お隣の風邪ひきさん
初級錬金術書を読む限り──異世界においても風邪薬に求められる効果は同じだった。
つまり、咳やのどの痛み、くしゃみや鼻水、そして発熱……。
初級錬金術書で作れる風邪薬は、そうした不快な症状を和らげる効果が期待できる。
後書きで読んだのだが、特別高等錬金術書には『霊薬』にカテゴライズされる極めて特殊な薬があって、そこには風邪の特効薬の作り方が記されているらしい。
確か完璧な風邪薬を開発出来たらノーベル賞という俗説があった気がしたけど、この世界ではそれがしっかり存在する事に驚いた。
しかし霊薬ともなると作るのにすごくお金や手間や時間がかかるだろうし、風邪程度にそこまで労力を費すのは蚊を殺すのに猟銃を使うようなものだ。
つまり、風邪くらいの病気は初級錬金術書で作れるもので充分という事で──。
「えーっと、後は……これにヒメハギの根を混ぜるのか……」
薬の作成は、とても順調だった。
公益的な観点から、風邪薬に用いられる素材は国の補助金によってギルドで無償提供されている。お金のない僕にはとてもありがたい事だった。
その無料の素材とは、咳止めの効果がある苦みのある草の根。
鼻水に効く苦みのある花の茎。
熱さましや体の節々の痛みの緩和に期待できる、苦みのある小さな果実。
他にもオマケ的な要素で、食欲増進効果のあるショウガによく似た苦そうな野菜の乾物、その他いろいろ苦そうなもの。
そんな素材を、乳鉢でゴリゴリとすりつぶしてよくブレンドする。
そのままだとぐちゃぐちゃの訳の分からない物体だが、それを手こぎ遠心分離器にかけて水分を分離し、有効成分を抽出。
後はそれを乾燥させ、粉末状にすれば立派な風邪薬が完成する。
見た目は僕らの世界の漢方薬にとても近かった。
「よーし、できたぁっ!!」
「やっとできたの?」
「いたの!?」
「さっきからいたわよ。いつ気付くかな~って思って、ずっと待ってたんだけど」
「いや、普通に声をかけて欲しいんだけど」
「ふふ、ごめんね。邪魔しちゃ悪いなって思ったから」
暇だったから工房に遊びに来たんだろうか。
ぴょこんと姿を現したフローラは、興味深そうに僕の作った風邪薬を眺めた。
「フローラから見てどう?ちゃんとした風邪薬になってる?」
「うんっ、なってるなってる。少なくとも見た目は同じだと思う」
「飲んでも同じなら、これで審査に合格できるんだけどね」
「お薬って飲んだだけでも効く気がするし、見た目がそれっぽかったら大丈夫じゃない?」
「言ってる事はすっごく分かるけど、そんなゆるい審査だとは思えない……」
「だよね。冗談冗談」
しかし、フローラの言う事は確かに一理ある。
僕は薬の説明書を読んでから飲むと効果が増す気がするので、必ず飲む前に読むようにしている。
気のせいであっても、薬は効きそうな見た目も大事だと思う。
「でも、レシピ通りに作ったなら大丈夫よ。ここ何日も頑張ってたし、きっと審査にも受かると思うわ」
「うん、そうであって欲しいな」
ドリスさんは当然見た目だけじゃなく、きちんと成分の確認もするはずだ。
ギルドのものとして売るには必要なものが過不足なく入っていなくてはいけない。
これは多分、大丈夫だと思う。
「それにしても、やっとレンも水以外のものが作れるようになったのね……ここまで長かった気がするわ」
「そんなしみじみ言わないでよ。それに、ちゃんと効果があるかどうかはまだ分からないし」
「もしかして自信ない?」
「自信は結構ある。もちろん熟練した錬金術師の人たちと同じとはいかないだろうけど」
「じゃあね……もし良かったら、ちょっとだけ試してみない?」
「試す? もしかしてフローラ、風邪ひいた?」
「見ての通り私は元気よ。実はね、ひとつお願いがあって工房に来たの」
「お願い?」
「そ、お願い。良かったら聞くだけ聞いてみてくれる?」
「それは……うん。もちろん、聞くよ」
フローラは別に暇を持て余して工房に遊びに来た訳じゃないみたいだ。
僕は頷き、話の続きを促した。
「えっとね、お隣のレオノーラさんはレンも知ってるでしょ?」
「うん。あの元気なおばさんがもしかして風邪ひいた?」
「風邪を引いたのは、息子のアルトの方。一昨日くらいからずっとグズグズ鼻を鳴らしてて、ちょっと怪しいなって思ってたらしいんだけど……」
「あぁ、アルト君が風邪ひいちゃったのか」
「そうなのよ。気を付けてたみたいなんだけど、今朝からとうとう熱が出ちゃったみたい」
「あらら……」
アルト君はまだ五歳か六歳、元気いっぱいの可愛らしい男の子だ。
僕というマールバニアに突然現れた人間を遊び相手と認識し、何度かフローラと一緒に三人で遊んだこともある。
そんな彼が、僕が工房にこもっていたこの数日のうちに風邪を引いてしまったらしい。
「私ね、レンが風邪薬を作ってるのをついレオノーラさんに話しちゃったのよ。そしたら、何とかお薬を分けてくれないかって言われちゃって……」
「僕の薬をかぁ。それよりちゃんとお医者さんに行った方が良いんじゃないかな?」
「お医者さんなんてとてもじゃないけど高くて行けないわ。薬を買いたくても今は買えないみたいだし……本当に困ってるみたいなの」
「……そっか」
国民皆保険というシステムがないこの異世界で、医者に診てもらえる人は少ない。
ついでに言うと、薬だって僕の知っている常識よりすごく高い。
さらに言うと、錬金術師自体が少ないものだから、薬そのものの数に限りがある。
そのため高いお金を出して薬を買おうにも、どこにも売ってないという事態が起きてしまう。
その裏には薬を買い占めて値を吊り上げる人間がいる。
結果、たかが風邪薬が庶民には手を出せない高額なものになっていく。
そうならないようにドリスを含めマールバニアに住む錬金術師たちは努力しているようだが、焼け石に水状態らしい。
そんな異世界の残念な現実により、アルト君は医者にも行けず薬も飲めず、困った状況にあるみたいだ。
「ギルドで支給される素材で作ったお薬を、勝手にあげたりするのはあまりいい事じゃないかもしれないけど……でも」
「……その理由が僕にとって正しい事なら、怒られても平気だよ」
「じゃあ、いいの?」
「僕はいいよ。素材はまだたくさん余ってるし、それでアルト君の風邪が治るなら」
「レン……ありがとう!」
正しい順番は、僕の作った風邪薬がギルドに認められ、薬が流通する。
それが多少前後するだけだ。
乱暴な理屈だけど、すぐに助けられるものなら助けたい。
「じゃ、さっそくお見舞いに行ってみない? レンのお薬を持っていけば、きっと喜んでもらえるわ」
「でも実際に人に飲ませると思うと不安になって来たなぁ……ちゃんと効くといいんだけど」
「別に体に悪いものは入ってないんでしょう?」
「それは大丈夫。僕の作った薬じゃ効果がいまいちかもしれないけど、これを飲んで悪化するようなことはないはずだから」
「きっとそれで充分よ。お薬を飲んだって言う事実が、何よりの薬になると思うから」
いわゆるプラシーボ効果は、この世界でも共通している概念のようだった。もちろんレシピ通りのこの風邪薬は、気のせいなんかじゃなくそれなりの効果を発揮してくれるはずだ。
僕はフローラと共に、風邪薬を持ってお隣のレオノーラさんの家へ向かった。




