力の底上げは色々と都合が良いけど、状態が時間をかけて直すのとは少し変わってくるんだ。早く治癒しても、必ず反動がある。それでも十日も大事にすれば、心配はいらないというのが僕の見立てだ」

 俺は丁寧に頭を下げて、礼を言った。

「ありがとうございます。助かりました」

「こちらこそ、ちょっと無理な魔力回路を使った気もして、実は不安だったんだ。失敗しなくて良かったよ」

 前も似たようなことを聞いた気がする。魔力回路のせいで体の魔力が枯渇するかもしれなかった、というような内容じゃなかったか。

 ちょうどいい機会と判断して、俺は思い切って質問してみた。

「先輩は、どうやって俺に刻む魔力回路を決めたんですか?」

 確認のための問いかけに、え? と幸坂先輩は少し固まってしまったので、反射的に俺もぽかんとしてしまった。おかしな問いかけだっただろうか。俺はまだ知識不足だから、何が幸坂先輩を困惑させたか、わからない。

 少しすると、笑い混じりに逆に問いが向けられた。

「僕が魔力回路の構造をいくつも覚えていて、いきなり遭遇した見ず知らずのきみの様子に即して、すぐに都合のいい魔力回路を腕に刻んだ。それはあり得ることかな?」

「えっと、でも、俺の腕に魔力回路を刻んだのは実際にあったことですよね。たくさんの種類を覚えているはずですけど違うんですか? 傷を治癒させるような魔力回路ってたくさんあるんですか? それとも、俺の腕の魔力回路って基礎的なものですか?」

「まぁ、魔力回路のいくつかは暗記しているかな」

 へぇ、と俺は思わず声を漏らしてしまった。それは凄いことではないのか。俺の腕に刻まれている文様は、決して簡単なものではない。

 今も俺の左腕に残っている魔力回路の見た目は複雑だし、手首のあたりから肘のあたりまでの広い範囲に刻まれている。

 それを幸坂先輩はフリーハンドで描いたのだというから、記憶の正確さも凄ければ、手先の器用さや技術も凄い。

「でもねぇ」

 困ったような顔に変わり、幸坂先輩は平然と付け加えた。

「知り合いに頼んでラットを貰って、それでちょっと実験した魔力回路を応用したから、あまり大声では言えないけど、きみに魔力回路を刻んだのは人体実験だったかもね」

 ……驚きも感心も、感謝さえも、ちょっと遠のくような発言だった。

 山崎先輩はソファで会話を聞いていたはずだが、クスリとも笑わず、その時はやっぱりパウンドケーキを無造作にガツガツ食べていた。




(続く)

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