21 割り切り
◆
私はラウンジの隅の方で、ラップトップ型の端末を前にしていた。
ディスプレイに表示されている送信フォームは、所属申請書、となっている。これでどこのグループに所属するか、生徒は学校側に意思を示すのである。
必要事項を記入して送信すると、それが一度、学校側で確認され、次にグループの生徒に確認されることになるようだ。
今日から五日後にまず第一期の模擬戦に合わせての正式の締め切りがあり、その半日後に学校側から志望の可否が通知されるということだった。
大抵の場合は受理されると聞いている。しかし場合によってはグループ側から拒絶されることもあるともいう。
私はフォームのグループの番号を選択する欄をじっと見ていた。
フォームを表示させたまま、最初の状態から少しも触れていないので、まだ未表示だった。
第十六グループの実習室に乗り込んだのは昨日のことだ。
ほとんど勢いで飛び込んだようなものだけど、拒絶されなかったし、ぶつけたい質問をぶつけることもできた。
最大の、最も重大な問いかけだった。
短い時間だったし、たった一つしか聞けなかった。それでも言いたいことを言えたような気もする。ただ、何かが足りない気もした。
昨日の山崎先輩のことを思い出すと、少しだけ鳥肌が立つ。
あれが行使者候補生の気迫か。人間というより、野生の肉食獣を前にしたようだった。しかし、野生の獣でもあれほどの迫力はないかもしれない。
一方で、どこか山崎先輩の人間らしさが見えた気もした。ほんの短い時間だけ、山崎先輩の本音のようなものが覗いたのだ。
それなのに私は、その本音をうまく汲み取れなかったし、今も正体が掴めないでいる。
結局、二年前の事故について山崎先輩は詳しくは話さなかった。あるいは、それが私の何かを物足りなくさせるのかもしれない。もっと言葉を尽くして、詳細に説明してくれれば納得できたようにも思えた。
望みすぎだろうか。
今になると、そんな光景を思い描けない私がいる。
山崎潤という人は、言い訳をするような人ではない。それはわかった。それどころか、他人の理解をさほど求めていないんだろうと思わせる態度だった。他人の評価、もしかしたら存在さえ求めていないのかもしれない。
いやいや、それじゃあ、学校を卒業した後、どうするんだろう。まさかどこかの山奥に移住して、一人きりで生活するわけにもいかないだろうし……。
少し想像を膨らませてみると、山崎先輩がそんな孤独を生きていける理由が心に浮かんできた。
山崎潤という人は、孤独なようで、孤独ではない。
幸坂葉太がいる。
だからじゃないのか。だから山崎先輩は、他人を必要としないのだ。
幸坂先輩一人がいれば、あの人はそれでいいと思っている。
それに二人はきっと、同じ罪を分かち合ってもいるのだ。
そして心から、支え合っている。
第十六グループはだからこそ、周囲から不自然に見えるのかもしれなかった。
二人はまるで家族のようで、しかし共犯者でもあり、最高の理解者でもある。
私に割り込む余地なんて、ない。
そう思う一方で、私は何故か第十六グループのことを貶したり、嘲笑う事は出来なかった。嫌悪することも、否定することもできない。
何故か。
幸坂葉太のことを知っているからだろうか。
八一郎の事故の時、彼は決して手を抜かなかったし、真剣だった。八一郎のために、必死になったのだ。平然としていても、あの時の幸坂先輩はきっと必死だった。模擬戦での事故のことが頭にあったのかもしれないけど、そんな事は関係なく、幸坂先輩は心から八一郎を助けようとしたのが事実だ。
そんな人間が間違っているとは、私には思えない。
そんな人間が選び、手を取る相手も、間違っているとは思えない。
結局、全ての矛盾はそこなんだ、と私は気づいている。
周りの評価と、実際と、私の評価とが、全て食い違ってぶつかりあっている。
この三者が全く落とし所がないほど、衝突している。
ため息を吐いて、私は端末を一度、閉じた。そしてゆっくりとそばに置いてあるカフェラテのカップに手を伸ばす。
「お、いたいた」
近くでの声にそちらを見ると、手を振りながら八一郎が歩いてくるところだった。
声をかけてきたのが私を誘う上級生じゃなくて少し安心する。すでにおおよそのグループとの話は終わっていて、最近では声をかけてくる人がいても一人でいられる時間がそれなりにあった。
もっとも、私に声をかける上級生が減っているのは、すでに勧誘の結果が出たと判断したのでもないようだった。理由は時折、私の方を険しい目つきで見つめる上級生の姿を目撃するからだ。その目元は、明らかに友好的ではなかった。
第二グループとの食事会でしたようなヘマは、私は二度と打たなかった。代わりにできるだけ発言せず、静かに、存在を消すようにしていくつもの話の場をやり過ごした。回を重ねるほどに上手くなっていくのが、自分でもつらかったが、他に方法もなかった。
それでも、私はどうやら、白い目で見られている。もしくはもっと酷い評価を受けつつある。
「席、空いているかな」
八一郎は自然に私の前に来て、確認してきた。どうぞ、と身振りで示すと彼は少しの躊躇いもなく向かいの席に腰を下ろした。私たちのそばにちょうど他に生徒はいない。喧騒も遠く、静かん話すにはちょうど良かった。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
すぐに八一郎の方から切り出してくる。不要な前置きにも思えたけど、八一郎は大きい体をしている割に実に丁寧な人格の持ち主なのだと私ももう知っている。
「何? どんなこと?」
こちらからも手順を踏んでいくと、八一郎は滑らかに話し始めた。
「第十六グループの事故というのが何のことか、知りたい。満月が知っているんだろ?」
そのことか。
私の胸の奥で重く暗いものが蠢いたことに、八一郎が気づくわけもない。
すぐに答えられず、私はテーブルの上を見ていた。そこに何があるわけでもない。じっと考えをまとめる間、八一郎は黙って待っていてくれた。彼は焦っているようではなく、それに意外に辛抱強いのかもしれない。
言葉をまとめて顔を上げると、八一郎が少し前のめりになった。
「二年前の、模擬戦で事故があったんです」
「二年前? それをどうして満月が知っているんだ?」
「たまたま、データベースで試合の記録映像を見たから」
どんなたまたまだよ、とちょっと笑ってから、でもそこに固執するわけではなく彼は話を先へ進める。細かいことはどうでもいいという態度だ。
「で、その試合が山崎先輩の試合ってことか? 事故って、相手はどうなった?」
「詳しくは知らないけど、他の人の様子では、よくなかったみたい」
「死んだのか?」
大胆なことを言う。私が考えたくないことを、八一郎は簡単に検討の対象にできるのは、気性の差だろうか。それとも行使者候補生らしい割り切り方なのか。
「死んではいないと思う、たぶん。それなら山崎先輩も、もしかしたら幸坂先輩も技専にはいられないはずだし」
ふぅん、と実に軽い調子で八一郎が相槌を打つので、そのあっさりした態度に私は少しカッとしてしまった。
「そんな簡単に聞き流せることじゃないと思う。山崎先輩は、一人の行使者候補生の未来を奪ったんだから」
八一郎は腕組みをしていたが、表情はけろっとしている。
「それは山崎先輩の問題じゃないか?」
まったく自然に八一郎がそう答えたので、私はちょっと言葉に詰まった。
「山崎先輩の問題って、それ以外にないででしょう」
ゆっくりと八一郎は首を左右に振る。
「違う違う。事故が起こったのは問題だけど、どう償っていくかは山崎先輩の問題だ、ってこと。まぁ、幸坂先輩も何かを引き受けてはいるだろうけど。ともかく、周りがどうこう言えることじゃない。裁くのは周りにいる第三者がすることじゃない」
今度こそ私は言葉を失ってしまった。
八一郎は第二グループの上級生たちの様子を知らないから、そう言えるのではないか。
第二グループの、山口さんなどはよく知っている相手が事故に巻き込まれている。その事故に対して思うところがあるのは当然だ。
それが間違っていると八一郎はいうのだろうか。
「八角さんは、例えば、もし、もしも私が事故で怪我をしたとして、犯人に怒りを感じないんですか?」
いや、と八一郎は即答した。
「怒りは感じるさ。満月は友達だからな。でも、俺が犯人を裁こうとは思わない。そこは割り切るしかないんじゃないか。犯人が、自分で自分を罰しているのなら、尚更、第三者の俺が勝手なことを言うのは違うだろうな、と思うよ。そういう話だ。伝わったか?」
私は本当に返す言葉を失って、ただ八一郎の目を凝視していた。八一郎はちょっと目を見開いて、視線を返した。
「おかしいかな、俺の言っていることは」
確認するような八一郎の言葉に、私はまた視線をテーブルの上に下げ、じっと何もないそこを見据えて考えた。
考えたけど、何もかもが上滑りして、捉えようがなかった。
八一郎の価値観、八一郎の感覚を私が持つことは難しい。学校の、世間の大勢が同じようなものを持てるとかといえば、やっぱり難しいと思う。
自分の感情を切り離すのは、極端に難しい。ましてや自分が被ったことに対する報復をきっぱりと他人に預けることが、容易にできるだろうか。
私の感覚では、悪感情はコントロールする方法がきっとなくて、どこかで諦めたり、逆にいつまでも忘れられなかったりするものなのだ。
それを八一郎は、変に突き放して、コントロールしているのか。
コントロールできるものなのか。
「ま、そういうことで、教えてくれ助かった。これ以上、聞くことはないよ。時間をもらって悪かったな」
すっくと八一郎が席を立ったので、私は反射的に顔を上げて彼の方を見ていた。二人の視線がぶつかる。
「あの、八角さん……」
「ん?」
八一郎は動きを止めて私を見ていた。なんでもない視線なのに、私は何故か萎縮してしまった。それでも八一郎は黙って私は言葉を発するのを待ってくれた。
「八角さんは、第十六グループに入るんですか?」
そのことか、と八一郎はちょっと困ったような顔で笑った。
「そのつもりだけど、将来は真っ暗闇だな。今年もどうなるかわからなければ、来年からもどうなるやら」
そうですか、と答える私の声は弱々しすぎて、ラウンジの遠くからのささやかな喧騒にもかき消されてしまった。
またな、と手を振ると八一郎は今度こそ離れて行った。彼がラウンジから姿を消すのを確認してから、今度こそ、カフェラテのカップを取り直して、口をつけた。カフェラテはとっくに冷たくなっている。
八一郎に山崎先輩のことを告げた自分が、何か、間違ったことをしたように感じる。
これでは山崎先輩を中傷したのと同じだったかもしれない。
八一郎に事故について話した時、私はどこか、山崎先輩に非があるような立場で話していた。
中立、というのは難しい。
きっと、公平、というのも難しいだろう。
私は改めて端末を開き、申請フォームを見た。
締め切りまで五日だ。
(続く)




